奇跡っぽいこと

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B子と別れ、HM社を辞めた頃、とても働ける心理状態ではなく、しばらく何もしないで過ごした。食材を買いに出るのと銭湯に行く以外、ほとんど外出しなかった。家でもほとんど寝ているだけだった。蓄えがないので本を売った。それだけで2ヵ月暮らした。

それまで年に数回しか飲まなかった酒が、1日にワイン1本という酒量になった。

そんな風に自己閉塞してアルコールに浸って寝ころがっていたある晩、それが来た。寝ている自分の足下の方から、光の粒がサーっと上がってきて、自分の体をくるんでいった。その光にくるまれると筆舌に尽せない解放感と至福感があった。「聖なるもの」があるんだと深く実感した。別に神仏が眼前に現われて救けてくれたわけではない。何か言語的なメッセージを受け取ったのでもない。あくまでも感覚なのだが、あれが夢だというのなら、いわゆる「現実」のリアリティなど夢に遠く及ばない。

それ以前から、夜中、足を何者かにずるずるとひきずられたりとか、何物かが自分の上を這っているとか、体が浮き上がっている感覚を覚えたことはあった。でも、それらには「聖なるもの」という感覚を惹起するものがなかった。その点で、この晩の出来事は違った。

その「聖なるもの」の感覚のなかで、それまでの自分を深く懺悔した。「ひれ伏す」という感じに近かった。それは自然な出来事だった。具体的にどう救ってくれたのかということは全くない。だが、「救われた」という感覚はあった。

しばらく成り行きに任せていたのだが、光の量が増すと肉体が耐えられなくなった。恩寵に肉体が耐えられないのである。このままだと自分が破壊されると直観した。恐怖感というものはなかったが、とにかく耐えられなかった。至福が苦しくて堪らない。ずっと以前にある人に教わったある印を切って「終わらせて下さい」と嘆願した。

すると印の効果なのかは判らないがしばらくして、光は収束していった。夢でないことを確認しようと起き上がってみた。残光なのか、自分がほんのり光っていた。そして、体重が全くなくなっていた。まるで浮いているかのような軽やかさだった。その不思議さに表に出て歩いてみたが、変わらなかった。まるで浮いているようだった。合気道の開祖の植芝盛平に起きたという黄金体化というのも、こんなのだったのだろうかと思いながら、アパートの周りをぶらぶらした。

次の日にも、その感覚は残っていた。まったく体重を感じないのである。アルコールによる錯覚でも夢でもなかった。これは凄いことかもしれないと思い、実はこんなことがあったのだ、とB子に電話した。別れた女性に何故と今なら思うが、その時には、他にこの話を話すような相手がいなかったのだろう。あるいは自分に凄いことが起きたことを示して関心を引き、ヨリを戻そうと計算したのかもしれない。

しかし――、こちらの高揚をよそに「馬鹿じゃないの」とB子は冷たく返答し、その途端に、ドッと体が重たくなり、至福感は消えた。

奇跡は起こることもある。が、持続するかは別問題だ。
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