日誌2002年1月

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1月26日

直観の声に従って、また『修羅雪姫』を見に行く。舞台挨拶の回は無料招待券は使えないのだと。昨日、券をもらったときに「明日も使えますか?」と尋ねて「使えますよ」と返事をもらったが、質問の詰めが甘かった。この回には使えない。

生の釈由美子登場。ブルガリアの民族衣装風の色合いと質感の服装。生の釈由美子も初めて見たが、生のカメラ小僧も初めて見た。こんな風にみんな撮影するのか。釈由美子の存在はなんかいい感じであった。カメラ子小僧たちは、釈由美子の挨拶が終わると映画に見向きもしないで、みんな後を追いかけていった。

下のは、今日だけの特典の一つの釈由美子の挨拶文。字がYの字に似ていると思った。


1月25日

カニノフチさんのところで作業をしてから、新宿へ。月月さんと映画『修羅雪姫』を見る。正月映画のはずなのに、観客席は閑散としていた。平日だからとはいえガラガラ。主演は釈由美子。粗筋は腑に落ちないが、釈由美子は悪くなかった。

上映の途中でカーテンが閉まりかかるという映画館側のミスがあったため、帰りに無料招待券をもらった。映画館入口の説明によると明日は釈由美子が舞台挨拶に来るらしい。月月さんは生・釈由美子が見たいらしいが、明日は用事で九州に行っているので見れないという。招待券もらったのだから明日、来たらどうですかと月月さんに言われた。

その後、私の地元の蕎麦屋で食事をし、名曲喫茶へ行って歓談。閉店の11時まで話した。駅へと向かう道で、小猫が出てきて追いかける私。月月さん、楽しい日をありがとう。


1月22日

朝方、なんかでっかくて光っているつり目の存在が私の側にいる夢を見る。聖なるものというより、やんちゃな精霊(?)という感じ。外見をたとえれば光るパタリロか。その存在に「横にいるから感謝しろ」と言われ、「はい」と答えた瞬間にガクンと目が覚めた。


1月19日

1月10日の日誌で言及したラショウ氏著の『巨人のイタチョコの星のシステム』(毎日コミュニケーションズ)をBookOffで結局、買う。買ってから気がついたが、ラショウ氏のサインがある。「ハウ・ア・フーン」と鳴き声つきのロデムも描かれている。サイン本であるのは嬉しいが、サインまでもらった人がこの本を売ったことに一抹の淋しさを感じる。

何度も何度も読み返した。そして、また何度も読み返した。

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では、このマンガの最後でもそうだったが私は結局一つのことだけを最後に云って締めとさせていただきたい。
『決してアキラメないこと!』
これだけである。皆さんも、たとえどんな責め苦にあってもこのカギだけは堅く握り締め、渡してくれるな。
そうすれば絶対負けることはないのだから。

(同書「おわりに」より)-----------------------------------------------------------

夜7時、TV朝日系の「これマジ!?」でアポロの月面着陸は嘘だったという話の続きを見た。2週に分ける理由がよくわからない。1回で放映できるだろう。

元のアメリカの番組は『X−ファイル』で有名なFOX-TVだそうで、アメリカではすでに論破済みらしい……。論破しているというページを(2002.4/14追記 このページの内容を翻訳したページがありました)見にいったけど、図版のない文章だけの英語ページで熟読する気が今はない。
斜め読みすると、影が平行ではないのは、パースペクティブのせいで、そんなの地上でも写真をとったら平行にならないでしょ(大意)とあった。
そりゃ、パースで平行にはならないだろうけど、影の延長線が地平線の手前で何箇所も交差することもないと思うのだが。
ただ、あの番組で、違う日付で違う場所なのに同じ背景という指摘は、そもそも同じ場所なのだと反論していた。

また、1月12日の日誌に「月面着陸が本当だと信じているアメリカ人は5人に1人程度だという」と書いたのだが、反論ページによると、ギャロップの調査では月面到達を信じない人は6%程度らしい。桁が違う。


1月18日

朝、10時、智禾さんの紹介してくれた弁護士のところに行く。テキパキとして解りやすい説明。

昼、2ちゃんねるの灰野敬二スレッドで、「わたしだけ?」のポスターを欲しい人に応募してきた人に会ってポスターを渡す約束だったので、一旦家に戻る。食事をする時間がなかったので、駅の近くの立ち食い蕎麦屋に入った。自分の注文した蕎麦が出てくるのを待っていると、ホームレス風の老人が、オレの注文した蕎麦はまだか?!と厨房の店員に文句を言う。尋ねられた若い店員はしどろもどろしていたが、蕎麦を茹でていたおばちゃんが、「そんな注文受けてませんッ」と言い、店員には小声で「相手にしちゃダメ」と言った。

自分の注文した蕎麦が出てこないと老人は繰り返す。いつしか厨房の店員は全員が老人を無視していた。やがて老人はバカヤロとかぶつくさ言いながら店を出ていった。厨房のおばちゃんは「しつこく言ったら折れると思ってるのよ。絶対、相手にしちゃダメ」と言ったかと思うと「でも、時たま、ホントに食券出すからね。気をつけてね」と付け足した。毎回ごねるのではなく、時たま本当に金を出して食べることで成功率を上げようとしているのだろうか。

約束の女性に会う。灰野さんのポスターの他にチラシや、ラリーズの水谷氏のファクス・インタビューの載った「ミュージック・マガジン」を渡す。昔、B社にいた経理のアルバイトの人に顔が似ている。が、そんなことは言っても解らないだろうから言わなかった。向こうは向こうで私のことを女性だと思っていたという。サイトのURLをメールで送ってあったのだから、開設者紹介を読めば男だと解るだろう。しかし、メールの文章だけだと女性と思われたのは何か変な経験。

夕方、今度は池袋の別の法律事務所に行く。とあるNPOが紹介してくれたのだが、池袋に着いたら電話して下さい、ということで当の事務所の名称や住所を教えてくれない。親切のつもりで電話で道案内したいのかもしれないが、かえって面倒。結局、電話の道案内では見つけられず、行き先の電話番号と住所を電話で告げる。案内が間違っていたのは、道順じゃなくて、ビルの色であった。「赤レンガのビル」と言ったら、赤いレンガのビルを誰だった想像するだろうに、実物は赤レンガのビルではなかった。一言で言えるような色合いではないし、壁面もレンガじゃなくてタイル貼り。これでは判りません。予約してあったはずなのに中で1時間ぐらい待たされた。

結果はあんまりいい感じではなかった。朝に行った先の弁護士は挨拶のときに名刺を差し出したが、ここの事務所の人は名刺を出さない。話が終わってから「名刺をいただけませんか」というと、ちょっと待っていて下さいと部屋を出ていき、数分間戻ってこなかった。で、戻ってきて渡してくれたのは、そこの事務所の案内地図だった。悪用を恐れて渡さないのだろうか。


1月17日

智禾さんとぶるまんさんに相談しにいく。大変助かりました。

ところで、ドイルは鎬に何の攻撃をしたの?


1月15日

透派関係の本を中野の大予言に売却。

帰り道に、中野のアーケードで、N沢さんに遭遇。10年前、三鷹のとあるギャラリーで出会って以来の知り合い。といっても、年に1回会うか会わないかという程度の知り合いである。

前にアーケードで遭遇したときも、喫茶店に入るでもなく、中野駅まで一緒に歩いて話したが、今日もそうだった。前に会ったときには、とある人文学系の小出版社の編集をしていたはずだが、そこはリストラに近い形で離職し、今はとある会社で資料蒐集の仕事をしているという。別に外資系でもないのに、テロの余波(と会社側の説明)で10月・11月は給料が出なかった、とN沢さんは語る。N沢さんの正確な年齢は知らないが、50代だと思う。「いや、このまま給料が出なかったら、どうしようと思ってましたよ」などと語る。それは大変だろう。

この日に振り込まれる入金があるので銀行で残高照会したら、残高がほとんど変わっていない。変だと思って記帳してみると、同額ぐらいの引き落としがこの日にあったことを忘れていたのに気付く。ダメだ。

2001年12月27日の日誌に書いた謎の鮮魚店に、その前を通る必要はなかったのだが、近くに行ったので通ってみる。買い物をしている人を初めて見る。店の人であろう夫婦も初めて見る。見てしまうと謎らしいものはないが、店の奥のガラスケースには魚はほとんどなく、店頭のガラスケースには和え物みたいなものが一皿あるだけなのに、真新しい電光掲示板は「仕出し各種、弁当……」などと電光文字を映していた。店主と思しき人は初老ではあるが、76年商売しているとは思えないので2代目なのだろう。


1月14日

無明庵の掲示板で、ほうざん氏が香林堂という会社の「麝香林」(じゃこうりん)というお香を勧めているのを読む。今度買おう。


1月13日

色々なものへの関心や情熱を失いつつある。そんな状態を自分で眺めている。

クリシュナムルティに最初の衝撃を受けた私は、衒学的なことに半端な関心を寄せながら、それらは最終的に大したことはないという変なたかの括り方をしていた。

ただ、師匠の元にいたときに、ある面、必要も感じて占いの本も割と買った。師匠は、その青年時代、随分と運命学に入れ込んだという。が、師匠の元にいた間に、直接、占術を習ったことはない。

師匠の習った流派なら正しいのだろうという思い込みがあった。師匠が習った流派は透派(とおるは)という。東洋占術をかじったことのある人なら知っている、張耀文氏と佐藤六龍氏で有名な門派である。初めて、その門派の名前を聞いたとき、台湾渡来の門派なのに何で「とおる」という訓読みなの?と不思議に思った覚えがある。

両氏の著書について調べたとき、その数の多さ、値段の高さに少々唖然としたが、内容が確かならそれぐらい安いものなのだろうなと思っていた。

手元不如意なのと、当時、東京を離れていたこともあって、幸いというべきか透派の教室に通ったことはなかった。私より一足早く東京に帰ったVは、透派の教室に通ったのだった。が、元がOSHO派であるVは、占いに幻滅して瞑想に戻った。

当て物よりも、占いが当たるシステムというものがあるのなら、それは世界の成り立ちについての一つの解明になるだろうというのが私の関心であった。超能力で当てるのでは、こうした興味は持ちえない。

今日、とある掲示板で、100万円近く透派につぎ込んだ(と自称する)人たちが、透派はインチキということを書いているのを読んだ。のみならず、張耀文は実は日本人で、その張と佐藤六龍の二人が昭和30年代に日本で透派を作ったとあった。複数の書き込みから、その話に信頼を置いた次第。

Vから譲ってもらった佐藤六龍著『五行活用秘儀』(香草社)が私の本棚にある。この巻末に「正しい五行易の学び方」という章がある。実名こそ挙げていないが、加藤大岳(易の大家として有名な人)の『五行易精蘊』を口を極めて批判している(教室に行ったことのある人の話だと、透派以外の占術はすべてインチキと言ってるらしいが、それは私は知らない)。感情的に批判しているわけではなくて、読んでいると納得するような批判なのである。

また、北条一鴻という占い本の執筆者がいる。我こそは真伝の継承者で、他の占いは全部、デタラメと主張している人。そこだけ取りだすと誇大妄想狂なのだが、『諸葛孔明の占法』(徳間書店)にある、他の占いの批判は筋の通ったものであった(これは北条氏のサイトでも読める)。果たして、一人だけが真伝で、他の占いが全部インチキなどということがあるものなのかと思って、その『諸葛孔明の占法』を師匠に見せたとき、決して熟読したわけではなかったが、パラパラとめくって「よく勉強してるね」と評したので、それなりの信頼を寄せていたのだが、同じ掲示板で、北条氏の著作に数十万円つぎ込んだ人たちが、真伝かどうか別にしてまったく当たらないという体験談を書いているのを読んだ。そして、著作ごとに占いのシステムを変えていることに批判がなされていた。占術家という以前に、人間として信頼されないという話。

佐藤氏の場合も北条氏の場合も、批判が的を射ているが故に、批判者を正しいと思ってしまうという思考を私はとってしまった。が、批判が正しいのと、批判者の持っている説が正しいのは原理的に別のことだ(誰かを嘘つきだと証明するのと、本人が正直者であるというのはまったく別の話だということ)。改めて思い知る。

志水一夫著 『大予言の嘘−−占いからノストラダムスまで その手口と内幕』(データハウス、1997改訂版)を以前、読んでいて、インチキな占いがやはり多いのだなと思っていたけれど……。

Dr.コパはインチキと人に説明したことのある私だが、人に説明している場合ではありませんでした。

武術家で、流派を詐称している人は知識として知っていた。呉伯焔(ゴ・ハクエン)などは有名だし(ちなみにこの人も日本人)。ちょっと考えると、武術教室でインチキ通すのと占い教室でインチキ通すことの比較なら、占い教室でインチキ通す方が簡単だわな。

そうそう、昔、武術家の流派と技術について簡単に括ると次のようになると私は考えた。

 1)歴史も技術も本物

 2)歴史は本物だが、技術はダメ

 3)歴史は偽物だが、技術は本物

 4)歴史も技術も偽物

1)が一番文句がない。4)が論外なのは明らかだが、自分で流派を立てる人は私が見るかぎり、4)が多い。問題なのは2)と3)である。2)が3)を批判しているのを見ると、個人的には苦笑してしまう。この括りは、武術流派を考えたときに思いついたけれど、占いでも学術研究でも構造は同じだと再認識した。

何百万円(そんな金ないけど)もつぎ込む前に、気付けた私は、つぎ込んだ人たちより運がいいと言えるのだろうか。それにしても、信頼に足る本は、一体どれなのだ。死体累々。


1月12日

昨晩はTVで『風の谷のナウシカ』を放映していた。名作の誉れの高い作品だが、私はこの作品が好きではない。旧作ルパンのファンだった私は、宮崎駿のアニメは基本的に好きだ。が、『ルパン三世 カリオストロの城』と『ナウシカ』は嫌いである。どちらも、作り込みは優れている。が、設定そのものに無理があるだろうというのが私の考えで、それは『ナウシカ』を試写会で見た20年前からほとんど変わらない。

ときに、なんで宮崎駿は王国に伝わる伝説と伝説を成就する女王が好きなんだろう(その点は『カリオストロ』も『ナウシカ』も『天空の城 ラピュタ』も同じ)。

簡単に言うとファンタジーとしてならアリなのだろうけど、一応、「炎の7日間」とかいう核戦争後らしき戦争から千年後という設定が、なまじSF風なので嫌なのだ。腐海という所にいる生物群を、ナウシカたちは虫だと言っているのだが、顎や羽の構造からして昆虫ではない。手塚治虫や松本零士なら昆虫好きだから、こんな虫たちは描かなかったろう。何やら訳のわからない節足動物としか言いようがない。

昆虫ではない節足動物でもいい。それが戦争後の汚染で変化したというのが変なのだ。『ナウシカ』を見ていると、人間が一番変化していなくて、その他のほ乳動物(ナウシカの飼っているテトとか)や鳥類が変化し、哺乳類などより遥かに放射線障害など起こさないだろう節足動物が一番変化してしまっているのが、理解できない。

SF仕立てにすると、虫(節足動物)の方がそのままで、人間の方が変化している(おそらく奇形化)していることになる。それだと非常に怖い(グロテスクな)アニメになってしまうから「田辺のつる」(高野文子)風の演出にしたのか。

古本屋に『ロングマン英英大辞典』などを売る。買い取り価格千円。もうちょっと値つかないかね。

しょうたと生徒会長の部屋」に書いたこと。ここで生徒会長さんは、立ち食い蕎麦屋のような立ち食いラーメン屋は成功しない、貧乏人は即席麺を食べていればよい、という趣旨のことを書いた。

最初、漫然と読んでいたのだが、不思議に思うことがあって書き込みをした。

> 言われてみれば確かに立ち食いラーメンはないなぁ、と連想していると、
> 即席麺では、ラーメンの方が圧倒的に主流であることに気付きました。
> 即席麺やカップ麺に蕎麦やうどんはほとんどない。
>
> 立ち食いは普及しないが、即席麺は多い → ラーメン
> 立ち食いは普及しているが、即席麺は少ない → 蕎麦
>
> という二つが同時に成り立っているというのは、一般大衆のいかなる嗜好と
> 考えるべきなんでしょう。
>
> 蕎麦は安くても早いのがいい、という考えが背景なら、蕎麦の即席麺が
> もっとあっていいと思うし、ラーメンはやっぱりラーメン屋でなきゃと
> いう考えが多いのなら、ラーメンの即席麺と日本蕎麦の即席麺の量・質に
> これほど差があるのは不思議です。

夜7時、TV朝日系の「これマジ!?」を見る。アポロの月面着陸は嘘だったという内容をやるというので見た。

掲示板に書いたが、数日前に「Dias」という雑誌の記事でこの番組のことを取り上げていたので知ったのだ。その記事によると、月面着陸が本当だと信じているアメリカ人は5人に1人程度だという。日本の常識からすると予想以上に少ない。

月面着陸の映像がでっち上げであるという話は、いわゆる「トンデモ本」の世界では根強く言われていたことだが、日本のTV番組で紹介されたことは今までなかったと思う。

疑惑のポイントで挙げられたことは、「ボーダーランド」(角川春樹事務所)1997年6月号で見た、イギリス王立写真協会員のデビッド・パーシー氏の指摘と変わらない。曰く、太陽しか光源がないはずなのに、被写体の影からして複数の光源が認められる。ピント合わせのための十字が被写体の背後に隠れてしまった写真が複数ある云々。ただ、アポロロケットを設計した会社のロケット技術者が、当時の技術で月面に着陸できた可能性は0.0017%だと言っていたのは初めて聞いた。可笑しい。その確率で実行に移したなら神風特攻隊ではないか。

あと、ロズウェル事件(1947年に起こったとされる円盤墜落事件)でやたらと名の上がるエリア51に、月面クレーターを模したクレーターが掘られているのをソ連の衛星が撮影した写真も初めて見た。ま、これは訓練用という名目も立つのだろうが。

月面での隊員の行動を2倍速で再生すると地上の動きと何ら変わらないということを疑惑のポイントに番組で挙げていたが、それ自体は疑惑にはならないだろう。とはいえ、小学生の時に月の重力は地球の1/6だと本で知ったとき、アポロの隊員はもっと高く飛べるのではないかと思ったものだ。

来週も続編をやるというので見てみよう。


1月11日

中野の大予言に本を売りに行く。20冊ぐらい売った。読んでいない本もあったが、買ってから何年間も読まなかったのだから、(事典類でもなければ)利用するとも思えないので処分。

帰り道に自然食品店でゆで小豆の缶詰めを買ってきて、ぜんざいを作る。作るといっても、お湯に溶いただけだが。

近くのBookOff に『巨人のイタチョコの星のシステム』(毎日コミュニケーションズ)が出ていたのを見たのは、数日前だった。1999年の出版。「Mac Fan」に連載されていた頃、毎月、読んでいた。そう、昔は律義にMacの最新情報をチェックしていたのだ。今は「Mac Fan」も買わないし、毎号買っている雑誌は一つもない。

イタチョコシステムは、変てこりんなゲームで名を馳せていた会社。代表戸締まり役のラショウ氏の描くイラストをパソコンショップで見たのは、「Mac Fan」の連載の前だが、凄く気になったものだ。とはいえ、私はゲームは全然やらない。けれど、ラショウ氏のイラストとそのセンスは好きだった。

「Mac Fan」で連載もしていないし、今はどうしているのかと思ったら、ちゃんとサイトは残っていました。(3月9日追記:ここに「イタチョコ」の検索で来る人が相当数いるようなので。ラショウ氏の個人サイトはこちら

検索してみると、専務戸締まり役だったオーツキさんは、イタチョコを辞めたようだ。でも、活躍されているようでなんだか嬉しかった。オーツキさんのサイトはこちら

ゲームをまったくやらないのにゲーム会社の社長の動向をずっと気にしているのは変だろうな。


1月10日

ぶるまんさんのライブの2次会に出て帰ると午前3時だった。メールチェックした後、寝ようとしていた3時半、電話が鳴る。一体、誰だと思って出ると、出た途端に切れた。着信履歴を見ると、非通知でかけてきている。Rは今まで非通知でかけてきたことはない。というか、うちに普段かけてくる人で非通知でかけてくる人は一人しかいないのだが、その人の間違い電話だろうか。

寝つきも寝起きも悪くて11時に起床。友人何人かに電話。

自分が育った街に行き、母親とお茶。うちの家族が前に住んでいたアパート(「日常の断片」の「私の住んでいたアパート」参照)で、隣家だった奥さんの話が出る。凄惨な家族ばかり住んでた部屋で、唯一明るい家族だったが、転居後不幸になった家族の奥さん。旦那さんは会社の社長だったのだが、最近会社が倒産したらしい。偽装離婚して、旦那さんは債権者から逃げ回っているという。奥さんは、今は回復して明るいらしいが、病気で胃を全切除してしまったので、興に乗って以前のようにハイテンションで話すと話し終えたときにダウンするとか。

アーケードの入り口にある古本屋に入ると、7日に自分が売ったのと同じ『近未来のための人間科学事典』が売られている。売値8千円。ちょっと複雑な思い。

駅の弁当屋にいなり寿司があるのを見つけて買って帰る。

「大学に行きたきゃ勝手に行け」と父に言われた私は、高校卒業後、予備校費用と大学入学費用を手に入れるため、その弁当屋・マコトのいなり寿司を毎日買って、ビル掃除のアルバイトに行っていた。半年以上、平日の昼食はずっと、マコトのいなりだった。「リウカくん、今日もマコトのいなりかい?」と、同僚は冗談半分に尋ねるのだが、私は「ええ、そうです」と真顔で答えていた。

日曜日は、そのビル・サービス会社が管理人を任されている、新橋のとある古いビルの管理人をしていた。平日に管理人をしている人が日曜日に休むから、その代わりだった。オフィス街の新橋は日曜になると誰もいない。カラスばっかりだった。で、食事をするにもほとんどの店が休みなので、駅の下にある商店に食べ物を買いに行っていた。新橋駅の商店にもマコトが入っていて、私はそこでいつもしめじご飯を買っていた。

平日の管理人だった徳重さんは、ビル・サービス会社の社長(当時28歳だった)の大学の先輩だとかで、司法試験浪人を続けていた人。勉強をする時間のとれるアルバイトということで、その管理人の仕事を紹介されたという。何浪していたか忘れたけど、結構な回数、失敗していたはずだ。そういうわけで、ラブロマンスにもとんと縁がなかったのだけど、私が日曜に行っていた頃、司法試験の予備校で知りあった女性といい線になって、「一緒に受かろう」と誓い合ったのだ(当然、女性の方がずっと年下)。結果、女性が合格して徳重さんは不合格。ロマンス終了。結局、徳重さんが司法試験に受かったという話を私は聞かなかった。

そんなこんなで高校卒業から8ヵ月ぐらいはまったく休みなしで働いて、180万円ぐらい稼いだのだった。ま、あの時は、一人暮らしではなかったので、朝夕の食事は母親が作ってくれたし、家事は何もしていなかったから、貯まるだけだったのだな。

というわけで、マコトの弁当、特にいなり寿司は私には思い出深い代物なのであった。時折、家に帰るときにそのマコトを覗いて、いなりがあるか見ていたのだが、行ったときに見たことがなかった。それどころか、一時は弁当屋の屋号も変わっていて、マコトは潰れたものだと思っていたぐらいだ。

パックの中のいなりの個数が5個から4個に減っていたが、価格はその頃と同じである。久しぶりにマコトのいなりを味わう。味は変わっていなかった。その味を噛みしめながら、あの頃みたいにがむしゃらに働こうと思った。


1月9日

質屋に行く。初めてこの質屋を使ったのはいつだろう。前にこの街に住み始めてすぐにだったろうか。それまで質屋を使うなどとは考えていなかったけど、いつの間にか色んなものを預けた。ラジカセ、ビデオデッキ、ワープロ、CD、パソコン、時計……。ワープロはこの質屋で流したのだ。一眼レフカメラを流してしまったのは、東京を離れているときに使った別の質屋だ。

近所のBookOff にビデオの『タイタニック』を売る。500円。何年か前のクリスマスに、尊敬している人からもらったクリスマス・プレゼント。尊敬している人からのプレゼントだったので、大事に受け取ったけど、趣味でないので見なかった。一度も見ないまま売るのは失礼かと思っていたが、このまま持っていてもまず見ないので、売る。

夕方、ぶるまんさんのライブ。ストーカー氏が、そのライブハウスの社長だということで、今日がその店での最後のライブ。店に儲けさせるものか、ということで、ぶるまんさんの入れていたボトルで8人が飲む。緊張感がいいように作用したのか、ぶるまんさんのライブは今まで聴いた中で一番、いい音だった。

前にも、この日誌で書いた、「しょうたと生徒会長の部屋」のしょうたさんも来る。というか、彼は常連だ。しょうたさんの方が私より年長なのだけど、しょうたさんは、なぜか随分と私に対して神経を使った言葉遣いをする。

私はすっかり忘れていたのだが、しょうたさんが語るには、その理由はこういうことだ。私が話すのに難しい相手だと思っていたが、同じく戸川純のファンであることを知り、それをきっかけに話を盛り上げようと考え、戸川純の歌を話題にした。が、「勅使河原美加の半生」を「ちょくしがわら・みかの半生」と言ってしまったところ、私がしょうたさんを侮蔑したような表情を浮かべたという。それで、打ち解けて話す機会を逸してしまって、なお私に対して気を使うことになったという説明だった。私はそのことを覚えていないのだが、恐く14年以上前のことだ。

ラテン語の原典読みに挑戦したり、ハリー・ポッターを原著で読んだり、万葉集を読んだり、明治時代の文豪の随筆を読んだり、漢詩を勉強したり、今年は理系のテキストを何か読破したいと言っていたりするしょうたさんは、教養は人並み外れてあるはずなのに、それでいて勅使河原を「ちょくしがわら」と読むのは変だということで、他の人にも突っ込まれていた。改めて変だと私も思う。

話題がアニメに変わったときのこと。しょうたさんは手塚治虫の「ミクロイドS」の原作だかアニメだか、どちらかの最終回までは見たということを自分から話し始めた。それを聞いて私はどちらも最終回まで見てないけど、ミクロイドたちがあんな小ささ(昆虫大)で、たいそうな戦いをしているような描写が可笑しかったという旨を話した。すると、しょうたさんは、その時までミクロイドたちが昆虫大だということに気付かなかったと言うのである。話を聞いていた、同席していた一人は、「最終回まで見て、それに気付かないというのは、相当難しいよ」とコメントした。


1月8日

昨晩、早く寝たら、午前1時半に目が覚めて、自分でびっくり。寝直したら、寝起きが悪い。

今年の日課を考える。神祇講式や倶利伽羅龍王陀羅尼経などについて検索。

ぶるまんさんから、ストーカーについてのメールをもらう。掲示板にいやがらせを書き込んだという。彼女の掲示板を見に行き援護射撃。

自分のとった独自ドメインからいやがらせの書き込みを掲示板に書き込むストーカーというのはバカだろう。

ぶるまんさんの掲示板は、teacupなので投稿者は自分で削除できない。そして、teacupはソース表示で誰でも投稿者のリモートホストを見ることができる。そのストーカー氏は、そのままさらし者になりました。

ほんとにバカ。


1月7日

夢に師匠が出てくる。ミッションの手伝いをしようとしている夢だった。手伝わないうちに目が覚める。

掲示板のフタゴタマガワさんの書き込みに影響されて、近所の自然食レストランに七草かゆを食べに行く。

隣駅の古本屋に本とビデオを売りに行く。『近未来のための人間科学事典』(朝倉書店)、『ヴァンパイヤー・ウォーズ』(角川文庫)など。買い取り値は締めて2千円。『近未来のための人間科学事典』は10年ぐらい前の出版。定価は1万5千円だが、3年ぐらい前に古本屋のタイムサービスで3千円ぐらいで買ったのだな。ビデオを売っている古本屋でも、ビデオの買い取りはしない店が多い。皆、異口同音に「売れないんだよね」と言う。BookOff でビデオを売る。定価ならば3万超だったと思うが、買い取り価格は600円。ま、いいでしょと思って売る。私の隣では、山となった古いバラのマンガ本を前に、「全部で180円です。こちらは残念がら買い取りで来ません」と言われる男がいた。

帰り道はとっぷり日が暮れていた。知らない道を歩いて帰ったが、途中でT氏の店があった場所に出る。「貸し店舗」の札はなくなっていたが、使われている様子はない。


1月6日

午前4時、携帯電話が鳴って起こされる。誰からかと思ったらRだった。

5日の昼、不倫相手の社長の奥さんから電話があったのだという。その社長の携帯電話宛のRからのメールは全部読まれていて、不倫がばれた社長は去年のうちに「もう止める」とか奥さんに言っていたらしいのだが、三が日、一緒にいてそわそわしていた旦那に詰問したら、まだ交際を終えていないと白状したため、電話をかけてきたらしい。その社長夫人がいたく冷静で切れ者であるとRから4日に聞いていたが、Rに対してまったく感情的にならずに用件を伝え、「二人で話したいことがあったら、どうぞ。私は聞いてませんから」と旦那(社長)に電話を渡したという。強者だ。

要するにRにとっての破局である。

奥さんからの電話をもらったあと、色々と考えていて眠れないまま午前4時を迎え、私に電話をかけてきたという次第。私は何人かには「電話をもらう分には何時でもいいからね」と言ってあるのだが、それをかなりの度合いで実行しているのがRだ。一番遅い電話で2時過ぎ、今回の午前4時はRからの一番早い電話の記録更新になる。

リウカが言った通りになった、とRは言う。正確に言うと私が言った通りになっていないのだが、フェイドアウトして友人になるのは無理だと見ていた私からすると、Rとその社長以外の第三者による強制力という点で、奥さんの介入による停止というのは、望ましい結末だったと思う。二人で話しあって「友達でいようね」と言ったところで、Rはそのつもりでも、おそらく男はそうならないだろうから。

体調が悪くて性欲なんかほとんどないのに、体ばかり求められてもね、とRがまたあっけからんと言う。

「私は、やっぱり友達でもいいから会いたいんだ」と言うので、ではどうしたら、それが可能であるか考えはあるのか尋ねると、自分の思いばかりで提案にならない。だから、それじゃ、提案になっていないでしょ、と私。そして、友達として付き合うというのなら、奥さんと3人で会うとかしか可能性はないんじゃないのと言った。

部屋の片づけをし、彼との付き合いに時間を割いたためにできなかったことをしてみたら、とアドバイス。それから、思いつくことを紙に書きだして眺めてみるといいよと言うと、「うん、そうしてみる」とRは答え、電話は終わった。

都合1時間半ぐらい話した。寝直して起きると11時だった。予定が大幅に狂う。

夕方、古本屋で永沢哲『野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙―』(青土社)を見つけ購入。年末に書店で見つけ、買おうと思っていた本。出たばかりなのに、古本に出ているのは、読んで売った人ではなくて、献呈されて読まずに売った人とみた。出たばかりの本が古本に並ぶことがこの街では異様に多い。


1月5日

昨日の夜、ある団体のセミナー予定表を見ていたら、5日に無料講座があるのを見つけたので、行くことにする。ただ、事前に申し込んでいなかったので受講できるかどうか判らない。が、ダメでももともとで行ってみる。

開始の30分前に到着したが、自分が一番だった。特に問題なく受講できることになる。無料講座について、幾つか質問をする。

無料講座の帰り道、そのセミナー会社のショールームに寄る。商品の価格表が欲しいと頼んでいると、奥の部屋から、社長であるT先生が出てきた。驚き。「あれ、リウカくんじゃないの? どうしてるの?」。「御無沙汰しております」と気をつけの私。少し会話。そう、私がB社にいたとき、T先生の連載を担当したのが、私だった。講座に出てよ、と直々にT先生に言われる。「はい、出席させていただきます」と答えてしまう私。お金を作らないといけない。「また連絡するから」とT先生は言ってくれた。あの先生のことだから形式辞令ではないだろう。新年早々、いい驚きである。

お茶の水を散歩。何年かぶりにジャニスに入る。レンタルはヴィクトリアの上へ移動していた。レンタルのトップ50のうち、1位・2位が裸のラリーズだというのが、なんだか笑える。いつもレンタル中らしい。そう、私も買いそびれて、ジャニスで借りたのであった。もう10年経つ。掲示板にも書いたが、ビデオの棚を見ていたら、ハフラートリオのビデオがあった。海賊版ではなくて正規版の映像らしい。

古本屋を見て回る。津田眞一氏の『反密教学』(リブロポート 絶版)があったので、手に取ると1万3千円などという価格を付けている。さすが神田だ。高すぎる。

『南北相法極意修身録』(人間医学社)という本を見つけ、購入。600円也。たまいらぼから、同書の現代語訳が出ていて、前から買おうと思っていたのだけど、買わないうちに見かけなくなったのだった。この日買った本は現代語訳なしの原文のみだが、意味は充分とれるので問題ない。

水野南北は幕末の観相師。百発百中であったという。その一代記については、以前、神坂次郎という作家が『だまってすわれば』(新潮社)という小説に著している。その南北の説く開運の極意は、食を慎むこと。昨今、流行りのフードバトラーや大食い選手権選手などは、南北からしたら運をわざわざ悪くする代表みたいなものだろう。

中野のスポーツ用品店でファイテンのRakuwaネックを買う。ファイテンの商品を色んな分野のトップアスリートが利用しているのは知っていたし、だから、購入しようと思ったのだが、ヒクソン・グレイシーがRakuwa Tシャツを褒めているのは最近知った。大予言で陰陽師の高橋圭也氏の「風水神呪」を買う。

帰宅して「風水神呪」を開封してみる。勝手に霊符のようなものを使ったキットだと思っていたのだが、お経(呪)のみだった。でも、その分、何回でも使えるだろう。

この日、「落合信彦」を検索語にして、私のサイトに訪れた人が3人いた。Googleでは(それを使っているYahooでも)ヒットした約5000件中、私のページは700番台に位置する。700番台まで見て、私のページに来る人が同じ日に3人もいるものかと思った。うち一人はアメリカのヒューストン大学からのアクセス。何かおかしい。


1月4日

何気なく携帯の画面を見ると、留守録音ありの表示があった。着信は昨日の夕方。ずっと持ち歩いていた気でいたが、携帯電話をコートのポケットに入れたまま、コートを兄の部屋にかけていたから気付かなかったのだ。

スチュワーデスのRからだった。

電話してみる。特に用事はなくて、東京に帰ってきたから電話をくれたらしい。話しているうちに、夕方、会うことにする。マイナスイオン発生器を譲ってくれるという。

約束の時間まで、近所を散策。ネットで見つけたリラクゼーション・スペースの場所を確認する。事業内容からして、お洒落な建物を予想していたが、探し出してみると実に昔ながらの日本の民家で、個人の表札の下に、会社の表札が小さくかかっていた。場所は覚えたので、今度、来よう。

7時過ぎ、Rの最寄り駅でRと落ち合う。会った途端に、すぐにマイナスイオン発生器を私に渡す。買えば15万円以上する品物なのに、邪魔者扱いのように感じる。そんなに邪魔なの?と尋ねると「使わないから」とRは答える。スイッチ入れっぱなしにしたって、大した電気料金にならないでしょ、と言うと、集塵機能のない発生器なので部屋がすぐに汚れるから嫌なのだとRは返答する。

駅の上のパスタ屋で雑談。

Rの恋愛についての話が大部分を占めた。実家はすこぶる辺鄙な所にあるが、仕事で東京だったり、海外に飛び回っている、ある小さな会社の社長とRは去年から不倫をしていたのだ。

陰湿なところが微塵もないRが話すと、不倫といっても陰のイメージは全然ない。が、あんまりなさすぎて、私はそこにツッコミを入れていた。

家を神戸に建ててくれると言ってたんだけど、籍は入れても入れてくれなくてもいいけど、家の所有権は譲ってもらって生活費は保証してもらわないと、といったことを平然と話す。

奥さんを蹴落とすという考えはまったくないのに、日陰者でいるという考えもない。奥さんに慰謝料を払った上で、その社長が自分の生活の面倒を見るのは無理そうだから、別れることを考えていると、この日、Rは話した。

確かにRは、以前から金持ちと結婚したいと公言していた。そうでないと生活できないというのが理由なのである。好きな人と結婚して、その収入に合わせて生活するということはできないの?と私は率直に質問した。「できないし、したくない」というのがRの答えだった。バカ高い料理教室に通いながら、Rが全然炊事をしないことは前に日誌に書いた。1回5万円以上する経済や生活を高めることについてのセミナーに毎月のように出席していて、それを削ることはできない、とRは言う。そんなにずっと、経済と生活を高めるセミナーに出てるなら、収入増えるでしょと尋ねると、それはまったくないのである。

信頼しているカウンセラー(そのセミナーの講師)に、その社長と付き合い始めに相談したときは盛んに交際を勧められたというのは、前にRと食事したときにも聞いていた。そのカウンセラーは相手の社長とも話していて、彼には「結婚するならスチュワーデスが一番ですよ」と言っていたことも、前にRから聞いていた。その当時、社長は既に妻帯者であったから、私は、何でわざわざ不倫を勧めるのか理解に苦しんだものだ。

で、先日、そのカウンセラーに相談したら、「今が引き際だろう」と言われたという。むーん。愛人としては「フェイドアウトして」「一生、友達でいなさい」というのが、カウンセラーのアドバイスであった。

Rから感想を求められたので、率直に言った。会わなくなるぐらいで、その社長がすぐに他の女性と付き合うような人なら簡単にフェイドアウトできるだろうけど、1日に何回も電話をかけてくる性格からして、友達に移行するのはほぼ無理でしょ、と。むしろ、1回、どこかでハッキリ切った方がいいと思う、と言った。

都合3時間ほど話したろうか、マンションまでRを送った。「ありがとう、またねー」と手を振るR。

自分の恋愛は成就しないものばかりだとRは言っていたが、それは私も同じだと思いながら帰途についた。


1月3日

同じく2ちゃんねるに「不失者・灰野敬二」のスレッドが立っていることをラリーズ・スレッドから知る。B社のときの後輩(といっても、彼が入社したのは、私の退社後)のムーニーから、以前、灰野さんのファースト・ソロ・アルバム『わたしだけ?』のポスターをもらった。彼の話によると、スターリンの初期のベーシストであった杉山晋太郎氏の部屋に貼ってあったものを譲ってもらったものだという。杉山氏は96年、杉並区の病院で病没。ムーニーは最期まで見舞いに行っていたらしい。

『わたしだけ?』はオリジナルのピナコテカのものを友人(「日常の断片2」の「乞食と呼ばれた男」と同一人物)からもらって持っていたけれど、これもB子と別れたときの処分したレコードで、今は手元にない。

1987年前後には、不失者のライブによく行ったが、今は全然聴かない。

というわけでポスターも押し入れにしまったままだった。捨てるのも勿体ないので、2ちゃんねるの「不失者・灰野敬二」スレッドで、ポスター欲しい人を募集した。

午後、母と駅で待ち合わせ。一緒に食事をとる。

1日には来るなよ、と兄に言われていたので家に行くのを3日にしたが、兄一家は全員留守だった。母は、とめどなく親戚の話をするのだが、声が小さいのと人間関係が飲み込めないので、正直言って内容がよくわからない。

TVのマジック・ショーを見ながら、母と乾杯。人の批判などついぞしない母だが、TVに映っているナポレオンズを見て、「この人たち、特にメガネかけてない方の人なんて、何もしてないのに、えらそうにしてる」と批判。確かに、その日出てきたマジシャンに対して、技量でナポレオンズが勝っているとは全然思えない。出演していたマジシャンの一人が息子に「マジックの種明かしをするのは、マジシャンとして活躍できなくなった奴のする、最後のことだ(大意)」と教えていたのは、ナポレオンズに対する当てつけか。 

「駅まで一緒に行くよ」と母は言い、夕方の街を一緒に歩く。紙袋を両手に下げ、遠目にもホームレスらしい老年の男性の人影を指して母が言った。「あの人は、父さんのお客さんだった人よ」

アーケード端のスーパーの前を寝所にしているという。閉店までどこかで時間をつぶし、閉店間際に帰ってくるそうだ。

この人が父の所に来てくれたお金で自分が生活させてもらったことがあるのだ、と思うと悲しい。その人のことを何度か振り返って見る。せつない。

帰宅すると留守電アリの表示。再生すると、姪っ子と甥っ子からのお年玉のお礼だった。少し破顔。

Phewのサイトを見ると「IMPROVISED MUSIC from JAPAN」というCDにPhew が参加していることを知る。で、参加ミュージシャンを見てみて少し驚いた。知人の秋山徹次くんが紹介の冒頭にいる。冷静になって考えると50音順だからトップなのだよな。共通の知人である秋山くんについて、N田くんと電話で話した。

この日も年賀状が2通届く。文通相手のSには、父が亡くなったことを手紙で書いて送っておいたのに年賀状が届く。読んでないのかな。でも、年賀状の内容は明るいものだったので、それは良かった。


1月2日

過去の日誌の穴埋めをする。

自分のページを検索にかけたところ、2ちゃんねるの「裸のラリーズ」掲示板に3回にわたって、私の2001年8月31日の日誌が引用されているのを見つける。2ちゃんねるだから、そんな掲示板もあるのだな。

今日まで知らなかったが、私を嘘つき呼ばわりしている人もいる。見ていない掲示板で嘘つき呼ばわりされてもなぁ。

小学校低学年の頃の唯一の楽しみは、年賀状を書くことだった。絵がメインで1枚1枚違う絵柄にした。年賀状を書き終えてしまうと、早くまた年賀状を書く季節にならないかなと思ったものだ。高校になるまでは割と手の込んだ年賀状を書いていた。1枚書くのに2日かけたものもあった。でも、最近は書く枚数も少ないし、もらう枚数も少ない。そして、小学生の頃みたいにのめりこんで書くこともしない。


1月1日

寝正月。少しはお正月らしいことをしようとおもちを食する。新年最初のアクセスは中国からのものであった。一体どなたでしょう。

普段の年から年賀状は少なかったかが、さすがに喪中のハガキを出しておいたので、知らずに年賀状をくれた人は仕事絡みの少数だけと思ってたら、U田さんから年賀が来た。

B子と別れた頃、うちに居候して色々、教示してくれた人。「あの二人は付き合ってんだよ」と教えてくれた人。天野一哉著『子供が「個立」できる学校―日米チャータースクールの挑戦・最新事情―』(角川書店)という本が同封されている。

確かにずっと教育関係の仕事(私塾や家庭教師)をしているはずだが、中にU田さんが登場するのだろうか。U田さんは、クリシュナムルティを夢に見て、「オレはオレのやり方でやるから」とクリシュナムルティに言ったということを、居候している頃に聞いた。

読んで欲しいということのなのだろうから、読むことにしよう。


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