日誌 2001年4月

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4月30日

朝、見た夢にT氏が出てきた。「やだな、リウカさん、オレまだ死んでないですよ。ホラ」と精一杯と言う感じで笑みを振る舞う。愛くるしい笑顔で語りかける。別に、T氏を思い出すような出来事が何もなかったのに、こんな夢を見てしまって、かえって不吉な予感を感じてしまった。

今月は風邪で欠勤が多かったので、今日は休日出勤。朝の定時には誰もいない。誰もいないオフィスでテキトーに作業。昼休み、Yに電話。Yは電話は好きではないのだが、昨日のYの文章が心配になったので、電話をかけてしまった。今日は加減が良くなったらしくて安堵する。私はYを一生大事にする。絶対、大事にする。

職場を定時に上がって、父親の入院している病院に行く。人はこんな短期間でこんなにも変わるものなのかと愕然。瞳は曇り、声は声でない。声を発しても何を言っているのか、さっぱり判らない。弱々しくベッドに横たわる父がいた。別れ際に「じゃ、また来るね」と言っても、返事すら出来ない父親。

ここでもシンクロにシティ。父のベッド番号は、私が一番好きな3ケタの数字であった。良い意味の数字であるので、それが少しでも助けになってくれたらと思う。

兄は見舞いに来ない。兄だけでない、一緒に暮らしている兄親子は誰も見舞いに来ない。母だけが見舞いに来る。息子では、これまで弟しか見舞いに来なかったので、主治医は、長男と次男は死別しているのかと思ったほどだ。兄は見舞いに来ないでツーリングに出かけ、義姉は子どもたちと出かけたと母が言う。ツーリングに行く暇があるなら、見舞いに来ればいいじゃないかと、私ですら思う。どうせ助からないなら、見舞いに行っても仕方がないと公言して、身近な親戚にも不興を買っているらしい。親戚付き合いをするつもりもないから、葬式で呼ぶ人間は母親が決めてくれと兄は言ったらしい。

冷酷だと言われ続けた私だが、親族との縁が薄いとどんな占いでも言われる私だが、悲しい。


4月29日

昼過ぎ、本を返しにVが来訪。茶わんも購入して、EO師の提唱した行法である死人禅をやっているらしい。まめだ。

先日、仕事で、独り淋しく死んだ公団住まいの老人の荷物を部屋から運び出す作業をしたと語っていた。「やっぱり、部屋に何か残っているんだよね」とV。周囲には「ただの引っ越し」と嘘をついたそうだ。

私も二度だけ、強制執行の作業をしたことがあるが、ただでさえ嫌な作業なのに、部屋の主が死んでの作業とはもっと嫌だろう。もっとも、家賃を滞納しているので強制執行に入ったら、殺人現場だったとか、住人がコンクリ詰めになっていたとかいうのは、強制執行の作業でもあると、ベテランの人に聞いたことがある。

家賃の安い公団に独り暮しをしている御老人が、姿を見せなくなったと思って、管理人が見に行ってみると死んでいたという話が、最近増えているのだとVは語っていた。ただ老衰死しただけなら、まだマシだが、独り暮らしで被害妄想や精神荒廃が起こると止める人がいないので大変なことになるらしい。

本人が白骨化しているだけでなく、段ボールに猫の白骨が山盛り。破壊されかかった壁に血染めの文字がのたうち回って、「殺してやる!」とも書いてあったりというのもあったという。そんな部屋入りたくない。でも、何事もなかったかのように化粧直しして、次の人が住むんだろうな。

「星5つとか玄関についていて『え、5つ星の部屋ですか』と、次に入る人が嬉しそうに言うの」と冗談をかましたら、Vが笑っていた。「いえ、それはこの部屋で死んだ人の数です」

借りていた『ディヤン・スートラ』を、「これ自分で買った方がいいと思うから返すよ」と言って返そうとしたら、「あげるよ」と言うのでもらった。ありがとう。Vは今日も無明庵関係の本ばかり6冊ばかり借りていった。本人も「今、EO病にかかっているかも」と言っていた。


4月28日

Lがカラオケに行きたいというので、カラオケに行く。Lはカラオケが好きらしい。Lは演歌が大好きだということで、演歌ばっかり歌っていたが、私は演歌をちっとも知らない。「飢餓海峡」なんて題の演歌もあるのですね。学習しました。

私は浜崎あゆみの「TO BE」とか、椎名林檎の「ギブス」とか歌ってました。川本真琴の「やきそばパン」に挑戦したが、撃沈。早口に追いつきません。そういや椎名林檎の「輪廻ハイライト」がリストに入っていたけれど、あれをカラオケの字幕を見ながら歌う人、完全コピーできる人とは、一体どんな人なのか。椎名林檎本人が、テキトーに歌ったのを自分でソラミミで歌詞カードを書いたと語っていたのに。

子供の歌が好きだから、「およげたいやきくん」を歌ってとリクエストされる。歌うとえらく受けていた。歌っている最中にLの妹さんから電話がかかってきたら、妹さんも「たいやきくん」が好きだということで、電話機をこちらに向けて、妹さんにも聞かせていた。

四半世紀も前の歌なのに、なんでだろうと思って「中国で流行ったの?」と訊ねる。日本に来てから知った歌だという。とにかくたいやきが泳いでいるのが可笑しいという。「これは凄く悲しい歌なんだよ」と説明したが、ちっとも判らなかったみたい。ちなみに、子供の私はあれを「ポンキッキ」で初めて聴いたとき、泣きました。

Lの身の上を聞く。日本に来るために日本人と偽装結婚して来日したのが、去年の10月。その後、夫は失踪。この前、会ったときに法務局から連絡が入っていたと語っていたのだけど、何の用事かと思ったら、失踪した夫は勝手に離婚届を出していて、結局、Lは今のビザの範囲でしか滞在できないとのこと。勝手な離婚届というのは、公文書偽造だけれど、日本に来たばかりの中国人が訴えることはあるまい、と踏んでいるに違いない。元夫は、また別の中国人相手に偽装結婚をして金をふんだくるのだろう。妹さんも日本人と結婚しているというので、それも偽装結婚なのかと思ったら、相手の日本人は朝日新聞の記者だということで、なんだかエラクまともな商売だ。妹さんは、中国では大学に進まず、日本に来て、日本語学校に通った。中国の大学で日本語を専攻したLより、妹の方が日本語がうまいとLが言う。そりゃ、長く住んでいる方が日本語うまくなるだろうけど、少し悲哀を感じました。


4月27日

アクセスログを見ていたら、HOOPS!のランキングから来てくれた人がいるようだった。ランキングに登録はしたものの自分のページの順位を見に行ったことがなかったので、見に行ってみる。

正確には、以前、見に行ったけど、自分のカウンタ数付近に、自分のサイト名を見つけられず、登録洩れになっているのかと思っていたのであった。是が非でもランキング上位とか思っているわけではないので、忘れていた。

行ってみたら、驚いた。実物のランキング表は → ここをクリック。

こうしたリンクは、すぐに意味を失ってしまうので、内容を以下にコピーします。

> 125: anonymous0000 Hokahi Iyachico!... 8478

つまり、このページは8478カウントを獲得して、日記部門の125位だというのだね。

トップページのカウンタでは、カウント数は1900弱です。

そもそも、表示に使っているカウンタと連動して、ランキングが決っているはずなので、この不一致は何とも不思議。ランクの前後の人のHPも試しに見てみたが、私より下位の人のHPで、カウンタ表示が4800というページがあったし、カウンタと一致していないページばかりだった。何で? もっとも、人気が高いと思って見に来てくれる人がいるなら、「善意の誤解」として、放っておこう。

今日は、職場の帰り道で、自転車カバーに鼻をこすりつけて、気持ち良さそうにしている猫がいた。その様子を5mぐらい離れたところから、しばらく見ていると、私の視線に気づいたのか、こっちに急に顔を向けた。気づかれたら逃げるだろうと思ったら、その三毛もどきの猫はスタスタとこちらに近づいてきた。首輪がないから、恐らく野良だろう。珍しいこともあるものだと思って、撫で倒す。しばらくしたら、ごろんと腹を見せた。はははは。


4月26日

小さなシンクロにシティが連発してあった。

私は普段、「オッケー」なる言葉はメールに使わないのだが、今日はLに「オッケー」という題のメールを送った。すると、Lとは全然、関係ないYから「オッケオッケなんでもオッケ。」という題のメールが届く。Yとは今まで200通以上、メールをやりとりしているが、「オッケ」という言葉を題に使ったのは、これが初めてであった。次に、Lから「んとね」という題のメールが来たら、それと連続して「んでは」という題のメールが別の人から届いた。ちなみに、これまでに「ん」始まりの題のメールをもらったことは記憶にある限りない。

この日、久しぶりにスーツを着て、外出。東京オペラシティに入っている、ある社団法人の人と仕事の話で会いに行った。建築中の頃の工事風景しか知らなくて、初めて中に入った。贅沢にお金をつぎ込んだ建物である。先方のお偉い方が席につくと、話の冒頭で、私が普段、行っている職場の名前を出した。先方は私と初対面であり、私が、普段、どこで働いているのかは当然、知らない。たった一つだけ出てきた企業名が、自分の職場だというのは、印象に残る。なぜ?

「週刊文春」を読んでいたら、学生時代に自分がよく使っていた古本屋の御主人が名前入りでコメントを出していた。まだ、お店をやってるんだ。大学が移転してしまって、営業が大変だろうに。少し嬉しかった。


4月25日

父親が入院するという内容の電話が母親からあった。電話を父親に代わってもらったが、しゃべることも辛そうである。いや、辛いらしい。声とも言えないかすれ声。今度は見舞いに行くから、首を洗って待ってろ!


4月24日

この前、Vが来たとき、VはEO師の本をまとめて借りていった。21日に会ったとき、OJは体調が急に悪くなったとかで1時間ぐらい遅れたのだが(待ち合わせに時間通りに来た記憶がない)、OJが来るまで二人で無明庵の話をしていた。4月15日の日記に書いた、手裏剣の話をしたら、えらく気に入ったらしい。22日の日記に書かなかったけれど、朝の8時半に電話を寄越して、手裏剣を売っている場所を訊ねた。

そして、この日、EO師の行法で使う茶わんのことで、電話してきた。中野で無明庵推薦の茶わんを売っている旨伝える。手裏剣はどうしたと訊ねると。買ったとの返事。傾斜してきているなぁ。


4月23日

この日は、朝、通勤路で、あのアメリカンショートヘアがちょこんと座っていて、撫でた。普段、帰り道でしか猫と遊んでいないので、この日は朝から上機嫌になる。

夜、月月さんと電話で話す。ここのページの内容が印象づいていて、月月さんは猫を見ると、私を連想するらしい。猫→リウカ→猫→リウカ→猫……。きりがない。たまみさんが掲示板で書いていた、夢の中で、私の目が光っていたというのは、宇宙人じゃなくて猫だろうという話でほぼ一致。

自分に全然縁のなかったTDLについて質問してみた。遊園地の話を幾つかする。月月さんの体調が回復したら、夏に泳ぎに行こうかという話が出た。もう17年ぐらい泳いでいないなぁ。

ブルーワーカーでもやるか(嘘)。


4月22日

さて幾らと言われるのだろうかと少し考えた。いざ、払う段になって足りないというのはみっともないので、少し多めにお金は用意した。3万円台なのか、5万円台まで行くのか。先方が支払いのことを言い出さないので、幾らかと訊ねると、そんなつもりはないと言われた。少し驚く。支払わず終い。運命の歯車はそんなところからでも運行が変わるのかもしれない。

Lに今度TDLに一緒に行こうと言われる。TDLなんて、自衛隊の演習場にすればいいのだと思っていたいし、言っていたが、日本に来てTDLに行きたいと言っている中国人に、TDLなんて自衛隊の演習場にすればいいのだとは言えない。ああ、いつか行こうねと答える。日和見な私。

Lが中国の大学で日本文学を専攻をしていたというのを初めて知る。「ふーん、何を読んだの?」と訊ねると夏目漱石の名を挙げた後、「森……」と口ごもるので「森鴎外?」と訊ねた。ところがLの回答は「森村誠一」だった。この二人が同格に並ぶというのは可笑しい。


4月21日

Vと一緒に、OJのヨガの先生に会いに行く。私自身は、それぞれ二人に会っているので、そんなに久しさを感じていなかったのだけど、VとOJが会うのは4年ぶりぐらいだった。そりゃ、懐かしいだろう。

OJはエンライトメントを今生の目標と定めたと言っていた。それはいい。目標を定めるのはいいことだ。私は、濁世に関わる道を選んでいる。


4月20日

5ヵ月ぶりぐらいにYの声を聞く。すごくすごく嬉しかった。


4月19日

「刃牙」を読んで嫌な感じになっている。素手素足でたった1日で山の岩石をくり貫いた男、海王の名を受け継いだドリアンが、愚地独歩ごときになんで、やられるのか。愚地独歩は、養子の克巳には適わないと自分で言っていて、克巳は烈海王に一撃で倒されている。烈海王は、師匠にすごい天才がかつていたのだということで、ドリアンのことを告げられていた。烈が感心するかどうか別にして、素手素足で山の中腹に風穴を開けるほうが、虎を殺すより、絶対すごいことだと私は思うのですが。スペックが花山に負けたときにも嫌な思いをしたのだけど、嗚呼まただ。克巳も烈も催眠術にかかっていたという展開にならないかなぁ。

ダンディ社長と打ち合わせ。思ったことはお互い率直に言うということを確認する。


4月18日

農林水産省からアクセスがある。更新記録に検索で到達しているようなので、これもやっぱり、「断片の断片」の「チェルノブイリ」なんだろう。他に、検索語になりうるような文字列が更新記録に見つけられない。

さて、農林水産省の職員は、あの文章を読んで、どんな感慨を持ったんでしょうね(昨日とおんなじやん)。


4月17日

核燃料サイクル開発機構からアクセスがあった。これは「断片の断片」の「チェルノブイリ」が検索に引っ掛かったのだと推測がつく。核燃料サイクル開発機構の職員は、あの文章を読んで、どんな感慨を持つのでしょうね。


4月16日

中野の古本屋で、クリシュナムルティの『あなたは世界だ』(UNIO)を買う。これはズシリとした本です。

中野の蕎麦屋で食事をして店を出たところ、昨日の猫がいた。けど、この日は、自転車の陰にうずくまったまま、声をかけても反応しなかった。残念。


4月15日

新宿のコンクリートというお店で手裏剣を買う。無明庵の方山氏によるデザインのもの。無明庵の掲示板で、この手裏剣が魔術的にも使えると書いていたので買ってみた。うーん、実物を手に取ると、逆に手裏剣としての実用性より、魔術的なシンボルとしての使用を前提にしているように思えてしまった。すごくシンプルなのです。悪く言うと一見ちゃち(ゴメンナサイ)。

市が開かれていたので、ふらっと花園神社に寄る。シュメール山(須弥山)を象った水晶がある。気に入ったので値段を訊ねると4万円だという。それぐらいしても不思議ないと思うし、欲しかったが、金欠になるのが目に見えているので断念。立派な金剛杵にも目が行く。金ぴかじゃなくて銀。表面一面に幾何学模様が彫られている。これも欲しいなぁと思って値段を訊ねると8万円だった。やっぱり買えません。水晶の方はいずれ手に入るような気がします。中古じゃなくて新品が。

中野に寄る。しようと思った用事はどれもできなかったが、ある角を曲がると、猫が両足を揃えて通りの真ん中にちょこんと座って、にゃーにゃー鳴いている。毛ヅヤは良くない野良猫である。近づいて撫でる。しばらく撫でていると、ごろんと腹を見せた。野良にしては可愛いじゃないの。キリがないので、途中で「じゃあね」と言ってバイバイした。


4月14日

嫌なニュースに接した。「日常の断片2」の「自虐パフォーマンス」に書いた老婆、2月8日の日誌で後日談を書いた、あの老婆が自殺した。深夜、車椅子を捨てて、みずから車道に這い出ていき、車4台に次々に轢かれて、絶命したという。事情は知らないが、ニュースを聞くかぎり、この自殺の仕方も人に迷惑をかけようとしてやっているように思えてしまった。方法は他にもあったろうに。冥福は祈るが。

夕方、Rから電話。ビデオもTVも実家に送り返してしまって、ビデオが見れないとかいうことで、うちにビデオを見に来る。2日続けて会ったのは初めてかもしれない。甲斐バンドのファンだというのを初めて知った。私は名前は知っていても曲も知らないので、ビデオで初めて見た。ギターを抱えたシーンで「ふーん、甲斐よしひろって左利きなんだ……」と言ったら、Rが驚いていた。ライブを観に行ってビデオを買うぐらい好きなのに、今の今まで気づかなかったのが理由の一つ。そして理由の二番目――。Rの友人の8割が左利きだという(R自身は右利き)。そして、今まで付きあった彼氏が全員、左利きなのだという。「それって、昔、歌謡曲にあったよね」と私(『私の彼は左利き』)。甲斐よしひろが、左利きであったことを知って、自分がどうして甲斐バンドが好きなのか腑に落ちたみたい。そんな理由で腑に落ちるのが、端で聞いていて可笑しかった。

今日は、中国からアクセスがありました。ネットワークって、ホントに点と線ですね。


4月13日

今日は大漁です。帰り道で飼い猫1匹、野良猫3匹と遊べました。うち黒猫は私の指を両前足で掴むとガジガジとかじって舐めて、おかしかった。

コーネル大学の方がいらした頃からでしょうか。毎日新しい人がアクセスしています。リンク先から来る人は、ほとんどいなくて、下部ページの何かの文字列が検索でひっかかって来ているようです。誰にも知らせないで作った割にはアクセス数は多いのではないかと思ってます。検索で来る人が毎日いるというのは何だか嬉しいですね。本人の意図した検索結果になっているのかは知りませんが(笑)。

9時過ぎにRから電話。また食事のお誘い。珍しく山手線の外に出てもいいという。で、私のうちの最寄り駅で待ち合わせ。山手線の外に私用で出るのは半年ぶりだという。ちょこっと具合が良くなったからできるようになった、というわけで、美味しい蕎麦屋で、ちょこっとだけ快気祝いをした。


4月12日

手紙が届いた旨、昼休みにSにショートメール。「一人ぼっち」だとの返信が来る。職場で一人で作業をしているのかと思ったら、次のメールで、周りに人がいても「一人ぼっち」なのだと判明。メールのタイトルが「疲労度DX」。

ぐぐっ……。「やせ蛙、負けるな一茶、ここにあり」てな思い。Sは痩せてないらしいが。


4月11日

帰り道に、アメリカンショートヘアの猫がちょこんと居て、撫でる。ニンマリ。昨日の猫はジロと同じ色の虎縞で、今日はトムと同じアメリカンショートヘア。「(ジロとトムは)どうしてるかなぁ」と掲示板に書いたのがリクエストになったのでしょうか。

帰宅するとSから手紙が届いていた。この前の手紙と今回の手紙の間に、Sは入院をして、ひざの手術をしていたとある。まったく知らなかったので、ペンパル甲斐のない自分が情けない。「前のように全力で走る等のことが出来なくなってしまいました」……。切ないです。景気のいい話はなかったけれど、清らかな読後感が残った。


4月10日

朝、家を出て駅へ向かう道。道の真ん中に大きくて色鮮やかな椿の花が一輪、でーんと落ちていた。奇麗だけど、不吉。

帰り道には通りすがりのココウ(虎縞)の猫をなでる。これはリボンを付けていたから飼い猫ですね。

華厳の北さんに借りた井筒俊彦『意識の形而上学』を読む。引き込まれてあれよあれよと読み進み、行き帰りの電車だけで読み終えてしまった。いい本です。これは借りて読む本じゃなくて、自分で持つ本ですね、華厳の北さん。

今日は、昼間にさる省庁の大臣官房からアクセスがありました。私のページを読むのは公務員の仕事なのか?


4月9日

「何がお前の飢えを満たす」(裸のラリーズ『夜、暗殺者の夜』)

答えは問いと同じ地平にはない。問いを突き詰めたとき、それは現れるのかも知れない。

が、どちらにせよ同じ地平にはない。問いがなくなったときに、それは解るのだ。多分。

飢え……。「何がお前の飢えを満たす」。

そうそう、書き忘れたが、昨日の夜、文通相手のSから1年ぶりぐらいにメールが来たのだった(Sについては2000年12月19日の日誌参照)。去年の5月、メール機能の付いた携帯をSが買って、それで数回メールをやりとりしたが、その後、こちらから送信できなくなった。エラーメッセージによると、どうやらメールアドレスが変更されたらしい。その問い合わせと回答を手紙でやりとりするという何とも非効率的なことをしていた。再度、手紙で教えてもらったアドレスでも送れなくて変だと思っていたら、旧アドレスと1箇所だけ変更になった部分の_を-と私が間違えていて(手書きで知らされたから)二人とも気づかずに約1年。こちらのアドレスは変わっていないわけで、「何でもいいから試しに送ってくれ」と手紙に書いて即解決。笑えます。しばらくしたら手紙が届くはずだ。返事を書いたとメールにあったから。さて、景気のいい話はあるのだろうか。


4月8日

兄からメールが来たのが水曜。母から電話が来たのが昨日。父の癌が全身に転移して、どうにも具合が悪いらしい。

電話をして父と話す。弟が来ていたせいか、思ったより元気があった。

「もう足がダメだ」

「ダメなんじゃなくて、痛いのでしょ」

「歩けないんだよ」

毎日、見舞客が来るせいで、かえって自分が病人であるということを強く印象づけられたらしい。

途中で弟に電話を替わってもらって話す。

「父さん、かなり参っているから、兄さん(←私のこと)、あまり心配かけちゃだめだよ」と弟。

3兄弟の中で一番しっかり者の弟。父親が入院したとき、同居していた兄も見舞いに行かず、私も行かず、弟だけが足しげく見舞いに行ったのだった。弟には私は随分と面倒をかけている。すまぬ。

父親には、「親孝行するまでピンピンしてなきゃダメだよ」と念を押し、「グッドラック!」と言って電話を切った。

……

私は父親に反抗的な態度というものをとったことがあまりないが、ガンダムの最初の再放送をしていた頃、父親に何か注意されたとき、

「こんな息子を持った、己が不幸を呪うがいい」(ガルマを罠にはめたときのシャアの台詞のもじり)

と言ったら、父は真っ赤になって怒っていたっけ。


4月7日

昼過ぎ、Vから電話がかかってくる。この前、借りた本を返しに来たいという。部屋は散らかり放題で、とても人を呼べるような状態ではなかったが、来てもらうことにした。それで片づけざるをえなくなるから。

どうにか片づけが間に合った部屋に彼が来る。リラクゼーション・メソッドのビデオを見ながらあれこれ談笑。

窓から見える、ひらひらと舞う桜の花びら。ベランダには一面、桜の花びら。

風流だねと笑ってから「死してなお遊ぶ桜かな」とV。最近、Vは茶の湯を始めたとか。

Vはこつこつと事を為す。これは尊敬に値する。偉い。


4月6日

朝、やっぱり疲れていてズル休み。

夕方、Rから電話。夕食を一緒にとろうと。Rが待ち合わせに指定した店に行ってみると、閉まっていた。今週から閉店時刻が2時間早まったようだった。次候補の店がある隣駅まで歩く。桜の下には花見をしている人たちがいっぱいいた。宴会の喧騒と夜空を背景にする無言の桜。宴会をしている人たちと空間を共有しているようにも思えないRと私は並木道を歩いていく。

Rは具合が良くないらしい。それに気づかない人たちの言動にも神経的にまいっているようだった。私は景気付けにはあまり向いているキャラクタではないので、ずっと彼女の話を聞いていた。話を一通り聞き終えて、自分自身忘れていて、メールを整理していたときに再発見した「現実を変えるまず大事な要素は『現実を見る力』と『現実を受け止める力』、この二つだ。この二つがないのなら何も始まらない」という師匠の言葉を話すと興味深げにRは聴いていた。

言葉だけ覚えていて、誰宛のメールに書いたかうろ覚えだったので家に帰ってデータ検索したら、2年前に他ならぬRに宛てて書いたメールであった。二人とも忘れているというのが何だかね。ダメじゃん。

Rの具合が早く良くなりますように。


4月5日

布団の中で本を読みながら、何度か寝直すと時計は7時45分を指していた。職場に行く気が起きず、そのままズル休み。

BOOK OFFで1冊100円で全巻が出ていたので買った笠井潔『ヴァンパイヤー戦争』が最終巻まで読みかけていたので、それを読んでしまいたいという思いもあった。が、とにかく疲れている。

『ヴァンパイヤー戦争』読了。全11巻と長い割には平板な印象が残る。スペシネフもガゴールもラルーサも大したことないじゃん、と思ってしまった。が、気に入ったところも少しはある。

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 ムラキの唇が嘲りに歪んだ。

「砂漠の砂、宇宙の塵。僕はそれで満足だ。無意味で、いっこうに構わない。そういう僕に、おまえはまだ、なにか誘惑の言葉を吐くことができるのか」

 血にまみれて苦痛に喘ぐネクラーソフの表情が、さらに激しく歪んだ。信じられない言葉を耳にしたかのように、不気味なほど目を大きく見開いている。苦悶のような呻きが唇から洩れた。

「おまえはほんとうに、ほうんとうに、無意味であることに耐えられるというのか。であれば、背後は深淵、前方も深淵だぞ。おまえは虚無から生まれ、虚無に還る塵芥にすぎないのだぞ」

「僕は、塵であり芥である。つまり、なにものでもない。深淵と深淵のあいだに、虚無と虚無のあいだに、一瞬だけ浮かんで消える塵埃にすぎない。それで、いい。それで充分だ。それ以上を求めることこそ『悪』だ。お前が体現しているように」(文庫判第8巻 p.302〜303)

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主人公の九鬼よりムラキの方が私は好きだ。が、九鬼の言葉にも好きなものはある。誰であろうと、自分の相手をしてくれた女性には戦友として敬意を表すし、その戦友に害をなす者は許さないという内容の台詞がそれ。

昼過ぎ、川へと散歩に出る。久しぶりだ。川沿いにはずっと桜並木が植えられている。満開はすぎていたが、風がそよそよとある度にひとひらと桜吹雪が舞う。芝生に座り込んでビールを飲んでいると、自分に向かって渦巻きの桜吹雪が吹いてきた。これは奇麗だった。

都内を流れる川にしては珍しく、まったくと言っていいほどゴミはない。川面には桜の花びらが一面に敷き詰まり、それがさらさらと流れていく。

平日の昼間だし、どこの駅からも近くないので遠くから来た人はいないはずなのに、花見をしている人がいっぱいいた。中にはジュースで乾杯している小学生のグループもいた。

夜、月月さんから電話。職場を辞めて1週間ほど実家に帰るのだという。現実をリセットするためのマンガとして司敬『竜馬翔ける』全9巻(実業之日本社)と菊池秀行原作/細馬信一画『魔界学園』全21巻(秋田書店)を勧める。

調子が良くなったら、早く作品をアップしたサイトを見せて下さい、月月さん(月月さんは美大卒の人形作家です)。


4月3日

中国人の女の子、Lに会う。片言の日本語で「何かあったの?」と私に質問。「いつだって何かある」と私は答えた。


4月2日

職場を後にして渋谷へ。ダンディ社長の許へ。合意書に署名捺印し、支度金を受け取る。ありがとうございます。

林さんを伴って飲み屋へ。仕事で尊敬した林さんの下で働けると思い、緊張と喜びがないまぜになった感覚を持っていた私だが、ダンディ社長のこの日の説明で、私とすれ違いで林さんが退職されると告げられた。林さんの後任が私。なー! 引き継ぎも兼ねて週に一度程度で食事でもしましょうと。それはいいのだが……。

林さんとお酒を飲むのは二度目だと思う。でも、この日は外部の人がいないので、ちゃめっ気のある林さんを見ることができた。縄文文化の復興が日本再生の道だと思っているダンディ社長は江戸文化というものも縄文以来の日本の精神性の結晶であると思っているようだ。そのことの是非は取りあえず措く。江戸文化の話から私が「当時の長屋は向こう三軒両隣は奥さん共有だった」という話をしたら、「そんなことあるはずない」「男女の間の嫉妬というのは洋の東西、過去現在を問わず非常に強いものだ」と力説。すると、ほろ酔い加減の林さんが小林旭か怪傑ズバットのように右手の人さし指を立てて「チッチッチ」と左右に振った。「違うんだなぁ。●●さん、落語を聴かなきゃ」。林さんは決して美人ではない。容貌を類推するには作家の高村薫に似た作りと言っておけば、さほど間違いはないと思う。が、その指を「チッチッチ」と左右に振る林さんは何だかとっても可愛かった。

林さんと私は、それがあったという立場。社長はそんなことあるはずがないという立場。

話題が変わって、家族制度の話になって、ほ乳類の社会の最小単位は家族である、とダンディ社長は力説した。

それに対し私は個体だという立場をとったら、けちょんけちょんに言われた。定義がどうだの言い出していたら、いい企画はできないのだよ、最初に会ったときから思っていたが、君は人の揚げ足をとるところがある!と。

それには一切反論せずに聴いていたら「……まぁ、正確であろうとするのが君のいいところでもあるのだが……」と一人でオチを付けてくれた。が、その途中で「よく知りもしないことを断定的に言うな」と言われたのだが、それって可笑しくないか。江戸の話は「そんなことあるわけない」と自分の常識だけで反論していたのに。

まぁ、色々なことを思った通りに言える職場というのはいいものだと思います。


3月31日〜4月1日

華厳の北さんのところで酒宴がある。開始は夜の8時ということだったが、盛り上がってから行こうと思って、10時過ぎぐらいに華厳の北さん宅に到着。華厳の北さんの酒宴に出るのは東京に帰ってきてから初めてだ。以前の印象からしてわんさか人がいると思っていたのだが、この日はこじんまりとした人数だった。青山さんに会うのも久しぶり。

「リウカ、特務機関員みたいだな」

と私の私の着ていたコートを華厳の北さんが寸評。もらったものだから正確には知らないが、このコートは恐らく中国人民解放軍の軍用だと思う。普通のコートを着ていても軍人のようだとはよく言われるのだから、軍用を着たらなおさらだ。

華厳の北さんに借りていた津田真一『反密教学』(リブロポート)を返す。これ読めばと今度は井筒俊彦『意識の形而上学』(中央公論社)を貸してくれた。夜通し飲んでいて、次の日、昼下がりに花見に出る。

池上本門寺に行く。桜は満開である。華厳の北さんの飼い犬を連れての珍道中。長い石段を上がりきると境内だ。以前の建築とあちこち変わっている。

日蓮像の下で一休み。この日蓮像もそんなに古いものではなくて、20年ぐらい前に作られたものだ。アルミ製という、この手の像としては珍しい素材で、出来立ての頃はピカピカして非常に安っぽい印象であった。

一応20年経てば少しは安っぽさは軽減している。が、そもそも私は日蓮が嫌いなのだ。

「私、日蓮嫌いなんですよね」

「オレ、この日蓮像に上って、頭から一升瓶の酒、かけたよ」と参加者の一人。それはちとやり過ぎでは(笑)。

力道山の墓を久しぶりに見る。子供の頃のことだが、この力道山の墓の周りに3,4人の中学生ぐらいの少年がいて、墓石を蹴りながら「くやしかったら、かかってきてみろ!」と怒鳴っていたのを覚えている。

ある墓石の前に野良猫が昼寝をしていた。猫好きの私は無論ちょっかいを出す。撫でると目を細めてごろんと腹を出した。快晴の桜の花の満開の下、墓石の前で腹を見せる猫を撫でる軍用コートの男。

時間が間延びしたような昼下がりだった。


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