日常の断片 2

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(ヒエロニムス・ボッシュ『十字架を担うキリスト』)


自虐パフォーマンス

朝、弁当を買いに新宿駅で途中下車。改札を曲がると、主のない車イスとその後ろに倒れている老婆が視界に飛び込む。

駆けよって「大丈夫ですか」と尋ねると、老婆は私をまじまじと見て言った――、

「これが大丈夫に見えますか? 『大丈夫ですか』『大丈夫ですか』ってみんな口ばっか。みぃんな、役立たず。今日もみんな黙って見てたよ。新宿区の福祉課の人間も私が階段のぼるのに6時間かけてたのを黙って見てたよ」

それから延々、罵倒される。

「お前ら、口先ばっかで何もやらない。わたしゃ、歩けなくなってからだって、目の見えない人の介護してたんだっ!」

その顔には見覚えがあった。新宿の西口で車イスに座ってキーボードを弾きながら歌を歌っていたホームレスだ。

老婆、かつ、ホームレス、かつ、身体障害者。

「特にアンタみたいのが役立たずなんだよ」と彼女。

「それは、いいですから何かしてもらいたいことはあるんですか」と私。

「あたしゃ、電車に乗るんだ。邪魔だからどいてくれ」

そう言って、老婆は思いきり自分の車イスを前方に突き飛ばした。

車イスから転げたと思ったのは私の早合点で、この老婆は車イスに荷物を載せ、車イスを突き飛ばしつつ、手荷物を前に投げながら、朝のラッシュの新宿駅を匍匐前進で移動していたのであった。

話し相手にならないので私は弁当を買いに行ったが、戻ってきても老婆はそこに居た。

当たり前だ。分速数mだから。

すると、そこに通りかかった会社員風の男性二人が老婆に声をかけた――

「大丈夫ぅ?」

※追記:2001年2月8日の「日誌」に後日談あり。

    2001年4月14日の「日誌」にさらに後日談あり。


死に慣れた少年

この前、たまたま一緒になった男の子は左隣に座ったままずっと無口だった。私の右隣の人が「オレ、幽霊、見えるんだよね」と言ったら、急にしゃべりだした。「ボクも見えるんですよ」それだけなら、そーですかいと言って済まそうと思っていたんだけど、「この前、隣の部屋の住人が子供を殺して断末魔の声を聞きました」と自慢気に言うのを聞いて恐る恐る尋ねた。

「今もその部屋に住んでいるの?」

「ええ」

「お祓いした方がいいんじゃないの?」

「子供の頃から、周りで自殺が多かったので馴れています」

いくら高島平のそばに住んでいるからといってそれはないんじゃないの、と思ったけど。

彼は焦点の定まらない目でやっと話すことができたことを喜んでいるようだった。


そういう人生

隣の部署には日替わりで何人もパートの奥様たちが来る。その作業台が私の机と目と鼻の先なので、奥様たちのおしゃべりは聞くともなく聞こえてくる。今日の話題は子どものイジメ。若奥様のお子様の通う小学校で、いつも同じ子どもがイジメられていて、担任の先生は、これをクラスの問題として考えようとして、

みんな、この子のことやイジメのことをどう考えているんだッ

とアンケートをとったらしい。今どきらしい。直にみんなの前で発言すると足をすくわれかねないのだろう。

すると、次のよな回答をした子どもがいたんだと。

「彼は、そういう人生なんでしょう」


壊れた人

先日、一人の女性が訪ねて来た。

去年の夏、師匠の所に修行したいと来た人だった。

去年、会話をしたところ、私が以前にお世話になったT木先生の所に一時通ったという。

ところが、そのT木先生が生き霊を自分へ飛ばしているという話をし始めた。

T木先生がそんなことをするはずがない、と私は思ったが、彼女を見て、彼女は霊に取り憑かれていると師匠は言った。

その時はまだ中心になる人格があったのだが、その日、1年ぶりに見たら完全に壊れていた。師匠に会わせろ、と言うが、ぼそぼそと訳の判らないことをずっと口走る。いや、一人で複数の人格となって会話(合議)をしている。

確か、彼女はタイに行っていたはずなのだが、チベット仏教の法具のようなものをディーバッグから取り出して振り回し始めた。適当に印を組んだり、中国拳法もどきの所作をする。途中で話相手になるのを止めて私は部屋に戻ったのに拘わらず、しばらく玄関の前で色んな法具を取り替えて動き回っていた。

話相手をしている途中で、いやーな感じがしたので、部屋に戻って簡単な結界法を行なったけれど、彼女が帰った後も鳩尾と首のリンパにいやな感じが残った。彼女が帰った後、玄関の前に塩を撒いて線香を焚いた。

彼女は精神科医だったはずだが、自分がまっ先に狂ってしまった。

彼女は元に戻れるのだろうか?、と考えた。まず無理だろう。

あのまま壊れたまま一生を送るのだろうか。多分、そうだろう。

精神科医になるのに彼女がどれだけ勉強したろうか、どれだけの時間と金銭を費やしたろうかと思いを馳せた。全て徒労だったのか? 全て無駄だったのか?

壊れるために費やしたのか? 結果から言えば、そういうことになる。

彼女の幸せはどこにあるのだろう。彼女が望んだ幸せは「こんなもの」だったのか。

イエスは一言で悪霊を退散させたというけれど……。

色々考えさせられました。


私の住んでたアパート

子供の頃、住んでいたアパートは、隣が大家さんだった。うちにはオーディオなどといったものがなかったので、そこのお兄さんに頼んで大家さんちのステレオでソノシートを何回か聴かせてもらった。何故か、姿を見せなくなったと思ったら、猟銃で自殺したと後で知った。交際していた恋人が病没したからという、ロマンチックな理由だった。

このお兄さんの妹は、先天性の白痴で、何も言わずに窓辺に立っていた。

「何をしているんだろう?」とキョトンとした私と視線が合ったことを今も覚えている。

大家は呪われた家を去り、そこには何回か人が住んだがまともなのは一家族だけだった。ヤンキーの夫婦はケンカして別離、引っ越しのときにはさながら暴走族の集会のようで、次の日、中を見たら、巨大な招き猫がポツンと置いてあった。

次に越してきたのは唯一明るい家族だったが、ここを去った後、奥さんが奇病になり、明るさは全く潰え去った。

その後、越してきた家族は、ほとんど姿を見ることがなかったが、毎日、肉を殴る音と子供の悲鳴が聞こえた。たまに子供を見かけるとアザだらけであった。

ある日、その一家は夜逃げをした。夜逃げをしてから、しばらくして、子供が通っていた小学校から給食費の徴収に人が来た。

その後に越してきた一家は母子家庭だった。母親は多分、品の良い夜の仕事についていたのだろう。ここの子供は二人兄弟で兄の方が、またしても先天性の知能障害者で訳の判らないことをしきりに言っていた。寡黙な弟は非常に利発そうだった……。

私が住んでいた部屋は私が出た後、中国人労働者が住み、その後、50がらみの日本人労務者が住んだが、この人は、ある日、冷たくなって発見された。
このアパートは取り壊され、今はない。


四肢カットの思い出

乗っていた電車が急ブレーキをかけて、乗客一同つんのめる。しばらくして車内放送。

人身事故を起こしたので、この電車はこのまま停車するという。

自分が乗っていた電車で人が死んだのか、いやだなぁと思いながら、電車を降りると不幸中の幸いというべきか、飛び込んだ人は死んでいなかった。

ホームでは、その一部始終を見てしまったらしい婦人ががくがく震えながら、駅員に様子を話していた。

つまり、こういうことだ。自分から飛び込んだ老女は、さぁ轢いて下さいと言わんばかりに線路に身を投げ出して伏せていた。それがゆえに頭も胴体も無事だった。これが間違って落ちた人間なら逃げようとして起き上がり、跳ねられて終わりだったのだろう。

が、線路に身を投げ出した代償として、老女は両手両足を失った。

すぐさま救助活動が見られないようにブルーシートで先頭車両付近が覆われたのだが、なぜか私は、その老女の顔が見えた。救急隊員とは全然目を合わせようとしないで宙を泳いでいた老女の視線は、私が彼女を見る視線とふと一致した。

恐怖と不安にただただおののいている瞳を今も覚えている。

イッタイ何ガ起キテシマッタノカ

イッタイ、ワタシハ、ドウナルノカ

その瞳は、そんなことを言っているように見えた。

それまでの生活に復帰できるとも考えられないし、舌を噛み切るぐらいしか自力で自殺できる方法ももはやないだろう。

その後、その老女がどうなったかは私は知らない。


君たちに明日はない――と思う

帰りの電車でそばに居た二人組の会話が、日本語として妙に間延びしていることに気づく。言語障害者か、それとも外国人かと思ったが違った。セメダインのような匂いは気のせいではなかった。二人とも液体を染み込ませたティッシュをビニール袋に入れ、会話の合間合間に吸い込んでいた。

ずっと以前の、車両に一歩踏み込んだだけでむせ返るほどのシンナー臭をまき散らしていた京王線の少年よりははるかに可愛いものだが、やっぱり目はどこかにイッている。

私が電車を降りる直前の二人の間延びした会話――。

「キミ、何がしたいぃ?」

「『何がしたいぃ』? ラリりてたい」

その答えを聞いて、歯が半分溶けてる方がニッコリしてうなずく。

「うん、オレもラリりてたい」


乞食と呼ばれた男

中学時代からの親友だったSは雨の日の夜にしか外出しない奇人だった。

進学した高校では学年一番の成績であったにも拘わらず、1年中同じ格好をしていたため「乞食」と呼ばれた。父親が愛人と結婚するために、母親を騙して離婚。離婚した母親もまた別の男性と再婚したので、彼の家族はなくなった。一家離散というのか。元々変なことばかり言っていたけれど、途中から、いよいよおかしくなった。

「隣の部屋の住人が訪ねてきてさ、君が○○(この部分は失念)するから、私は部屋で体が浮き上がってしまうじゃないかって文句言いにくるんだよ」など。

もてるんだ、と自負するくせに、私に女性の友達を紹介しろとしつこく言う。のみならず、「紹介してくれないと僕がどうなるか判らないぞ」と脅したりする。

「この前、戸川純に街で会ったよ。向こうが僕に気づいてさ、恥ずかしそうにするんだよね。可愛いじゃん。ゼッタイ、僕に気があるよ。君には悪いけどさ」

生活費がないといっては(彼は働かない)母親にお金を無心に行き、新しい夫にもあまり相談できないということで親子して雀荘に行き、二人揃ってすってんてんになったという笑い話もあったが。

法学部の知人に予防拘禁のことを尋ねたが、家族でなければできないという返答だった。

じゃ、誰が彼を予防拘禁できるの?

彼は住所も電話番号も教えないということをずっと通してきたので、音信不通になってしまった。


「あなたは、なぜ生きてるの?」

最初に交際した彼女とは、別れた後もずっと友人だった。ある年、暑中見舞いが来た。

「アタマの病気で入院している」と書いてあった。見舞に行こうと思って彼女の実家に電話したら、彼女の父親に口を濁された。恥ずかしいことだと思っていたのかも知れない。

その翌日に彼女は死んだ。多分、自殺であったようだ。自殺だったというのはハッキリ聞いたわけではなくて、精神科に入院していたこと、死んだことが友人に全く知らされずにいたことと、焼香に行ってみたら戒名が付いていなかったことからの推測だ。

彼女のためなら、何でもしようと思っていた。けれど、結局、役に立たなかった。それが無力感を生んだ。

焼香に皆で行った帰り、久々に会った友人同士で飲みに行った。女友達の一人が「何で死んだんだ!」とわめいたのに対して「私は彼女を責めるつもりになれない」と冷静に言ったら、「てめぇは何様だ! 悲しくないのか!!」と喰ってかかられた。生きている理由を自らに見出せない人間が、死を選んだ人間を責める理由はないし、自分が淋しくなったという理由で相手を責めるのもナンセンスと考えるのは、その時も今も変わらない。

だが――。しばらくして、私の夢に彼女が出てきた。

「……なぜ死んだの?」と質問した私に彼女は質問をもって答えた。

「あなたは、なぜ生きているの?」

 私は何も答えられなかった。


そして誰もいなくなる

不動産屋で紹介された部屋を見に行ったとき、駅で友人のO君に偶然出会った。彼も引っ越していて、このまま私が東京に帰っていたら連絡が取れないところであった。

別居は聞いていたものの、結局、奥さんとは離婚したということで、新しい彼女を連れていた。

彼と共通の知人にK子というのがいて、彼女の近況を聞いた。

K子は私が初めて抱いた女性だった。異性が互いに抱きあうというのは、交際して後のことだと素朴に私は思っていたのだが、K子は訪ねてきて、うちで談笑しているうちに電車がなくなったため「泊めて欲しい」と言った。

四畳半一間のアパートで、女性がそういうのだから、察しても良かったのかも知れないが、こちらはそういうつもりはなかった。布団に入ると抱きついてきて「私をこんなにした責任をとって」と言った。後は成り行きだ。

K子は女優のジェニファ・コネリーを田舎臭くしたような顔立ちだった。北海道のかつては栄え、しかし閉山した炭坑の町から単身上京してきた苦労人で新聞配達をしながら受験勉強をした。大学に入学したとき、東京にいる離婚した父親を訪ねていったら、まったく相手にされなかったという。3畳間のアパートを借りて大学に通っていた。

普通より上流の人には自分の貧乏や苦労ぶりで注目を集め、普通の人には持っているブランド品や自分のコネや内容をよく知りもしない学問の話を自慢する――。そんな彼女の生活パターンが見えてきたとき、私が忠告する一方で、二人の距離はどんどん離れていった。というか、彼女は多くの人間に相手にされなくなってしまった。

ある時、K子が何も言わずに私に抱きついてずっと泣いていたことがあった。そういう風に普段から素直になればいいのにと思ったけれど、そうした素の一面を見せてしまったことが許せなくなったのか、その後は以前より私に対して冷たく接するようになった。

大学生活も終わるころ、彼女は助教授の恋人となり、自分をとるか教授職への栄進を取るかの選択を彼に迫り、教授職を断念させて、自分を選択させたことを自慢気に語っていた。

最後にK子に会ったとき、向こうはお通夜の帰りで、会社にいた私は電話で呼び出された。喪服のまま、人を酒に誘うのもどうかと思うが、とりとめのない見栄の話ばかり聞かされて、彼女の将来を不安に思った私は「悪いことは言わないから、早く結婚しなさい」と言った。それが彼女を激高させて、彼女は怒りながら去っていった。

そのK子が精神科の入退院を繰り返しているという話をO君から聞いた。そうなりそうな傾向は在学時代から時間が経つに連れ懸念されたのだけど、結局、そうなってしまった。

O君曰く「こっちがつらくなるぐらい器量が落ちた」と。

精神科に入院したというのはO君から前にも聞いた。その時、親戚でもなければ恋人でもない彼が彼女の面倒を見ていた。O君は偉い。

なんで、みんなの忠告を無視して、わざわざ不幸になるのか――。

O君の話を聞きながら「バカだな、あいつは」とつい言ってしまった。


20年目の逆襲

Bという不良外人がいる。ニュージーランド出身。東南アジアでラリパッパしているところを咎められ、キミは大学に行った方がいいと言われ、アメリカの大学に潜り込む。ジェイムズ・ジョイスを専攻したそうな。グリーン・カードが欲しいがためにアメリカ女性と結婚。ところがこの女性が輪をかけてドラッグ中毒のアル中で、グリーン・カードを取得する前に離婚。その後、流れ流れて日本へ。

今は高校で英語教師をしている。しかも、娘ぐらいの女子高生と付き合っている。

実の娘もいるのだけれど、その消息を離婚したアメリカ女性に尋ねたら、親権不適格ということで、強制的に里子に出されて、行方不明(親には行き先は知らせない)。それを知って、人でなしながら泣いたようだ。

弟はスウェーデン女性と結婚し、スウェーデン住まい。

母親と妹はオーストラリアに移住している。母親は今や環境保護運動家で、先年の京都会議にも出席したそうな。

Bは親不孝ではあったけど、住所が変わるたびに連絡先を書いて送ったり、近況を手紙にしたためていた。ある日、Bのもとにオーストラリアから荷物が届く。段ボール1箱もある。

期待して開けると中から出てきたのは、開封もされていない、彼が送った20年分の手紙であった。

その夜、彼はつぶれるほど酒を飲んだくれた。(実話です。念のため)
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