日誌2001年1月

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1月31日

職場の仕事の後、ダンディ社長との打ち合わせのために渋谷へ。自分の勉強になり、相手も儲かり、世間のためにもなる――。これがやって気持ちの良い仕事である。今回のはそういう話なので嬉しい。

食事にでも行きますか、と誘われてまた居酒屋へ。この前、ヨタ話として借金を身代わりして友人に逃げられたという話はしたのだが、無利子で貸すからサラ金分、全部返済したらどうですと言われる。おまけに管理職として会社に来ないかと誘われた。有り難い話ばかりだが、4年以上も前に数回仕事をしただけの人間をどうしてそんなに信頼するのか不思議なのであからさまに質問した。答え:直観とのこと。

捨てる神あれば拾う神ありということか。


1月30日

終えなければいけない仕事があるのだが、全然気乗りしない。仕事をしない様を自己観察しているという、なんとも変な状況。

古本屋で藤巻一保『占いの宇宙誌』(原書房)を見つけて購入。これは新刊で出たばかりなのに、古本屋で見つけられたのは幸運だ。占いの本というと、勢い下世話な本が多くなり(全てとは言わない)、歴史上、その技術がどこまで遡れるのかとか、そのシステムはどういう前提と構造を持っているのかということに記述を割くことは少ない。この本は占い方は割愛して、どういう原理や思想で占いが組み立てられているかを解説している珍しい本である。

占いなどインチキだという立場がある。私自身、本とくびっぴきで占ってまぐれかどうか、物事を当てたことはあるし、有名な占術家、たとえば、易聖と謳われた高島嘉右衛門などの記録を見れば、当てる人は当てると言える(ちなみに、御存じの方も多かろうが、高島易断とは、この易聖と何の縁もゆかりもないにも拘わらず、名前だけ利用している団体である)。

だから、私は、インチキ占い師が多くても、占いそのものがインチキだという立場はとらない。占いが当たるかどうかというのは実用上、大事なことだろう。しかし、当て物に一喜一憂することより、ある占いが当たるとするなら、この世界はどんな成り立ちなのだろうかということに私は関心がある。長くなりそうなので、この話はいずれ随想に書きます。


1月29日

「ヤングマガジン」の江川達也『ラストマン』。『東京大学物語』に続いて人間の妄想エネルギーの話になってます。うーむ。

 地域住民センターの近くに倒れている人がいた。それを起こそうとしている老婆がいるが、起こせそうもないので手を貸す。この老婆も別に倒れている人の連れではなかった。人が倒れているので手を貸したが、力になれなかったようだ。大丈夫ですか、などと言いながら私は右手を貸す。その男性の重みを右腕にずしりと感じた。倒れていた人の行き先は地域住民センターということで目と鼻の先だから、そのまま一緒に付いていく。着たきりの風体はホームレス風だったが、眼光は鋭かった。小声で「ありがとう」と時折つぶやいた。

 帰り道、アパートの近くで左腕に鷹を載せた人と出くわす。綱は付いていたが、鷹を外に連れ出すというのは見たことがないし、間近で鷹を見るのは初めてだったかもしれない。鷹は色鮮やかでその姿は美しかった。

 昨日、『輝夜姫』の連想から、人間のクローンの話を書いたが、今朝の朝刊の一面に人間クローンの話が出ていた。偶然なんだろうけど、タイミングが合う。

 夜、N田君から電話。1月3日の日記にある、このサイトに検索だけで辿り着くと言っていた友人である。まだ成功しないみたい(それも仕方ないだろう。私が試したところInfoseek以外は登録内容が反映されていないから)。さて、彼は烏山に住んでいるのだが、休みの日に何やら外が騒がしいと思ったらアレフの転居で駅前が大変なことになっていたという。その乱痴気を見て彼は呆れたらしい。彼らに部屋を貸したマンション・オーナーがインタビューされているのを私はTVで見たが、インタビューアーの語尾には明らかに非難があった。特別アレフや旧オウム残党の肩を持つつもりはないが、どこにも住むなというのは無理でしょ。


1月28日

『輝夜姫』の連想から。人間のクローンが既に作られているという噂は随分前からあって、名前や地名は変更しているという但し書き付きでノンフィクションとして売られている本もあった。その本に出てくる億万長者がそうだとも言われし、その本が出る前からの根強く囁かれていたのは、謎の大富豪ハワード・ヒューズが自分のクローンを作るように依頼したという噂だ。

子供の頃、お客さんがうちに忘れていった本にハワード・ヒューズの伝記『世界で一番猛烈な男』(確か講談社)があって読んだ。その頃、ヒューズはまだ生きていたので、その本には晩年の記述はない。

彼の子供時代についてのある記述が今も記憶に残っている。彼の父親は妻(つまりハワードの母親)が死んだときに、死体をハワードに見せ、「人間は死んでしまえば石と同じ物体なんだよ」(大意)と冷たく教える。そこが子供の自分にとって非常に印象的だった。

若い頃のハワードはナチス政権下のドイツ上空をドイツ政府の制止も攻撃も無視して、ただ冒険のために飛んだ自由主義国家の英雄でもあった(そうした行為が『世界で一番猛烈な男』という書名の付いた理由でもある)。が、晩年は人前から姿を消し、時折伝わる話も非常に厭世的になっていったようだ。死をも恐れぬ冒険を数々こなした大富豪が、人間嫌いの厭世家になって、自分が死に絶えることに恐怖し、クローンを作ることを依頼する……。ヒューズの暗い眼差しが容易に想像がつくのは、私の妄想?


1月27日

雪。降っている。積もっている。一面白。

掲示板で華厳の北さんが名前を挙げたマンガ『輝夜姫』をマンガ喫茶で読む。読んで思ったことは、掲示板にも書いた。移植された細胞が本体の人格まで乗っ取るというのは、もう生物学の範疇ではなくて怨念の世界。平安時代の怨念でとどまらず、月が地球に捕縛された70億年前(作品内での数値。定説ではない)からの怨念までいってしまうと、寿命が100年程度の地球人の思惑なんてみみっち過ぎるから作品内で描写のスケールを合わせるのが大変だろうな、と思った。

小松左京の短編『ゴルディアスの結び目』は心理外傷の高じた少女が、人類共通の怨念領域に同調してしまい、ついには、どんな光(善)も助けにならないブラックホールとなってしまう話だった。そこまでやらないと個人の思惑は宇宙規模と釣り合わないでしょ。

ついでという感じで『多重人格探偵サイコ』をマンガ喫茶で再読。なんで「弖虎(テトラ)」という名前なのか、前は読み流したが、今日は気になった。4つの面を持つ人格? 人類創世を問題にするらしい『輝夜姫』に比べれば、スケールは小さいけれど、作り込みという点では、『多重人格探偵サイコ』の方が私には気になる。華厳の北さんが名前を挙げていたもう一つのマンガ『ARMS』も、実験で新種の人間を作り出すという点では『多重人格探偵サイコ』と似ている。

そんな晩にTVで映画『スピーシーズ』をやっていた。地球外知的生命体から届いた情報を基に遺伝子操作された少女が化け物になる話。映画そのものはつまらなかったけれど、今日一日に接した情報に共通するものを感じた。

蛇足:『多重人格探偵サイコ』って最初は心理プロファイリングの話から始まるのだよね。で、以前、アルバイトで同席した青年が語っていた話。彼の父親は警察関係の仕事をしているということだった。彼の話によると、連続幼女殺害事件で服役中の宮崎受刑者は、色んな異常犯罪者のプロファイリングを警察から頼まれるのだという。アメリカ文化を前提にしたFBIのプロファイリングは日本では、ほとんど見当はずれになるらしい(当たり前か)。酒鬼薔薇事件のときも、てるくはのる事件のときも、様々な専門家が言っていた犯人像より、宮崎受刑者が推測した犯人像の方が近かったと青年は語っていた。異常犯罪者の心理は異常犯罪者に訊けということらしい。

アルバイトの休み時間に話されたことですから、裏はとっていません。


1月26日

買ったその日に『提婆達多』を読み終えたのだから、それ以前に買っておいたさらに薄いヘッセ『シッダールタ』(新潮文庫)も読めるはずだと考え読む。ダイジが近代の小説家の中で優れた作家として名を挙げていたのを記憶していて1年以上前に買ったのだった。題からしてゴータマ・シッダールタ(釈迦)の成道譚だろうと思って、数あるヘッセの文庫の中からこれを選んだのだったが、読んでみたら、主人公のシッダールタは、釈迦とは別人という設定であった。釈迦も出てくるが前面には出てこない。それは『提婆達多』でもそうだった。どちらの作品も抑制したかのように釈迦そのものの描写は少ない。『提婆達多』が虚栄と復讐の中で命を終えたのに比して、『シッダールタ』は欲望を味わい尽した先に一介の川の渡し守として輪廻の総体を見極め、全てを愛するところで終わる。終わるといっても「時間は存在しない」という結論なので、それは今でもあるのだろう。

お昼、いつもパソコンの質問に答えているお礼ということでカニノフチさんが昼食をおごってくれる。寿司屋。昼から豪勢である。でも菜食だから、かんぴょう巻きと納豆巻きと梅シソ巻き。ごちそうさまでした。

帰りに今週の『ベルセルク』を立ち読み。ついにグリフィスが地上に再臨してしまった。どうなるんだろう。そういえば、昨日、書き忘れたけれど、『殺し屋イチ』はホント歴史に残るような珍妙な断末魔の描き方でしたね。


1月25日

ある用事のために仮病を使って仕事を休む。風邪ということにしたら、本当に具合が悪くなってしまった。変なの。

1月11日にダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』のことを書いた。この本のことを知ったきっかけがEO師の『廃虚のブッダたち』であることも書いた。Iさんの掲示板(2000年12月11日の日記参照)を見たら、EO師の著作を編集した無明庵の方山氏が、私宛(向こうでは私はリウカとは名乗っていないのだが)の書き込みで『銀河ヒッチハイク・ガイド』を売って欲しいと書いていた。なんでも人に貸したまま戻って来ないらしい。快諾する。でも、私のサイトを見に来ていたというのは少し驚き。

一昨日、古いFDの内容を確認していた。その中にT美さん(私は彼女のことを下の名前で呼んだことはないのだけど、結婚されて姓が変わっているので下の名前で記す)宛の手紙が幾つもあった。大学時代の私の友人にはバンドやら舞踏やら演劇やらをやっているのが多くて、付き合いで結構見た。そうしたもののほとんどは付き合いで見たのであって、人に勧める気になったものはほとんどなかった。T美さんの芝居を見ることになったのは、ふとした偶然であった。つまり純粋な客として接し、その後、友人になった。彼女の芝居は人に勧めた。推薦文を書いたこともある。

彼女は、私が東京に帰ってきたとき、歓迎会を開きましょうと言ってくれた唯一の人である。せっかくそう言ってもらったのに、私の方が生活がまったく安定しなかったので返事をしなかった。FDをチェックした晩、ある掲示板でT美さんの好きな語彙が取りざたされたので、彼女のHPのURLをそこで紹介した。そんなことがあったので1年ぶりぐらいに彼女にメールを書いた。その返事が、今日来た。以下、その文面(名前の箇所だけ変更)。

> リウカさん、こんにちは! お久しぶりで〜す!

> 昔、リウカさんが「“念”というのはありますよ……」といっていたことがあったけれど、

> 不思議なもので、ちょうどリウカさんが私のことを思い出し、掲示板で宣伝してくださった頃、

> 私はリウカさんのことを思い出し、とある掲示板で五輪書の話題を出していました。

> で、リウカさんどうしてるかなあ、と思っていたら、リウカさんからメールが届いて、びっくりすると同時に、

> なんだか納得してしまったのでした。

やっぱり念ってあるんですね(笑)。

隣駅の古本屋で中勘助の『提婆達多(でーばだった)』(岩波文庫)を購入し、一気に読む。中勘助は『銀の匙』を大学時代に読み、その文章の透明さに打たれたが、これまで他の作品は読まなかった。『銀の匙』とは違う文体であるが、やはり透明さを感じさせる。

彼はむらむらと起る悪念のために急に力づくように覚えた。が、三聞達多の戻らぬうちに彼はなんとも言えぬ胸苦しさを感じた。彼は水を呼ぼうとしたがすでに遅かった。彼はひとつふたつ魚のように喘いだ。そして、苦しい長い一生を終えた。

 もしそこに我々に救があるならば、提婆達多こそまことに救われるだろう。提婆達多が救われずば、我々の誰が救われるでろうか。(同書p188)

提婆達多の迷いのうちの一生というのは当然、思いを致すところであるが、私は提婆達多に最期まで付き従った従臣のような弟子達のことを思う。作中、彼らにはほとんど描写が割かれていないが、提婆達多こそ釈迦以上の師であると信じて疑わなかった彼らの純真さは何に贖われたのだろう。


1月24日

まだ読み終えていないが、今日はトゥルク・トンドゥップ『心の治癒力』(地湧社)を読んだ。これもチベット仏教関係の本。とはいえ特別にチベット仏教が好きなわけではない。この本の場合、ナムカイ・ノルブ師の著作を訳している永沢哲氏の翻訳であることと、帯の「なぜ私たちは苦しむのか」というコピーに惹かれて買ったのだった。トゥルクやトゥルンパの本に比べると私としてはあんまり面白くない。焦点が違うから。苦の本質についてではなくて癒しの技法の本である。

一昨日買った音質改善コーティング剤の解説書に、「シャレリア」というものを使うことが推奨してあったので、コーティング剤を買った新宿西口ヨドバシで質問。10分以上かかって出た答えは、シャレリアそのものはヨドバシにないが、メガネのレンズを拭くのに使うクロスなら代用できるというものだった。目は悪くしたことがないので、メガネ屋にはとんと縁がないのだが、そのシャレリアを探して何軒か廻る。だが、見つからない。大型店でも見つからないので、諦めてほかのレンズ用クロスを買い、ヨドバシでCD-ROM用のクロスを買おうと思って東口店のOAサプライを見たら「シャレリア」使用のワイプ・クロスを売っているのを見つける。ヨドバシにあるじゃないか。買ってしまったメガネのレンズ用のクロスをどうしようかと考える。面倒くさいし、他の用途で家で使おうかとも思ったが、コインを投げて決めた。返品と出たので、返品しに行く。面倒くさがらずに経験できる機会は活かした方が良い、と返品する店に向かう途中で思った。


1月23日

チョギャム・トゥルンパ『仏教と瞑想』(UNIO)を再読。可藤氏の著作のお陰で前より理解できたと思う。

寿命が来たラジカセから、チューンアップしたとき入れたアイテムを取り出し、新しいラジカセに移す。ラジカセにしては良い音になる。下手なコンポよりは良い音だ。

内面を見ること以外に修行はない、と言っていた師匠の言葉が以前より具体的な意味を帯びる。現実において、色々な感情を発生させる機会を与えてくれる皆さんに感謝。

「随想」の原稿を一つ書いたのだが、ノートPCで使っていたFDをデスクトップに持ってきたら中身が空だった。なんで。


1月22日

布団の中でタルタン・トゥルク『夢ヨーガ』(ダルマワークス)を再読。というか、読み始めたらすぐ寝てしまった。別にシャーマニズムの夢見の技法の本ではなくて、チベット仏教ゾクチェンの仏教心理学の本なのに。

目が醒めて続きを読み始めたらまた10分もしないで眠りに落ちる。そして夢を見た。師匠が出てきた。行事をしていた。

また目が覚めて続きを読む。すぐに眠りに落ちる。今度はN子が出てきた(日常の断片2「あなたは、なぜ生きているの?」参照)。彼女のマンションとおぼしき場所で私と二人で暮らしていた。私は今の職場に出勤しなくてはと急いでいた。まるで新婚夫婦みたいな風景。生き生きした彼女を久しぶりに見た。死んでしまった人間が夢の中で生き生きしていたって、だからどうしたというところなのかもしれないが、目が覚めると、非常に久しぶりの目覚めの爽快感があった。時計を見るとその夢は10分もなかったことがわかる。昨日のヤンといい(彼は死んでないはずだが)、過去の人物ばかり夢に出てくるというのは、何か私の心理状態に異変が起きているのか。

ここ2ヵ月ぐらい可藤豊文氏の『瞑想の心理学』(法蔵館)を何度も何度も読んだ。私にはハマる本であった。これを読んでから、『夢ヨーガ』を読むと(以前に読んだのは『瞑想の心理学』の出版前だ)、主観も客観も悟りも全部、夢だという話が前より頷ける。一体、今までどこを読んでいたのだろう。


1月21日

ずっと以前に買ったまま読んでいなかったヴォルテール『カンディード』(岩波文庫)を読了。

「わたしはそんなこと一切信じません。」とマルチンは答えた。「近ごろよく聞かされるあの馬鹿話だってやっぱりそうだが。」

「それでは、いったい何の目的でこの世界はつくられたのでしょう。」とカンディードはいった。

「われわれをきちがいにするためですよ。」とマルチンは答えた。(同書p109)

マルチンは『銀河ヒッチハイク・ガイド』に出てくる厭世主義のロボットのマーヴィンみたい(って時代が逆順だが)。それと大学生の頃に読んだ澁澤龍彦訳のサド選集のことを思い出した。ヴォルテールとサドなら、時代も地域も同じようなものだから、似ていても不思議ないのかも知れない。巧みな心理描写などというものはほとんどなくて、全編これ人生観問答というところが似ている。別に人類なんてものがいなくなったって自然は何も困りはしないのです、と淡々と言っていた博物学者はサドのどの作品に出てきたのだったか。

「いかにもおっしゃるとおりです。」とカンディードは答えた。「何はともあれ、わたしたちの畑を耕さねばなりません。」 『カンディード』の末尾の言葉。

朝、見た夢に中学時代の友人のヤンが出てきた。彼がいなかったら、私はおそらく中学時代に死んでいた。文字通り命の恩人である。夢に登場したのは中学時代の彼ではなく、現在の彼であった。20年近く会っていないけれど、元気にしているだろうか。


1月20日

職場は休日なのだが、打ち合わせで課長と一緒に出かける。実働1時間。これって1時間分しか賃金がもらえないのだろうか。

マーク・トウェィン『不思議な少年』(岩波文庫)を読了。

そんなわけで、彼女の有罪は決った。教会からは破門され、天国のよろこびは奪われて、いよいよ地獄の火で焼かれることになった。粗末な衣を着せられ、役人たちの手にわたされ市場へと連れられて行った。その間も、教会の鐘はものものしく鳴り響いていた。わたしたちは彼女が鎖で柱にしばられるのを見た。そして、青い煙が一筋、静かな空にうっすらと昇って行った。そのときだった、彼女の険しい顔が急にやわらいだかと見ると、目の前にひしめき合う群衆を見おろして、静かに口を開いたのである。

「もう遠い昔だったわねえ、まだお互い無邪気な子供だったころは、よくいっしょに遊んだもんだわ。あのころのことを思って、みんな許してあげるわ」

 そのままわたしたちは帰って行った。だから、炎が彼女が焼き尽すのは見なかったが、まもなく鋭い悲鳴が聞こえた。二人とも指で耳に蓋をしたのだが、それでも聞こえた。だが、やがてその悲鳴もとだえたとき、わたしたちは彼女が破門にもかかわらず、はっきり天国にいることを知った。(同書p141〜142)

古本屋で岩波文庫の『大乗起信論』を買う。それから今年の手帳とカレンダーをやっと買う。月齢と潮汐が載っているタイド・カレンダー。


1月19日

珍しく5時に職場を出て、渋谷へ向かう。移転の案内は5年前にもらっていたが、林さんの会社の新事務所へお邪魔したのは初めて。ダンディ社長に会う。相変わらずダンディでした。何か少し丸くなったようだ。林さんとは二言三言の挨拶だけで、社長と私は食事に出てしまった。でも、林さん、お元気そうだった。「お会いできて嬉しいです」と言うと社交辞令かもしれないが「私もです」と返事をもらえた。

居酒屋でダンディ社長と話す。仕事の依頼の詳細とか、そのつながりの話になるだろうと思っていたが、社長も菜食であったことから、社長が菜食になった理由、欧米人とのコミュニケーションにおける捕鯨問題、肉食の不経済性、アマゾンを焼き払うマクドナルドの話に始まり、近代日本人のアイデンティティのありようとその失敗、教育問題、webコミュニケーションと自我の耐性の関係の話、果ては酒鬼薔薇少年になど及ぶ。結局、居酒屋では仕事の話はしなかった。

ダンディ社長が(まだ恐らく40代であろうに)20年別居していた奥さんと最近ようやく離婚できたという話と成人した子どもが二人もいるというのには驚きました。

ダンディ社長とはこれから面白い仕事を連発していけるかもしれない。


1月18日

朝、新宿で途中下車して東口のベルクでモーニング・コーヒー。壁に貼ってあるベルク通信の4コママンガを見る。神様がリストラされて駅前で物売りをする話。リストラされる神様。味わいがありました。普段より早く到着しそうだったのでコンビニで雑誌を立ち読み。「ヤングサンデー」の「殺し屋イチ」、何とも言えない妙な展開です。これは歴史に残るかもしれませんね。

帰り道、珍しくレコード屋に寄る。戸川純の20周年記念アルバムが出ていた。事務所のメールマガジンに登録しているが、このアナウンスはなかったと思うぞ。クレジットによるとPhewのデビュー・シングルの「終曲」をカヴァーしている。どんなカヴァーをしているんだろ。

帰宅すると電話が止まっていた。コンビニエンス・ストアに料金を払いに行く。明日になってNTTの職員が回線復帰の作業をするのだろうと思っていたが、前回、入金から復帰までやけに早かったので、試しに1時間後ぐらいにかけたら通じた。今や、オンラインで入金確認直後に復帰するようになっているのだろうか。眠らない街だ。


1月16日

帰り道、会社からJRの駅まで歩く。風が吹きすさぶ中「曙」(ゲルニカ)とか「Love me tender」(プレスリー)他を口ずさみながら1時間ほど。駅についたらプラットフォームで隣の部署(毎日顔は合わすが、業務上は没交渉)のK田さんとすれ違う。こちらは聞こえないほどの小声で「お疲れさまでした」と言い、向こうは向こうで目を合わすともなく軽く会釈する。変な図だったろうな。


1月15日

林さんの会社の社長からメールが届く。

「折りに触れてはどうしているかと、気にかかっておりましたが、お元気のことと推察します。実は、ちょうどタイミングがよくご相談したい企画があり、それ以外にもいろいろお話しできれば、嬉しいのですが」という。

この社長は田村正和に似たダンディな人なのです。でもホントかなぁ、ただでさえ5年ぶりなのに、もともと社長とはそんなに話したことがないんだけど。とはいえ、会って話がしたいというのも有り難い話だ。メールをやりとりして19日に会うことにしたのだが、日にちを決めた直後に、その日はPhewのバンドのThe MOSTのライブがある日だと思い出した。ダメじゃん! だが、流れに任せようと思ったので、訂正しないで19日にダンディ社長に会うことにする。林さんに会えたら嬉しい。元気にされているだろうか。

状況報告:「職場の虚脱」の「自営編」と「E社編」を制作中。近日中にアップロードの予定。


1月14日

DreamMailとかMyPointとか情報(広告)をもらってポイントももらえるというシステムが幾つかありますが、そうした一つに登録しました。

深夜に自動で返信されてきたメールにあった私用のパスワードは、自動生成されているはずであろうに、意味のあるフレーズになっていた。いや、もしかしたら、なるべく意味のあるフレーズでパスワードを生成しているのかもしれない。覚えやすいように。

だが、そのフレーズの意味するところ(フレーズそのものではない)が、そのポイント・システムとはまったく関係ないフリーメールで私が登録したIDの意味と同じといっていいものだというのは一体、どういうことなのだろう? ちなみにその意味するところは「フルスペクトルの光」である。


1月13日

ほとんど何もしなかった。アクセスアナライザの解析で興味深いというか、不思議なことがあった。書くとただでさえ少ないアクセスがもっと減るかもしれないので書きません。でも、不思議です。


1月12日

昨日は、ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』モードの体験の話を書いたのだが、その主人公のアーサー・デントよろしく、私も後から気がついたことがある。まず簡単な点は、見知らぬおじさんの尋ねたマンションの名前が「スターロワイヤル」だったこと。滅多にない名前だと思う。『銀河ヒッチハイク・ガイド』と★つながりというところだろう。

そして、もう一つはもっとさりげなくて、そのおじさんが尋ねた番地が「42番地」だったこと。このことに後で気付いて自分でも驚いた。42という数字は『銀河ヒッチハイク・ガイド』の中で有名な数字なのである。ある高次元の知的生命体は、生命・宇宙・万物!の答えとは何かということを超巨大コンピュータを使って計算させた。7500万年もかかって出された答えは「42」であった。答えの意味がわからない面々は、この答えに合う、気の利いた問いをこさえることに苦労する。

この暗合はいったい、何を意味するのだろう。

職場で隣の机のカニノフチさん(仮名)が私に声をかける。役員を役員定年で辞して平に戻ったカニノフチさんは世代からしてパソコンは苦手であった。そして、時折、私に質問するのである。解説本を買いましてね、リウカさんに言われたことがよくわかりましたよ、とカニノフチさんは言う。どんな本を買ったのですかと質問した私にカニノフチさんは、彼が買った本を見せてくれた。林さんの書いた本だった。林さんは、今まで一緒に仕事をした人の中で唯一全面的に尊敬している人である。この本は良い本ですよ、と私は顔をほころばせて言った。昼、メールチェックをすると、林さんからメールが来ていた。年賀状の返事である。5年ぐらい、会っていないだろうか。年賀状だって、それぐらいぶりに出したのだ。彼女の文に触れて嬉しかった。


1月11日

ここ数日、ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズを読んでいる。この本のことを知ったのはEO師の『廃虚のブッダたち』を読んだときのことだ(EO師の著作については無明庵のサイトを参照)。その頃、このシリーズ3冊は絶版で(今も絶版だ)、古本屋を回って手に入れたのだった。モンティ・パイソンが好きな人なら恐らく気に入るスラップスティックSFである。たとえば、こんな感じ――、

 老人はステゴザウルスの肋骨でつくったように見える椅子を示した。

 「それはステゴザウルスの肋骨でつくったのじゃよ」

可笑しい。読んで可笑しかったという話を書きたいのではない。読んでいると、自分の体験する現実が「そういう」モードになっていくという話。今朝の出来事だ。3時ぐらいには目がさめて、朝は長すぎるぐらい長かったのだが、6時30分ぐらいに布団に入り直した。体が冷えたからである。7時15分ぐらいまで時計とにらめっこして(私が普段、家を出るのは7時30分である)、ふと気がつくと時計は7時45分を指していた。あわてて、家を出ると、見知らぬおじさんに声をかけられる。「あの、42番地はどこでしょうかね」

できれば教えてあげたいのだけど、住んでる町でも番地で言われるとさっぱり解らない。

「保育園のそばにあるらしんですけど、スターロワイヤル・マンション」

おじさんが手にしている番地を記した紙をまじまじと見たけれど、私には見当がつかなかった。

「すみません、分からないです」と答えて、私は駅へと向かった。5回に1回ぐらいしか曲がらない角を曲がると、左手に保育園があったのを再認識した。「こういうときには――」と一人ニヤニヤしながら、普段なら駅に向かうためにその玄関の前を決して通ることなく曲がってしまう、道なりのマンションの入り口を覗いてみた。果たせるかな――!、そこがスターロワイヤル・マンションだった。ははははは。


1月10日

深夜2時過ぎ、スチュワーデスのRから電話。別に海外にいて時差を間違えたのではなく、都内からの電話。「起きてた?」って、私は起きていたけれど、マナー教室でマナーを教えている人間(Rには礼法の師範免許あり)が電話かけてくる時間帯ではないですな。おまけにうちにかける前に、番号を間違えて全然知らないおばはんのうちにかけたらしいし(これは完全に迷惑だろ)。何時の電話でも出ますけどね。久しぶりに声が聞けて、それは嬉しかった。Rに幸運がありますように。

宮沢賢治の偽物が僧侶姿で人々をたぶらかしているという夢を見る。後を追いかけた私は、そいつの持っていた錫杖が立て掛けてあるのを見つけ、それを手にする。タッチの差で私に錫杖に手が届かなかったそいつを、激怒した私がその錫杖で滅多打ちにして叩き殺す。その宮沢賢治の偽物はとても人間に見えず、ブロンズでできた化け物の彫像のようであった。そいつが死んでしまうと、土地神様のような小さな精霊が現れ、小躍りして喜び、私に感謝を示した。

宮沢賢治は法華経の熱心な信者であったが、僧侶になったことはなかったと思う。月食の晩に見た夢として意味があるのだろうか。


1月9日

笑う気持ち。笑う気持ち。笑いたいだけなのに、という歌が灰野敬二の歌にあったけれど。

何の前情報も知らず、TV東京系のアニメ「地球少女アルジュナ」を偶然、見る。TVアニメーションと思えない作り込み。時間の化身はどこかにいる少女ではない。我々それぞれである。(断言)。


1月8日

昔、「キミには感情がないんだね」と面と向かって言われたことがある。自分でも自分に感情がないと思っていた。でも、ある時期から急に涙もろくなった。ニュースで人が死んだという話を聞くと泣けてしかたがない。無念を思うと泣けて仕方がない。まだ生きたかったろうに思うと泣けてしょうがない。やりたいことがあったろうに思うと泣けてしかたがない。今日も年がいもなく泣いていました。バカか私は。


1月7日

すべてとすべてのすべてが幸せでありますように。そんなことを改めて思いました。夜、外を見ると雪だった。


1月6日

「週刊 ビッグコミック・スピリッツ」連載の江川達也『東京大学物語』の最終回を立ち読み。編集部の意向で打ち切りなのか、それとも最初からこんな結末を考えていたのか分からないけれど(作者のあとがきを読むと最初から、そう考えていたようだが)、8年間もの長期連載の最後が妄想オチというのも前例がないだろう。読後、なんとなく、昔、友人から借りて読んだ寺山修司版アラビアンナイトを連想してしまった(物語の中の物語という入れ子を臆面もなく繰り返す)。手塚治虫なら怒るだろうな。マンガ入門で「夢オチはいけません」って教えていたから。

 だが、おそらく手塚治虫より江川達也の方が、はるかに深く人間を洞察して作品を描いていると思う。江川達也のマンガで最初に読んだのは『BE FREE!』だった。あれのラストは大日如来が描かれ「彼がどこから来たのかは誰も知らない」とあった。今、「週刊 ヤングマガジン」に連載中の『ラストマン』は人間の欲望の具現化について醜いほどストレートに描いている。

 が、今回の連載のあとがきにあった、今の時代、より強大な妄想が必要とされるという彼の考えには素直に同意できない。この社会が妄想で成り立っていることは同意する。他人の妄想をむやみに否定するものではない、というのは処世倫理として私個人心がけているつもりだ。しかし、より強大な妄想を、というエスカレートの果てに、どんな平穏があるというのか。乱痴気を続けるにはそれでいいのかもしれない。妄想を選ぶも選ばないも、選ぶならどの妄想にするのかというのも、本人の持つ動機や傾向によって自動的に決まっていくのであろうが。


1月5日

仕事始め。朝、部門長が「みんな集まってくれ」と声をかける。集まってみると、今日で退職の人の挨拶であった(仕事始めなのに)。勤続37年で定年退職される方。それは立派だと思った。しかし――。挨拶で「新世紀まで仕事ができて本当に嬉しく思います」って、新世紀の仕事、まだしていないじゃん。しても今日で終わりだし。年末に退職された方もいたが、新年早々の仕事始めの日に退職するなんて、21世紀まで仕事をした!ととにかく言いたかったのかなぁ、と思ってしまいました。

残業して課長と二人きりになり、課長から声をかけられるまで、8日が休みだということを知らなかった私。

まだカレンダーを買っていません。


1月4日

深夜に嬉しいメールあり。掲示板に初めて来訪したちるちるさんから、リンクしていいですかとの問い合わせ。一点、確認したいことを書き添えて快諾するが、次のメールでは「もうリンクしちゃいました」だった。やることが早いです。朝にはリンクが張られてました。

こちらからもちるちるさんのページにリンクを張りましたので、御存じのない方はいらしてみて下さい。

今日で正月休みも終わりなんですね。


1月3日

皆既月食と日の出を同時に見ようとしている夢を見た。皆既になる直前に人に呼ばれて、用事をし終えて戻ると皆既が過ぎているという何とも生殺しみたいな夢。あんまり良い暗示には受け取れない。日の出は見れましたが。

年末に大掃除もしなかったが、今日は両親が遊びに来るので、起きてからそそくさと部屋の片づけをする。本来なら息子の私の方が親を訪ねるべきなのだろう。私は父親が癌の手術で入院したときも見舞いに行かなかった親不孝な息子である(同居している兄も見舞いに行かなかったから、父は随分と侘びしい思いをしただろう)。両親がお餅と栗きんとんを持ってきたので、3人でそれを食する。ようやっと正月らしいことをした。

Iさんの掲示板でRさんにサイトの開設を知らせたら(Iさん、Rさんについては2000年12月11日の日誌参照)、Rさんからの返信の感想が載っていた。「随想」に出てくる「霊的著作権」が受けたみたい。確かに可笑しいもの。

大学時代からの友人のN田くんから電話がかかってくる。今朝、彼からの年賀状が届き、その返事を出してきたばかりで、こちらの返事が先方に届く前に電話がかかってきてしまって、少し戸惑う。彼はロシア文学が好きで、そういや最近、ロシア神秘主義がロシア国内でリバイバルしてるらしいよ、と話すと受けていた。私のサイトの開設を口頭で告げ、「URLをメールで送るよ」と言ったら、「いや、いいよ。検索して探し出してみる」と言う。見上げたチャレンジ精神というか、ちゃめっ気というか。ヒントが必要になったら小出しに知らせることにする。さて、彼はいったいいつここに辿りつくだろうか。


1月2日

gooの無料HPサービスということで、このHOOPSに開設したわけですが、試しにgooで検索したみたけれど、まったく引っ掛かりませんでした。ぎゃふん。ダメじゃん。誰にも知らせないで開設したのは、検索されうるという前提があってのことで、考え直しをすることに。検索エンジン十数箇所にURLを登録してみました。検索語などを入れるのかと思っていたのですが、1箇所を除いてURLのみでしたね。

高校の時の先輩に年賀メールをかねて、サイト開設を知らせたところ、夕方に電話あり。「見たよ、面白いね。でも何でお前の周りには頭がオカシクなる奴が多いの?」と言われる。私に聞かれても知りません。


1月1日

年の瀬感もなかったのだから、年明け感もない。20世紀最後の瞬間に何をしていたかについては、「日常の断片1」に書いた。記念になるような記憶ではないですな。初夢ははっきりとは覚えていないが、楽しい内容ではなかった。覚えている断片は、いかにも自分がしそうなことで、苦笑。

届く年賀状は、年々減少傾向にある。送り主の中には、4年以上前に数回会っただけという人間が2名いる。不思議である。もらうから返事を書くのだが、先方は先方で去年年賀状をくれた人に自動的に送っているのだろうか。その2名のうちに一人は、私が会った頃の職業を辞めて、SMクラブの経営に転職したと知人から聞いたのだが、その彼の年賀状には「最近、村上龍とメル友になりました」と書いてある。私は村上龍の小説は読んだことないし、読むこともないだろう(村上龍が訳したことになっている、リチャード・バックの『イリュージョン』の翻訳なら読んだ)。彼と会った際の数回の会話で日本の小説のことを持ち出した覚えもない(小説を読まないのだから自分から話題に出すわけがない)。単なる自慢だろうか。でも、誰かに言いたかったんだろうな。そういう気持ちは解る。

今日届いた年賀状の内、去年、実際に会ったり、話したりした人物からの年賀状はA会の会長からのものだけだった。


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