T氏について私が知っている幾つかのこと

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■T氏は、父親が東大卒のマッドサイエンティストで、母親は現代芸術家であったという。父親は理科の教師をしながら、イオンクラフトの研究をしていたそうだ。要するに空飛ぶ円盤の研究ですね。

 母親が芸術家であったので、家の庭には、オブジェとして自動車が地面に突き刺さっていた。

■T氏の父親の家系は、その土地の豪農でかなりの資産家だったらしいが、T氏の祖父は、その資産をつぎ込んで忍術の修行にあけくれた。その祖父は、病院で死ぬときに、見舞いに来ていたT氏の目前で「いいかよく見とけよ」と言って、自分で息を止めて死んだ。

■実際の母親ではなく、実母の妹にT氏は育てられたと語っていた。まだ若い養母は、「私のことは、お姉さんと呼びなさい」と彼に強要したという。ヘビースモーカーで酒飲みのその養母は、社会常識からはかなり逸脱していたようだが、すごく奇麗な人だったようだ。

■中学生の頃から、新聞配達をして、アパートで独り暮しをしていたようだ。飲み屋の常連のおじさんからタップダンスやギターを習ったという。多芸多才は小さい頃からだったみたい。

■学校にはほとんど行かなかったらしい。ある日、学校をサボって河原で昼寝をしていたら、溺れている子どもがいたので助けた。市会議員か県会議員だかの息子だったが、ケチな親は、助けたT氏が子どもであるし、学校をサボるという不良であると思い大した礼を払わなかった。今やいい歳になったその息子は今でも「アイツの命は○○円」と陰口を叩かれる。

 これに限らず、人が死にそうな場面に出くわして助けたというエピソードを幾つか聞いた。シンナー中毒者が自動車事故を起こして、助け出したところで自動車が炎上などというドラマみたいな話とか。

■高校時代、交際していた女の子に送る手紙が届かなかったり、届いても開封した痕跡があったりと変だと思って調べてもらったら、配達夫が送り先の女の子に横恋慕していて、全部、開封して中身を読んでいたことが発覚した。

(ちなみに、私も一時期よく郵便事故に遭った。送ったものが届かない、送られたものが届かない。国内郵便なのに発送から数ヵ月も経ってボロボロになって届く。手紙が開封されているなど。郵便局に苦情を言っても、「そんなことはあり得ない」という回答であった)

■県内の国立大医学部を受験するが、合格通知は来なかった。1年後、実は地域の配達夫が配るのが嫌になった郵便物をロッカーにしまい込んでいたことが発覚、1年遅れの合格通知を持って、郵便局の人間が謝りに来た。

■中学時代から詩の専門誌に投稿していて、高い評価を受ける。寺山修司にほめられたとか。

■早稲田の劇研に所属していたことがあり、舞踏家の田中泯がほとんど全裸(局所だけ包帯)で早大の前で舞踏していたとき、一緒に全裸で踊ったT氏は警察に連行されてしまった。包帯を付けていた田中泯の方は逮捕されなかったそうです。

■劇作家の岸田理生に可愛がられる。可愛がるの意味が変わってきたので、逃走。

■早大在籍時に住んでいたアパートの隣の住人がいつの間にか彼の保険証で金を借りまくり、身に覚えのない借金の督促に遭う。その男はばれるまえに失踪していたので、T氏はその男の実家を探し出して「息子の代わりに金を払え」と言うが、その父親も既に慣れているらしく「息子の借金はわたしには関係ない」とにべなく拒否。

■左翼系学生が授業ボイコットを学生に呼びかけたときに、授業料を払っているんだから俺の金を無駄にすることを強要するな、と突っぱねたところ、学内でもアパート近くでもその系列の学生運動家に角材等で襲撃されるようになり、大学に行けなくなる。そしてインドへ。

■インドではタブラ奏者のところに弟子入りしていたこともある。

■不可触民の女の子が虐待されているのを見て怒り、ナタを持って虐待を行なったマハラジャの屋敷を一人で襲撃。ボディガードにボコボコにされて、数日、監禁される。

■インド滞在の長い日本人旅行者が、金持ちのインド人の自動車にはねられたが、その旅行者をチベット人だろうと思って、金持ちの使用人がその旅行者を処分しようとしていた場面に出くわし、「ノー、ノー、チベット人じゃない、日本人」と言って助ける。

■イタリアに留学し、大学に入り直す。当地で兵役にも就いたので、拳銃・小銃の扱いはもとより、戦車の操縦もできるとのこと。

■イタリア滞在時に自主制作映画を制作、向こうの自主制作の賞を受賞したらしい。去年、日本で公開されたある映画が、そのパクリだと言ってすごく怒っていた。

■国連関連の言語学研究機関の仕事を手伝う(T氏の専攻は言語学)。世界の少数民族の言語を採取するのが仕事。使っている人間が数百人しかいない外界との接触を避けている部族にコンタクトをとろうとしたとき、上司が、うちら白人より、黄色人種のキミの方が彼らを刺激しないだろうと、T氏に腰簑ひとつで両手を挙げて居住区に近づくように指示。言われたとおり、腰簑ひとつでT氏が歩いていくと吹き矢で攻撃され命中。それには毒は塗ってなかったが、近づけば殺すという警告だった模様。

■御巣鷹山のジャンボ機墜落事件のときには、TV局から急遽取材の仕事を依頼され(当時の住所が同じ県内だったから)、民間人としては、一番最初に現場に到着。黒焦げの人肉が転がる現場については「あれだけは二度と思い出したくない」と語っていた。

■郷里の近くでライブハウスを経営していたときには、フレッド・フリスなども招聘していた。

■税務関係の調査から、書類上、身に覚えのない会社の社員にされていることが発覚。誰か彼の個人情報を利用して幽霊社員を創作していたようだったが、誰が首謀者なのか、結局わからなかった。

■自身もバンド活動をしていた。自主制作でLPも発売している。私はそのLPは買っていなかったが、T氏に会うはるか前に確かにそのLPが音楽専門誌「フールズメイト」(ヴィジュアル系に転向する前は、プログレやパンク、インダストリアルの専門誌だった)にレヴューされていたのを見た記憶がある。演奏技術に関しては微塵の妥協もしないバンドだったらしい。

■どこで覚えたのかは聞かなかったが、ジャズの曲もクラシックの曲もピアノが弾けた。住宅販売の営業マンをしていたころ、金持ちの家に行って「ああ、ピアノがおありなんですね、ちょっと弾いていいですか」とさりげなくショパンなどを弾くと、成約率が違うと言っていた。

■ライブハウスを経営していたとき、地上げ屋にトラックを突っ込まれたりしたそうだが、組の事務所に日本刀や槍を(地方の旧家なので、家に元からあったという)持って殴り込む。向こうがビビッてしまい、「話し合おう」と言わせたとか。

■冒険家・植村直巳が最後の冒険に着用してた防寒着は、T氏によるデザイン。予備に作った同じものが1着あるけど、日本では使い道がないと言っていた。

■有名なS弁護士失踪事件のときに、フリーのジャーナリストとして取材を開始するが、自衛隊の非公然部隊(別班第二部)につけ狙われるようになったため、命が危なくなったので、国外へ逃亡。

■インドにいたときは、イギリスの諜報機関のネゴシエータとしての仕事もしていた。

■イタリアの通信社の特約記者のような仕事もしていて、オウムの村井氏が刺殺されたときは現場にいて、写真も撮影した。(この時の写真は、私も見せてもらいましたが、凄まじいものでした)

■西洋の美術史に詳しいのはイタリアにいたせいかもしれないが、T氏は日本の書画骨董の目利きもできて、実際、そういう仕事もしていた。

■TV番組の制作に携わらないかと話を持ちかけられ、スタッフ数人とタイ(だったと記憶する)に渡航。が、お金を預かっていた人間がトンヅラ。日本に帰るお金もないまま全員、タイに取り残される。方々に電話してどうにか日本に帰り着くが、当然、番組は作られなかったし、ギャラも発生しなかった。

■ある時、突然、知らない老人から会ってくれと頼まれる。会ってみると、「君の実の父親は私なのだ」と告げられる。T氏は、その時、既に40歳を超えていた。その老人は、T氏が父親だと思っているT氏姓の男性と東大時代の学友で、T氏の母親を二人して奪いあったとか。

 その老人の奥さん(二人とも大学教授)が、T氏を見て「あらま、若いころのあなたにそっくりじゃない」などという。

 その話を聞いて、お金に困っているなら、その「父親」を名乗っている人に相談すればいいではないですか、と私は尋ねた。夫婦二人とも世界中飛び回っていて、ほとんど連絡が付けられないという話だった。

■いちいち名前は覚えていないが、変な女性にT氏は矢継ぎ早にもてた。会ったばかりの女子高生に交際を申し込まれたり。その一方で、T氏の方から親切にした女性は、知っている限り、みんなT氏に恩知らずなひどい仕打ちをしていなくなっていった。
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