日誌2001年5月

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5月31日

午前1時、電話が鳴って出るとRだった。真っ先に言った一言が「用事はないんだけどー」。体調が悪くて約束をキャンセルして昼間寝ていたら、1時になっても寝れないのだという。スマーティーの体験談やら、Rに教えてもらって行った健康サロンのことなど話す。

長話しして寝るのが遅くなり、目が覚めると7時40分だった。駅からタクシーに乗って出勤した。


5月30日

保険の書類で私の署名と印鑑が必要だというので、仕事の後に母の所へ行く。葬儀屋の用意した壇はこの日、持ち帰られたので、母が急にTV台の上に遺影を置いたりしてしつらえた。線香を立てようと思ったら、線香立てが何か変だなと思って母に尋ねる。「これ、灰皿みたいに見えるけど」「ああ、それ灰皿だよ。どこかの引き出物でもらったか、ゴミに出てたのを父さんが拾ったか」 ええっー?! 安い線香立てなら400円もしないで売っていると母に教える。6月1日に三男と一緒に買い物に行くから、その時にちゃんとしたものを買おうと思っているから、間に合わせでいいのだと母は言う。しかし、灰皿とは……。40年も連れ添った母がそう言うのならね……。

母親の手料理を久しぶりに食べる。「おふくろの味は変わっていないかい」と母が私に尋ねる。

いとこののりちゃん(のりこ)は、初婚の嫁ぎ先で子供ができないことをねちねち言われて離婚した。再婚した相手とは子供ができて、その子供を父の葬儀に連れてきた。のりちゃんは、小学生のときに大人と間違われたぐらい美人で、のりちゃんの一粒種も可愛い顔をした女の子であった。「かわいいねぇー」と何気なしに言ったのだった。その女の子は大人の男は苦手で父親以外の大人の男に心を啓いたことがないのだというが、「あのおじさんはアタシのこと『カワイイ』って言ってくれた」と何度も言い、ずっとはしゃいでいたらしい。そのことがあまりに珍しくて、のりちゃんはうちの母親にそれをわざわざ伝えて、母が今度は私に伝えた。可愛いから素朴に言っただけなんだけどね。

甥っ子は、前回別れ際の約束を覚えていてくれて、「スーパーロボット大戦3」に収録されているロボットアニメのカラオケを色々聞かせてくれた。ガンダムはシリーズは20年続いているから解らないではないが、「ダイターン3」にとどまらず「ザンボット3」まで入っているとは。「ザンボット3」を見てた人は少ないと思うぞ。かく言う私も「ザンボット3」はほとんど見ていない。「ダイターン3」は結構見ていた。あの最終回はアニメ史上に残る、味わいのあるものだと思う。サンライズ系ということでは「ボトムズ」も結構好きなのだが、これは「スーパーロボット大戦3」には入っていない。ロボットの大きさが随分違うものな。あ、でもマジンガーZだって19mのはずだ。

姪っ子はCOCOのCDをいじっている。「ふーん、情念系が好きなんだ」と言うと、「これが情念系なら椎名林檎はどうなの」と言う。「COCOは聞かないけど、おじさんも椎名林檎は好きだよ、あとは川本真琴」「え、川本真琴はね、私が一番最初に好きになったアーチストなの。学校で『川本真琴が好き』と言うと変な顔をされる」 血は争えないと言うのだろうか、実は義姉も表情によっては川本真琴に似ているのだよね。1stアルバムのジャケット写真は義姉によく似ている。

今度来るときは、川本真琴のビデオを持ってくることを約束して兄の家を後にした。母が持っていっていいよ、と言うので、父の若い頃の写真をもらってくる。


5月29日

スマーティーの無料体験に行く。秋葉原の雑然としたビル街の一角にフジカの本社ビルはあった。前もってエレベータはないと聞かされていたが、確かに古いビルだ。

応対してくれたのが発明者本人である社長であった。御年78歳だという。本人曰く、スマーティーを毎日使っているから元気なのだとのこと。私は全然、知らなかったのだけど、スマーティーを作っているフジカという会社は石油ストーブでは世界ブランドらしい。40年ももってしまう品で、センサーもマイクロコンピュータも付けないので日本市場では片隅に追いやられているが、世界ではトップのシェアを持っていると社長は語る。

社長は特攻隊の生き残りなのだという。今更、命も惜しくないし、金だって生活できるだけあればいいので、儲けようなどとは全然思っていない。生き残ってしまった自分のやるべきこととは、後の世の役に立つものを広めることだと考え、スマーティーを開発したのだという。この日、実質、スマーティーに入っていたのは40分ぐらいだが、汗が止まるのに1時間、社長の話が2時間という塩梅。

もっとどす黒い汗が出るかと思ったが、それほど黒くはなかった。社長も、普通の方より奇麗ですねと言ってくれた。汗が出始めるのも割と早いので代謝は悪くないのではとも言ってくれた。ただ所々点点と濃い所がある。そこには老廃物が他の所より多く出たということになる。一番凝っているのは首なのだが、顔は出して入るのが基本なので、体験である今回は首にはスマーティーをかけられなかった。

これで30万円なら高くないと思うが、アパートで使うにはちとでかいですね。それを社長に言うと、広い部屋に越すまで購入を延ばすより、先に健康を手に入れた方が良くないですかとたたみかける。「健康がすべてだとは申しませんが、健康がなければすべてがありませんでしょう」――。特攻隊の生き残りの方に言われると、重みが全然違った。いずれ買おうと思う。


5月28日

郵便局の帰りにミニストップに行く。ミニストップで売っている豆腐は、ずっと「有機農法無農薬大豆100%」を謳っていて、その割に安くて重宝していたのだが、変わってしまった。「国内産大豆100%」。遺伝子組み換え品は使っていなくとも、これって後退じゃないか。しかし最近は「有機農法無農薬」と書いてある豆腐はスーパーマーケットでも減った。恐らくJASの認定が確立したせいではないかと思うのだが、もしそうだとすると、結局、以前の「有機農法無農薬」はJAS基準に達していないということになる。

コンビニで買い物というのは割高なので急な買い物以外はほとんど利用しないが、サークルKのピーナッツはJAS認定の有機農法無農薬ピーナッツなので時たま買う。

Rに横山彰人『子供をゆがませる『間取り』』(情報センター出版局)について書き送る。買っておいてほしいと返信が来た。


5月27日

ネット・デビューしたときから使っているHNは、リウカではない。そちらのHNで、以前は毎日のように書き込んでいた掲示板に、先日、久しぶりに投稿したのだ。

そしたら土日になって8つぐらいレスが着いた。レスはそれぞれに読みごたえがあり、興味深い情報が盛り込まれている。そうした楽しみは久しぶりに感じた。ありがたい。

例えば、「挨拶ばかりの掲示板」というのが私は苦手なのだ。言葉を掛け合うこと自体に意味がある場合というのは、確かにあるだろう。が、それが延々続くと読んでいて全然面白くない。仲の良い友人どうしの会話なら、外野に意味が解らなくても、「中身が濃い」ということは解るし、それだけで楽しめることもある。しかし、「△△さんのところから来ました。ヨロシク」だけとか、「□□ちゃん、元気?」だけ、「メール、ありがとね」だけ、なんて中身は何もない。各人がどう悪いということはないだろうが、全体として「薄っぺら」な印象は否めない。見たくなきゃ見るな、という話は当然あるが、自分の嗜好の表明として書いておく。

そこの掲示板では過去ログもよく読まれる。私の昔の投稿に対する言及も、ポツリポツリと思い出したようにある。その時の生の時間で意味を持っていたのは勿論、2年経って当時のやりとりの空気など全く知らない人が読んでも意味を持つというのは、書いた側としては嬉しい。

買い物に出ると、新築中の家が丁度、上棟式で手打ちをするところであった。何か得した気分。今どき、上棟式やる新築というのも都内ではめっきり減ったろう。現場作業のアルバイトをしているとき、1回だけ上棟式当日の現場に行ったことがある。日給より高い御祝儀をもらってラッキーだった。

部屋が片づかないので、Lに電話して、来てもらうことにした。手伝ってもらうわけではなくて、人が来る約束をしたら部屋を片付けざるを得なくなるから。

結局、Lに約束した時間より1時間、遅れて部屋は片づいた。ありがとう、L。Lがいるときに母から電話がある。うちの母は元から耳が悪いので、会話が難しい。

父が他界した晩、葬儀屋を交えて親族で葬儀の相談をしているときに、缶ビール片手に短パンで応対していた兄に、親族の批判が集中し、母は苦言を言われ放しだという。「生命保険の受取人は長男じゃなくて、次男か三男にしなさい」などと数人に言われたらしい。結局、受取人は弟に書き換えた。アイツが一番、堅実だからそれがいいと思う。

Yから「自宅に電話ください」とメールが来た。すぐに電話。声が聞けると嬉しい。


5月26日

朝、9時前、ドアをノックする音が。宅急便でも来たのかと思ってドアを開けると清掃局員であった。粗大ゴミを取りに来たという。キャンセルの電話をしたのに、現場の人には伝わっていなかったようである。役所らしいと思ったが、実際に私の家まで出張った人たちには御苦労なことなので、丁寧にお礼を言って帰ってもらった。

今日で、ちょうど父が逝って1週間。何がどうということもないのだが、片づける気がしなくて部屋は散らかり放題である。

外食しに行った帰りに近くのBookOffに寄る。タイムサービスで単行本2冊950円だという。『智慧の女たち―チベット女性覚者の評伝』(春秋社)と福井一『音楽の謀略―音楽行動学入門』(悠飛社)を買う。これで950円なら安いだろう。どちらも出版されたときから知っていたけれど、定価で買おうとまでは思わなかった。

 前者は表題通りの本。書いた女性自身がチベット密教の尼僧となった後に還俗した人という点は出色か。後者の著者は京都私立芸術大学音楽部卒の研究者で、表題から連想されそうな陰謀本ではない。音楽が脳内の性ホルモンにどう作用するか、どうして音楽で人の行動が変わるのかという話を書いている。

夕方、Rから電話。東京に帰ってきて、今、空港から家に戻る途中だという。先日、名古屋から電話を寄越して、土曜に蕎麦を食べたいと言っていたのだ。蕎麦屋でお蕎麦。そこら辺のお店の出したものだと、私は山菜は食べない。野積みにして、一旦漂白してから、着色した山菜がほとんどだからだ。ここの山菜はちゃんとしているので食べた。美味しい。

Rは自分から来たいと言ったわけだが、24時間ぐらい寝ていないからということで、会話はきちんと成立しているというより、なんとなく成立している。ある話題を一頻り話したところで、Rが何も反応しないので「聞いてた?」と尋ねると、「えっ?」という具合。

ゴールデンウィーク(←改めて書くと、凄い言葉ですね)に、15万円を払ってRは、あるセミナーに出た。そこで習ったことを帰ってきてからやっているのかと尋ねると、やっていないという。帰ってきて日が浅いせいがあるかもしれないと思っていたが、昨年5月のセミナー(やはり15万円ぐらいはする)で習ったことも、一度もしたことがないという。「勿体ないじゃない」と私が言うと「そうかなぁ」と答える。

これ今日、聞いた話ではないが、毎月あるセミナー(1回5万円以上)にずっと続けて出席していることを少し誇らしげに語ってくれたことがある。にも拘わらず最後に「でも、習ったこと、実行しないけど」と付け足した。何故だ?!

「ケーキ焼きたいなぁ」と言うので、「ケーキもいいけど、家で料理しなよ」と私は言った。一流の人にしか習いたくないと言って、私からしたら非常に面倒な人脈やらで大層な方の料理教室で料理を習っているのに、家でまったく料理しない。他所で料理を作ることだって、今のRにはありはしない。解らん。

月月さんが指定した喫茶店は、なぜかRも気に入ったようで、蕎麦屋に来るたびにここでお茶をする。確かに感じはいい。店頭で売られていたクッキーを買って袋から取り出すと、私のコーヒー皿に載せる。自分が注文したゼリーを使っていないスプーンで一すくいして、「食べる?」と言って、やはり私のコーヒー皿に載せる。

Rはマナーを習っているという割には、何か変な感じが私にはするのだ。私に食べものを勧めるという気持ちは有り難いだが。

そうそう、以前、うちにビデオを見に来たときのことだ。途中の商店街であれこれ食品を買う。こんなに食べるのかなと訝しく思っていたのだが、うちに来て、いざ食べる段になったら、私が食べる前提で買っていたことを知らされた。買うときには私が食べるかどうかは何も聞かないのに。

思い出しついでに――。去年の正月、東京に帰って来て初めてRにあったとき、喫茶店でお茶をしたのだ。これもRが誘ってくれた。お茶だけなら、そんなにお金はかからないと思ってお金を下ろさずに出向いた。話に花が咲いて、喫茶店を出ると夜であった。夕飯も一緒に食べようとRに言われたとき、少しギクリとした(Rは食事代は男がもつものと思っているし、安かろうというお店には入らない人なので)。が、喫茶店でおごった私に対してRは「今度は割り勘にするから」と言った。じゃあ、まぁ、持ち合わせで間に合う品を注文すればいいや、と思ってお店に入る。

私は一品だけ注文した。Rは3つも4つも注文する。そんなに食べるのかなと思っていると、届いたものを、どんどん取り分けて私の皿に載せた。食べて食べてと。悪いなぁと思って、取り分けられたものを平らげていくと「リウカさん、食べた分だけ払えばいいからね」とさらりと言った。結局、中座してコンビニにキャッシングしに行った。(そして、面倒だから、全部払ったのだった)

喫茶店の帰り道、「やっぱり勿体ないかな」と、一度ぐらいは教わったことをやってみるとRが言った。


5月25日

Lが新宿御苑に行きたいというので、連れて行く。ずっと昔、確か父と来たことがあるはずなのだが、庭園内には何も思い出がなかった。だだっ広い芝生の上を無数の幼稚園児たちが走り回っている。

東京では珍しいほど空が広く見えて清々しい。自分一人ではまず来なかっただろうと思ってLに感謝。今度、また来よう。Lにもそう言う。奇麗な園内だが、カラスが鳴きながら縦横に飛び回るのは御愛嬌か。

昼飯の後、Lと新宿で別れる。思いついて、Rにこの前、教えてもらった健康法のサロンに電話をする。電磁波の悪影響を除去する機械がいいのだとRが言っていたのが記憶に残っていた。本来、5時で終わりなのだそうだが、受け付けてもらう。巣鴨に出て、三田線に乗りかえ、新高島平まで行く。着いた時点で5時を超えていた。

このサロンについてRが私にしてくれた説明には本末転倒の所があった。Rは入会金さえ払えば、その電磁波の影響を除去する装置の体験も無料だし、色々な測定も無料になる、と言う。昼にかけて行けば食事も御馳走してくれるとも言った。それだけのことを無料してもらうと気が引けるので、大してうまくないけどマッサージをたまに受けてあげて、マッサージ料金3千円を払うのだけと。

Rが私に告げた料金に間違いはなかった。しかし、ここのサロンはマッサージが主であって、他の測定や電磁波の影響を除去する装置などは、マッサージの補助手段なのですよ、とサロンの主宰者の品の良い奥さんは説明してくれた。たとえ、マッサージより他のものを目当てに行くにしても、Rの説明はちょっとおかしい。電磁波の悪影響を除去する装置は扱いは単純だが効き目はあった模様。

帰りに思いつきついでに久しぶりに新宿の桧酵素風呂に行こうと思い、行ってみるとなくなっていた。あれあれ。家に帰って酵素風呂の電話番号にかけてみると、「現在使われておりません」というテープだったし、104で尋ねても見つからなかったので、移転ではなくて潰れたのだろう。残念。じゃあ、ということで垢すりに行った。久しぶりである。初めて見る人で、向こうも私に対して「初めてですか?」と尋ねる。この人は去年の12月からだというので、少なくとも半年近く来ていないのだろう。前の人より丁寧な感じであった。

体が楽になりました。今度はスマーティに行こう。スマーティは体にたまった重金属やダイオキシンまで発汗で排泄させてしまうという、凄まじいものだそうです。体にたまった薬剤を抜くのにも良いという(もっとも、私に薬物常習はないが)。去年の11月に体験の予約を入れておいたのだけど、一緒に行くはずだったYの都合が悪くなって、それっきりだった。

智禾さんからWebSite 開設の案内が来る。見に行ってみると、私のページに無断リンクが(笑)。しかも紹介が「不思議系武闘派」だとある。はははは。智禾さんとは、もう20年以上の付き合いです(昭和は遠くなりにけり)。智禾さんは、某大学の哲学科卒、某巨大パソコン通信では思想関係の部屋の常連でもありました。行きがかり上で実際の政治の世界(国会)を覗く機会があった人なので、政治に対する見解は床屋政談ではありません。私としては超お薦めのサイトです。


5月24日

古本屋に行くと「ゲーテ全集14 自然科学論」が定価の半額で売られていたので買う。箱も月報もちゃんとある。おまけに初版じゃないし。買い得であった。

父が亡くなって、私が落ち込んでいると思ったのか、友人が手料理を振る舞ってくれた。友人宅で御馳走になる。志は嬉しいのだけど、浄水器を通していない水や電子レンジによる調理は苦手なのです。水は浄水器を通す。調理は火でする。鍋はアルミじゃなくてステンレス――。そうそう、同じ銘柄のビールでも缶より瓶の方が美味しい。恐らくアルミが不味くしているのだと思う。電子レンジで調理したものは何であれ、熱いというよりヒリヒリする。

そんなことは相手にあんまり言えないので、美味しいねと言って食べた。ありがとう。


5月23日

清掃事務所に電話して、26日にCRTを引き取ってもらうのをキャンセルした。液晶モニタを買うお金は、父への御霊前になりました。それに、最近、画面が乱れっぱなしということがなく、使えるので。


5月22日

意外なメールが来ていた。私が掲示板デビューしたときから知っている、仁さんからだった。リンクしました、とある。彼のページを見に行ってみると確かにあった。若手の仏教学研究者のサイトのリンクページの「思想や評論」の分類の末尾に「hokahi Iyachico!」(ママ)の文字があるのは、何か可笑しい。私のサイトは「思想や評論」のサイトなのか(笑)。

用事があったので、夕方に以前の職場に電話をする。私の後任の彼はまだ残っていた。用件を終え、職場で飼っていて、私がいたときには私も世話していた犬や猫は元気か尋ねた。犬も猫も全員元気だと聞いて、気が安らいだ。みんな、元気でいるのだぞ。

先祖供養法2回、病者加持法1回。それぞれ時間を計ってみる。


5月21日

気がつくと自分は横になっていた。毛布もかけられている。いつの間にか酔いつぶれたようだ。情けない。時計を見ると午前4時だった。ふすまを開けて隣の部屋を見ると、壇の前で弟が片肘をついて横になっていた。弟が寝ずの番をしてくれていたのである。

しばらく弟と話す。母が食事をとりに病室から出て、弟しかいなかったとき父の自発呼吸は停止したと聞かされた。「あの時、もう死んでいたんだよ」と弟。母がいたときにも既に目薬を差してもまばたきしなかったというから脳死はそれより先に起こっていたのだろう。弟が当直医(担当医はその晩いなかった)に頼んで、蘇生術を母が戻ってくるまで続けて強制的に呼吸させていたのだという。つまり、実質、父の最期を看取ったのは弟だけだし、母が私に電話をくれたときには父は事実上、既に死んでいたのだ。父の最期は苦しんだのだろうかというのが私の気がかりだったのが、苦しみは既に感じなかったのじゃないかなと弟は言った。話が一段落し、交代して弟が眠りに行った。

5時頃、実家の親戚の人たちは起き抜けにテーブルを用意してすぐに日本酒を傾けている。「お前もどうだ」と言われたが、朝のお経を上げたかったので断る。替わりに仮眠から起きてきた弟がじゃばじゃばビールを飲まされていた。兄は一度様子を見に来たが、またフリースに短パンであった。朝の酒宴が行われているのを背にして読経。小声で上げていたのだが、もっと声を出せと親戚に言われる。ほどほどの音量で上げる。

私が壇の正面の席を空けると、実家の本家のおじさんが木魚を叩いて遊び始める。他の鳴り物もあれこれイタズラしている。「坊さんが飛んでくっかなぁ」と言いながらイタズラを続けた。

義姉さんに、午前4時ぐらいに家に戻ってきたか、と尋ねられる。私が起きた頃の時刻だ。私も弟も戻っていない。呼び鈴も押さずにドアをガチャガチャする音がするので、見に行ってみたが誰もいなかったという。誰もいないので戻ると、またドアのノブをガチャガチャする音がしたというのだ。「お義父さんが帰ってきたのかな」と義姉。「でも、それだと昨日の坊さんのお経で成仏していないってことでしょ?」と言う私に、義姉が「あ、そうか」と納得しかけたら、弟は「父さんなら、『面倒くさいから成仏しない』とか言いそうだよ」とちゃちゃを入れる。父だったのだろうか。

12時から告別式。今日の僧侶は若い方であったが、昨日の老僧侶より、よく透る声で朗々と声明を上げていた。聴いていて、声明をちゃんと習いたいなぁと思った。それから派によって節回しが違うことはCDでも知っていたが、やはり随分と違うものだと実感した。この朗々とした声明で送られるなら、父は成仏してくれるだろうと思えた。

式の最中に受付に立っていた弟が卒倒。過労と寝不足と朝から酒を振る舞われたのが効いたのかも知れない。弟が一番無理してきたのだ。近くの親戚もそれは知っている。おじさん(母の妹の旦那)が横になった弟の様子を何度も見に行った。さすが僧侶は背後で大きな音が立っても、微動だにせず読経を続けた。プロである。

マイクロバスで斎場へ。巨大な斎場施設の中には、ガイドに案内される喪服の群れが幾つも幾つもあった。ほとんどというか、完全にというか工場である。制帽・制服の係が機械のような動作で次から次へとこなしていく。

最後のお別れをと言われ、私はそっと父の眉間を人さし指と中指で押さえ、その指を次に自分の眉間に当てた。

30分ほどで父は遺骨になった。骨に癌が転移していたから、骨があまり残らないのではないかと母も私も予想していたのだが、骨壷に入りきらないほど、しっかりと残っていた。リップ・サービスなのかもしれないが、これほどしっかり骨が残る方は少ないです、と斎場の人は説明していた。特にのど仏を示しながら、毎日60遺体ほどこちらで焼きますが、これほど奇麗な形で残る方は少ないです、と付け足した。

帰りのバスでは遺影を私が持ったので、一番前の席に座った。斎場のバスの運転手同士もすれ違うときに手を上げて挨拶し合うのを見る。

寺に戻って食事をし、夕方散会した。お骨を持って兄の家へ移動。「じゃ、リウカにお経を上げてもらおうか」と、すでにTシャツ短パンに着替えた兄に言われる。もう一回、理趣経、般若心経、阿弥陀如来根本陀羅尼などを上げた。

その後、甥っ子たちと談笑していると、母が私の中学・高校の頃の試験の成績結果をごっそりと持ってきた。何かと思ったら、父が亡くなる前に荷物を整理していて、これをずっと眺めていたと言った。残っていたこと自体、意外だが、それを父が持っていたというのはもっと意外だった。保護者宛のプリントでさえ、「お前が読んどけ。わたしは知らない」と言っていたのだから。どんな気持ちで眺めていたのかと考えてみる。持って帰るかと言われるが、母さんが持っていてよと答えた。

甥っ子たちと談笑した後、母と弟と食事に出る。司法書士の勉強をしている弟は、明日も母と保険の書類のことで朝から活動するのだ。弟には色々と面倒をかけたので珍しく私が御馳走した。弟は母と一緒に兄の家に戻り、私は帰途についた。

母からもらった、入院直前に撮った父と母の写真を台に置いて線香を上げる。供養のお経のCDをリピートでかけた。


5月20日

朝、起きて父の前でまた読経。兄の家を出て、喪服に着替えるために一旦家に帰る。着替えて再び兄の家へ。兄は昨晩と同じくブルーの袖無しフリースにオレンジの短パンだった。父は兄の部屋に安置されていたのだが、安置したら兄の洋服ダンスは開けなくなってしまって礼服が出せないという。急に運び込んだから、後先のことを考える余裕がなかったようだ。父を棺に入れるときにも兄弟3人でまともに喪服を着ているのは私だけだった。通常、長男が棺と一緒にお寺に移動するのだろうが、兄はこれから喪服に着替えなくてはならない。お前が乗れ、と言われる。確かに私しか行きようがない。が、寺は兄の家から徒歩数分の所だ。フリース短パン姿で兄は後からやってきた。お前はここに残れと短パンの兄は私に命じてから着替えるためにまたとって帰った。

父の実家の親戚一行が来て、挨拶される。型通りの挨拶をすると香典を次々に渡される。受付がいないわけだから私が受け取るしかないが、そんなことをすると思っていなかった。義姉さんが来てくれると本家のおじさんが「あれがお前の嫁さんか?」と尋ねた。「いえ、あれは兄の嫁です」と答えたら、「ありゃッ、おめえが長男じゃなかったか」と言われた。兄と私を勘違いしていたわけだ。ここ十年ぐらいは三男しか田舎に行っていないから、実家の親戚が兄と私を知らなくても仕方ない。ほどなくして茶髪に喪服の本物の兄が登場してバトンタッチ。

実家の親戚の話で、うちの宗派が浄土真宗であったと初めて知る。前に尋ねたとき、父は真言宗のようなことを言っていたと思うのだが。こちらでどこかの寺に檀家になっていたわけではないので、檀家でなくても受け付けてくれて近い真言宗の智山派のお寺に葬儀をお願いした。真言宗の法式なら、少しは馴染みがあるので、お経や真言は唱和できた。

経を上げ終えて僧侶の法話。平均年齢と平均寿命は違うという話を数字を上げて計算していたが、何が趣旨なのかさっぱり解らん。話はいつの間にか戦争はいかんという話になって、仏教じゃなくて儒教の孔子に触れ、年齢順に死なないのは不孝だという話をした。……うちの父は父の兄たちより先に他界したことになるのだが。

お顔が安らかになりましたね、と僧侶は言った。昨晩、父の顔を見ると正直、言って、安らかとは言い難い顔であった。それがうっすらと微笑んでいるような顔になっていた。

遺体を安置している壇の隣が食事をできる部屋になっていて、そこで献杯。うちの兄は大声で「かんぱーい」と言ってしまった。兄弟3人で交代で線香の番をすればいいと思っていたのだが、実家の親戚もそのままこの会場に泊まるというので、文字通りの「通夜」になってしまった。全然、空けていないのにビールを注ぎまくる実家の親戚の人たち。実家の親戚は、私を指して、「お前が一番父親に似ている」と言った。実家の親戚は全員そう言っていた。東京にいる周りの人間からは、私は両親のどちらにも似ていないとよく言われるのだが。

そうそう、高校生の頃、私が父の店でぼーっとしていたら、母が父と私を見比べて「父さんは、リウカにそっくりだね」と言ったら、父は真っ赤になって怒ったのだった。「なんで私がリウカに似てるんだ。逆だろッ!」


5月19日

ゴミとして出すことを決定したら、前よりCRTの調子が良い。全然画像が乱れない。最後の奉公なのか。

夜、母親から電話。父親は今日・明日の状態と医師に言われたので、病院に来なさいという。病室はこの前と同じだからと母は言っていたのに、病院に行ってみると、病室は空であった。集中治療室にでも移動したのかと思って病院の人間に質問すると、看護婦が呼ばれる。「○○さんは、お亡くなりになって、もう家の方に引き取られました」と、その看護婦に告げられた。死に目に会えなかった。情けない。看護婦の告げた時刻からすると母の電話からほどなくして他界したようである。

兄の家に電話し、兄の家に向かうことにする。駅から病院に向かうときにはタクシーに乗ったのだが、兄の家には徒歩で行った。自分が育った街を見ながら歩いていた。実は私は兄が家を買ってから一度も訪ねていなかった。5年ぐらいになるだろうか。つまり、場所を知らない。確かこの辺りのはずと番地を見ながらぐるぐる回って、やっと辿り着く。

人がたくさん居たらやだなと思っていたが、父の横たわっている部屋には、甥っ子しか居なかった。一度も見舞いに行かなかったけれど、こんな風に戻ってきて、さすがに取り返しがつかないことに気づいたのか、甥っ子は突っ立ってぽろぽろ泣いていた。おじちゃんのこと覚えている?と尋ねると、覚えていないと言われた。仕方ない。

遺影もすでに用意されていた。礼服を着た写真になっている。首から下はデジタル合成であると葬儀屋は説明していた。「うまく出来てるでしょ」と自慢げに言っていたが、要は首から下は父ではないということだろう。撫で肩やら怒り肩などの首なしパターンが幾つも用意されているのだろうか。

兄は2階で葬儀屋と近くの親戚と一緒に葬儀のコースの談義をしている。階下の父の安置した部屋に戻ると、誰もいなくなっていたので、父の前で理趣経を読経。病院で死に目に会ったらすぐ読経しようと思っていたので、数珠と法則と塗香(←この前の醍醐寺展で買った塗香入れ)とは携行してきたのだ。

葬儀屋も親戚も帰るので見送る。兄は私の背中をどんと叩く。よぉっ!という感じである。茶髪の兄はブルーの袖無しフリースにオレンジの短パンといういでたちだった。オレは死に目に会えたから(一度も見舞いに行かなかったけれど)帳尻は合った、お前が一番親不孝だと言って兄はニヤリと笑った。このニヤリは恐らく兄と私にしか通じないだろう。弟にも通じないと思う。

もう電車もないということで、泊まることにした。寝る場所がないということもあったし、死に目に会えなかったのだから、せめて父のそばに長くいようと思い、父の横で寝る。


5月18日

昼間、清掃事務所に電話をして、26日にCRTモニタを粗大ゴミとして取りに来てもらう予約をする。ここ数日、大型家電店で質問したところ、下取りをしている店がなかった。買い取りか不用品処分ということになる。買い取りをしているソフマップのネットでの自己査定をしたら、買い取り金額が-1000円(買い取り不可)という結果であった。買うときに40万円以上したので、少しは新品を買う足しになるのではないかと淡い期待があったのだったが、この結果を見て諦めた。つまり、不用品処分しかないということだ。ソフマップはネットでの申し込みなら、送料無料で引き取りに来てくれるので、買い取り不可を承知で、引き取ってもらおうかとも思ったのだが、愛用したマシンの最後をだまし討ちみたいに終わらせるのも気が引けるので止める。引取料はビックカメラが3千円、さくら屋が5千円(ヨドバシはパソコン関連品の引き取りをしていない)。5千円もかかるのですか、とさくら屋の人に尋ね返したら、CRTモニタは家電リサイクル法にひっかからないから、粗大ゴミで出した方が安いですよと言われて冒頭の行動になったわけである。ちなみに東京都の粗大ゴミとして出すと1400円。ゴミとして出した方が安いのは少し悲しい。

Rからメール。食事しようという話になる。Rと何回か行った自然食レストランで夕食。昴ブーの話になる。「昴ブー」はYの命名。とはいえ、Yは昴ブーに会ったことはない。一昨年、彼のことをメールで何度か書いて、谷村新司の「昴」を悦に入って大声で歌う輩であるということを書いたら、Yは彼のことを「昴ブー」と命名したのであった。昴ブーはカウンセリングを仕事の一部にしていてRはクライアントの一人であったのだが、私は前から彼のカウンセリングにはあんまり好意的ではなかった。簡単に言うなら、落ち込んだ人を景気付けるには適していても、具体的な決定であったり、事務的な手続きが必要な案件については、全然役に立たないという見解を私は持っていた。ちなみに昴ブーは大学は心理学専攻卒だが、ここでいうカウンセリングとは心理カウンセリングというより、人生よろず相談というような内容である。

私が見るところ、昴ブーは、自分が兄貴分風を吹かせる相手か、自分が子供となって甘えられるような人物しか相手にしない。(一方、彼から見ると私は冷静でツマラナイ人間、冷たい批判で人の勢いをそいだり傷つける人間ということになる。)

昴ブーはRのことを気に入っていて、「Rを手込めにしたい」という台詞を直接、聞いたこともある。昴ブーはカウンセリングをしているといっても、別に自分で看板を立てているというよりも、そこの代表の露払いのような役割なのである。代表目当てに来る人ばかりだということを彼が言ったとき、Rがごく当然に「当たり前じゃないの」と言ったら(Rも可能ならば代表のカウンセリングを受けたい一人)、昴ブーはクライアントであるRに対して「僕は傷ついた」と言ったのだという。ケツの穴の小さい奴だな。身のほど知らずと言うべきか。

具体的な決定については、全然役に立たないという見解を私が持っている根拠は次のようなものである。昴ブーは勢いでクライアントに対して「こうするのがいい」と言い聞かせ、クライアントから言質を取ることが多かった。代表にそれを報告すると、代表がまったく違う結論を出してクライアントに伝えることは度々あった。要するにカウンセリングのダメ出しである。

Rが以前、恋愛の相談をしたところ、昴ブーはイケイケどんどんの回答したらしい。好きならアタックすべきだという。その場には私は居合わせなかったのであるが、彼のことを知っている私には、彼がどんな風にまくしたてたのか目に浮かぶ。正式な相談でなく、その話を代表が聞いたとき、代表は「付き合えるものなら付き合ってみなさい」と笑っていたという。後日、Rがその人にアタックしたところ、「下手に求愛したら社会的に抹殺されかねない」(R談)ほど違う社会の人だったらしく「恥をかいた」とRは言っていた。

それよりもだ。歯科医の話だ。5月1日の日記にRとのやりとりを書いた。医療ミスの一つは歯の治療で起きた。ある人の紹介で行った皇室御用達歯科医で、かえって具合が悪くなったRは昴ブーに相談し、昴ブーは自分の知り合いの歯科医を紹介したのであった。昴ブーが言うには、腕は良い医者であり、昴ブー本人はその医者にかかって治してもらっている。

が、Rは良くなるどころか具合が悪くなった。「この歯は削らないで下さい」と頼んだ歯を、その医者は削った。Rはその途端に状態がさらに悪くなり、それから4ヵ月間、仕事している以外は寝たきりであったという。何をする気力も体力もなくなってしまったそうだ。これは心理的なショックではなくて、肉体的な影響によるものである。歩く体力もなくて、月収のほとんどは職場の行き帰りのタクシー代に消える毎日になってしまった。

Rの具合は実際に悪くなっているのに、歯医者のことを相談すると昴ブーは「頑張って行き続けろ」と毎回アドバイスした。そう言われてRは通い続けたわけであるが、具合は悪くなる一方であった。そして、「これは絶対に」とお願いした治療上の希望を医師に説明もなく無視された。のみならず、歯科医師の妻にも、ひどい仕打ちをされたという。Rが具合が悪くなっているということを切々と訴えても、歯科医師の妻は「何言ってるの?」という態度で、昴ブーに対して、あの患者(R)は面倒ばかりかけると苦情を言ったらしい。

Rは昴ブーの紹介したその歯医者に通わなくなったわけであるが、昴ブーは「信じられない」と言い、その歯科医に「手紙を書け」とRに命令した。Rは手紙に書く気が起こらなくて書かないでいたところ、昴ブーは、「君は僕の人間関係を壊した」とか言ったらしい(Rからの伝聞)。

つまりだ。昴ブーはRの容体よりも自分の面子の方が大事なわけだ。自分の紹介した医者の治療によって4ヵ月も寝たきりになったなら、ただの友人関係であっても責任を感じるだろうと私は思う。ところが、昴ブーはカウンセラーとして、Rからお金を受け取った上でその結論を出しているのに、責任を感じていないどころか、Rを非難している。

強いて言うなら、Rの説明に要領を得ない部分があって、

1)患者である自分の治療上の希望を医者が聞いてくれなかった。

2)実際に具合がどんどん悪くなっている。

と分けると、話の要点が1)にあるかのように聞こえる。1)より2)の方が重要であると私は指摘した。1)が要点だと、単にわがままな患者ということになりかねない。それにしても昴ブーはカウンセラー失格であろう。私なら自分の面子よりRの健康の方が大事だ。


5月17日

帰宅してメールチェックをすると、Yから「助けて。」と題したメールが届いている。Yは電話が好きではないのに、電話をほしいと書いてある。すぐに電話。幸い、私が帰宅したとき、Yのメールが届いてから20分も経っていなかった。具体的に突発的な事故などがあったわけでなく、ほんの少し安心した。彼女も私と話をして、落ち着いたようだった。

Yの声が聞けただけでなく「会ったときぐらい●●のようにしたい」とYが言ってくれて、涙が出るほど嬉しかった。

Yにお願いをして、2つのことを口に出して言ってもらった。私が自分自身に課すべきことをYとの約束という形にしてもらったのである。自分で決めただけより、この方が守る確率はケタ違いに高くなるから。

Lからショートメール。願いを聞く。


5月16日

「善意の誤解」ではありませんでした。トップページにはありませんでしたが、HOOPS!のサイトの「ヘルプ」という項目の中にFAQがありました。

> Q:カテゴリリストの数値がアクセスカウンターと数値が違うのですが・・・。

> A:カテゴリリストの数値は、あなたのウェブサイトの全てのページが表示された数の合計です。

だそうです。ということは、トップページのアクセス数が300増える間に、全ページ・アクセスが、1600増えているという計算になる。トップページが2200回アクセスされる間に、全ページは1万回アクセスされている……。

掲示板は、HOOPS!のサーバーのものではないので、恐らくカウントされないと思うし、同じ理由で更新記録もカウントされないはず。1600-300=1300のアクセスは、熱心な読者ということなのか。検索でヒットしても、私のページに飛んでこなければカウントされないだろうし……。「断片の断片」とかが、小刻みだからか。そういや、「ある戦いの記録」を最後まで読めば、一人で22カウントだものな……。


5月15日

4月27日の日誌にHOOPS!のランキングで、トップページのカウンタと全然違うアクセス数でランクされていると書いたのだが、今日、HOOPS!のランキングでアクセス数は1万を突破し、順位は100位圏内に突入した。実物のランキングは → ここをクリック。

しかし、一体、どういう仕組みになっているのだろう。トップページのカウンタは2200ぐらいなのに。

帰宅して月月さんに電話して、CRTと液晶モニターのことで意見を求める。月月さんのドール制作は順調に進んでいるようで、これは喜ばしい。

思わぬ人(極一部で国際的に有名)から意外な贈り物が届く。が、それが誰からで何なのかは書けない。「これ、『ヒミツ』ということでよろしく」「私が生きている間は極秘です(笑)」との但し書きがあるので。でも、この日に、それが届いたことは、ここに記録しておこう。


5月14日

朝早く起きて、起動しても、いまだディスプレイ絶不調。文字の拡大を300%にしてネットをチェック。

Lからメールが来ている。1週間、何も連絡しなかったら「生きてる?」と尋ねられた。私の時間軸の中では、1年連絡しない人もザラにいるので、1週間連絡しないなんてことは全然問題にならないのだが、とりあえず「生きてるよ」と返信。

昼休みにLに電話をする。夕飯を一緒にとる約束をする。

帰り道、スクーターのサドルの上で丸くなっているアメリカン・ショートヘアに手招きをする。すると、スタッと降りて、こちらに近づいてきてくれた。撫で回す。実は朝も撫でたので、行き帰り制覇。

タワーレコードに寄って、醍醐寺の声明のCDを注文しようとしたが、タワーレコードでは取り寄せられないとのこと。ポイント欲しさに、展覧会場で購入しなかったのだが、裏目に出た。ビクターのCDがどうして取り寄せられないのか不思議。ヨドバシ・カメラではモニターの品と価格を見る。

その後、Lと食事。行こうと思っていたインド・レストランが休みだったので、別のインド・レストランへ行った。一皿1300円とか取っておいて、テーブルの上にゴキブリ疾走はないだろ。興ざめ。

Lを家まで送るついでに、その近くの小さな古本屋に立ち寄ったら、野口整体の野口晴哉の『改訂版 健康の自然法』という本を見つけた。初見である。今は出ていないはずの本だ。迷わず購入。昭和44年刊行で当時の定価が500円。この古本屋での売値も500円。少しは価値を知っているのかも知れないが、プレミアを付ける本屋なら恐らく4千円ぐらいの値を付けるのではないかと思う。

帰宅すると一昨日ネットで衝動買いしたCD、『日本の声明〜真言密教の大般若転読会』(UNESCO D8036)がポストに入っている。ポストに入れていくなんて不用心じゃないかな。


5月13日

ページの更新を一部だけする。ディスプレイの調子の良い間だけしか作業ができないので、全然思う通りに進まない。

夕方、母から電話。病院からかけているとのこと。昨日、見舞いに行ったことを告げる。母が行っても、父は反応しないのだという。投与している薬が強すぎるらしい。要するに目は開いていても意識混濁状態なのだ。

夜、SKから電話がある。先週も留守電に入っていたが、現在、会社の千葉にある施設に寝泊まりしていて週末にしか、実家に帰っていないという話であったので、こちらからは電話ができなかった。

SKは大手外資系企業で中間管理職までなったが、環境問題の勉強がしたくて、単身カナダ留学をし、一昨年帰ってきたのだ。もっとも私がSKを知ったのはカナダ留学中なので、それ以前のことは伝聞でしか知らない。一時は樋口可南子に似ていると言われたというSK。確かに昔の写真を見るとそんな感じだが、私の持っている印象では、dreamのKANAの方が似ていると思う(年はだいぶ違うが。あ、でも「カナ」つながりか)。

参考画像:dreamのKANA

去年の夏、Vと3人で会って以来、SKとは会っていなかった。VやOJと会うときにSKも誘ったのだが、話が急でSKは来ることができなかった。近況を語り合う。

Rに食事に誘われることが多いというと、「リウカは優しげだもんね。あ、『優しげ』というと、ホントは優しくないみたいね」と言う。いや、私は冷たいところは冷たいよ、と答えると「そうよね、割り切るところは割り切るものね」とSKは笑う。我の強い彼女には断固とした対処した方がいいと私は思っていたので、随分と冷たい応対をしたことがあるのである。

今日、彼女の父親の一周忌だったという。言われて、ああ一年経ったのかと思った。彼女の家が檀家になっている寺の住職というのが、欲の塊みたいな人間で、その息子の副住職が父親とは正反対のピュアな心根の持ち主らしいのだが、父親の意向に反対するその息子は、寺を追い出されそうということで、この日の法事の後で、SKがその坊主の相談に乗ってやったという。坊主の相談に乗る、檀家の娘というのは何かおかしい。

前に職場の悩みをメールで相談されたのだが、今は、仕事に一心不乱に打ち込んでいるらしい。というか、「いつでも前向き具体的」というのが、SKの良いところであると私は思っている。近い内に会おうと約束して電話を切る。


5月12日

昨日、夜、ネットにおいて、あるCDを探していたところ、醍醐寺の声明がCDとして4月21日に発売されていたのを知る(VZCG-178『醍醐寺の声明』ビクター)。これは買わねばと思うと同時に、上野で醍醐寺展をやっているから、それに合わせて製作・発売したのだろうなと推測した。

先週、Lと上野動物園に行ったとき、国立博物館で開催されている醍醐寺展の看板が目に入った。「ああ、そういや、やってるんだ、時間があったらこれも寄ろう」と思ったが、上野動物園を出ると、博物館の閉館まで30分ぐらいしかなかったので、その日は諦めたのだった。

13日には閉幕であるし、このCDに検索で行き会ったのは、展覧会に行くべしという信号と私は受け取った。

というわけで、12日の朝、展覧会に行く予定で、身支度をしていた。

何気なしにつけたTVで、安倍清明のセーマン(五芒星)の説明をしている。川崎市民ミュージアムで、「呪い(まじない)と占い」展という企画展をしているという。偶然つけたTVで清明のことを見るのも何かの縁だと思い、これも見にいくことに決める。

前日に立ち寄った書店で大宮司朗(古神道関係の著作多数)の呪符についての新刊を見つけて買おうかと思ったのも、この企画展に縁を感じた理由の一つでもあった。

上野に着くと、さすがに先週よりは人出が少ない。が、博物館は思った以上に人出があった。仏像や仏画にこれほど関心が持たれているとは思わなんだ。

長さ3.5mにも及ぶ太元帥明王(だいげんすいみょうおう)の軸は圧巻。太元帥明王というと国家規模の怨敵調伏に使う仏で、今で言うなら「究極兵器」みたいな仏様である。こんな軸をかけて密壇を構えて護摩をごうごうと焚いたら、それは恐いだろう。

醍醐の桜は有名だが、その辺りの風流文物にはほとんど関心なし。というわけで和歌の短冊とか屏風絵などは見もしなかった。

グッズ売場は、これまた想像以上の人だかりであった。醍醐寺オリジナルの携帯電話機用ストラップとか、マウス・パッドなどもあり、時代を感じさせる。不動明王をプリントしたTシャツもあった。物としては面白いと思ったけど、自分で着るかというと着ないのは目に見えているので買わない。私が買ったのは、塗香(ずこう…仏前に立つ前などに身につける粉のお香)と携帯用の黒檀製塗香入れ。塗香はまだ家にいくらかあるのだけど、醍醐寺御用達がどこか知りたかったので購入。携帯用の塗香入れは初めて見た。実用になるので買った。

弥勒座像は、これぞ仏像という端正な居住まい。目立たないように手を合わせて三礼(さんらい)した。真面目に作ったはずなのに、なぜか笑いを誘う仏像もある。不敬かもしれんが、率直に言っておかしい。画像を参照。

五大明王の内の一尊、大威徳明王。「狼少年ケン」の脇役キャラのような顔立ちは、他の四明王も同じだった。牛の目が秀逸。実物を斜め前から見るとギャグのようだった 大威徳明王の顔のアップ。千年も経った木製なのに、ソフビ人形を思わせた。 この写真で見ると大きさが解らないだろうが、3.6mもある。有名な運慶の作とは随分違って、まるでマンガみたい。実物を見ると、3頭身のような印象なのである。

釈迦の修行を魔物が邪魔をしている図。やんちゃ坊主の夏休みの絵日記のよう。

展示の主旨と全然関係ないことだが、運送業の手伝いをしたことのある身としては、これだけの重要文物を運ぶ作業は神経すり減らしたろうなと推測する。警備員だって神経使うだろうが、警備員は自分で間違って物を壊すことはまずあり得ない。運搬員はそれがあり得るわけで、自分の不始末で千年来の文化財が「お釈迦」になったら、保険でどうなるものではない。これを元に戻すときに、また運送業者が活躍するわけで、作業員はまた神経すり減らすだろう。

博物館を後にして、銀座線で渋谷へ出る。渋谷から東横線で武蔵小杉へ向かい、そこからバスで川崎市民ミュージアムへ行く。

 初めて見る川崎市民ミュージアムはバブルの残り香のある建物だった。古くなったポストモダンもどきとでも言うのか。カッコつけたのだろうが、使いにくそう。いや、使いにくい。

 展示している会場に入ったら偏頭痛になった。やはり一堂に会するものではないものを一堂に会しているからなのだろうか。展示物にはそれほど目を見張るものはなかったが、一点、30cmほどの太元帥明王像があって、「これ欲しい!」と思った。日露戦争のときに露西亜調伏のために建立されたものらしい。ここの企画展では説明がなかったけれど、太平洋戦争時には、日本各地の密教寺院で、怨敵調伏の護摩や様々な修法がなされたとか。

いろんな種類の御幣を飾っているコーナーがある。あれは神仏ごとに形と色が決まっている。そういや、御幣の形って不思議だよな、と今更のように思う。結論を言うと、大した展覧会だとは思わなかったが、休憩に寄った喫茶室で、一目見て、これはYへのお土産にしようと決めた品物(展覧会とはまったく関係なし)を見つけたのが収穫であった。

バスで川崎に出てJR線に乗る。自分の育った街で下車。バスで父親の入院している病院へ向かう。隣駅の方が病院に近いと思っていたのは、私の勘違いであった。これなら、駅から歩いていける。

病室に入り、父親に声をかけるが反応はない。そっと肩を叩いてみるが、これも反応がない。目は見開いているのに、全然、こちらを見ない。目の前で手を左右に振ってみたが、これまた反応がない。しょうがないので、ずっと黙って横に座っていた。

途中、担当医が回ってきた。「○○さん、これ付けてましょうね。○○さん!」と、外れていた鼻へのノズルを差し込むとすぐに退室した。あれこれ検診するのかと思ってベッドから離れた私であったが、担当医が病室に居たのは、ほんの数秒であった。診なければならない患者の数が多いからそうなるのかもしれないが、あまりの短さに少し驚く。

途中、何度か、父は宙に手を伸ばしては、頭の後ろに力無く落とす。見舞いの終了時刻が来たので私は帰ることにした。今日は母に会えず終い。担当医に名前を呼ばれたときは、返答をした父だが、私とは何も会話が成立しなかった。醍醐寺展の入場券が薬師如来(医療の仏様)の写真であったので、その入場券を父の枕元に置いて立ち去る。

病院を出て、駅まで歩く。途中、高校の後輩の家があった所を通る。彼女の家は既になかった。どこへ行ったろうか。

QP人形の頭をピンポン玉にすげ替えて、鬼太郎おやじの人形を作るのが得意な後輩であった。私は、それで目玉の色を4色に分けてもらってレジデンツ人形を作ってもらった。彼女のことは気に入っていたというか、好きだった。

彼女が高校を卒業するとき、卒業パーティーの後、帰り道が同じなので一緒に帰った。乗り換えの駅でベンチに並んで座っていると、彼女が「結局、3年間、誰にも告白されなかった」としょんぼりして言った。実は初めて会ったときから好きだったとその時、言ったのだった。思えば、生まれて初めての告白だったかもしれない。「お兄さんのようにしか思えない」と言われ、いわゆる交際というのはなかったが、大学に行った後も何度か遊びに来てくれた。私が越したのを境にあんまり会わなくなってしまったのだった。

帰宅して、ページの更新に取りかかるが、ディスプレイの調子が絶不調ではかどらず。

夜、N田くんから電話。大学の同窓会のお知らせであった。これはお互い行く予定とする。N田くんが、結局、自力検索で私のサイトにたどり着けないので、2ヵ月ぐらい前に「『路傍の石』を検索語にすればヒットするよ」と教えたのであった。その数日後、彼が職場からアクセスしたのは、ログで知っていたのだが、何も書き込みをしなかった(アクセスしたら、何か書いておくよ、と言っていたのだ)。「非常にイカンと思った」というのが電話での彼の感想であった。彼の美意識からすると、私のサイトはネット人種における最悪のトラウマ露出に思ったようで、何も書き込まないし、二度と来ないとのこと。残念だが、無理強いするものでもないので仕方ない。


5月11日

帰り道が手持ちぶさたなのと加藤政局以降の政治には、ノンポリながら関心を持っていたので、職場の帰り道に夕刊紙を買うことが増えた。「ゲンダイ」と「フジ」だと「ゲンダイ」を買うことが多かったが、このところの記事にゲンナリきていて、今日の新聞でそれは一つの頂点(底??)に達した。見出しが「小泉首相ができもしない事を必死で強調する姿に踊らされている内閣支持率の喜劇悲劇」とある。朝日や読売然り、新聞がそれ自体で一つの意見を持つのは構わないが、意見の内容ではなくて論理がオカシイんじゃないのと思ったのだ。

●自民党総裁戦の報道のときは、4候補の中で一番マトモなのは小泉であり、小泉なら改革できると報道。

●特に、改革には国民の痛みもありえると正面切って言っているのが小泉だけであることを評価する。

●が、他紙が「小泉健闘か」という報道をし出すと、橋本派が組織票で勝つのはもう解っているのに、何を茶番を演じているのかと「大手マスコミ」批判。

●小泉圧勝のときは、橋本派の狼狽・凋落ぶりを報道。

●総裁選が終わると、どうせ自民党の中の争いであって、こんな国政の難局にあって、自分たちの党の都合で総裁選をやるなどけしからんという内容のことを論評。自民党の中の争いに何をみんな、国の一大事のように勘違いしているのだ、と書いているのだが、「ゲンダイ」が非難する大手マスコミ(「ゲンダイ」は十分、大手マスコミに入ると私は思うのだが)だけでなく、当の「ゲンダイ」自体、連日、大見出しで報道していた。

そして、「所詮は自民党」ということを書く。自民党の総裁選なのだから、誰が当選しようと、勝者が自民党の議員で当たり前である。

●小泉内閣の高支持率について、何も実行していないのだから、これは単なるイメージであると揶揄。発足したばかりの内閣の支持率調査であれば、小泉であろうと、誰であろうとイメージ以外の何物でもないのは当然である。そして、それは小泉の責任ではなくて、イメージする側の責任だろう。

●そして、5月11日の新聞では、今痛みを伴う構造改革を断行したら、失業者があふれるのだから、「できっこない」と書く。

恥ずかしくないのかと思う。どこか人目に触れないところにコッソリ書いてきたことなら、まだ解るけど、こんな変節を全国に配信していて小泉首相のことを「ポーズばっかり」と言うのだから。買うのを止めよう。金の無駄だ。

ああ、それから民主党が、小泉内閣の支持率について、やはりイメージであり、ただの人気だというようなコメントをしていたのだが、支持率が低い内閣(森内閣)については、その低さを根拠に国民に信頼されていないと糾弾しておいて、それはダブル・スタンダードでしょ。

そして、史上最低の内閣(森内閣)でさえ打倒できなかったのに、支持率80%の内閣を批判してみても全然説得力がありません。

帰り道に珍しくCDショップに寄る。かけ離れた棚で、それぞれ偶然に手に取ったCDに同じ音楽家の名前がクレジットされていた。玉木宏樹とかいう人。気になったので帰宅してから検索した。サイトはここ。純正律による音楽を啓蒙している型破りの人らしい。サイトの中でイーノのアルバムを寸評したところがあっておかしかった。


5月9日

4月14日の日誌に、「日常の断片2」の「自虐パフォーマンス」に書いた老婆が自殺した、と書いたのだが、今日発売の「週刊文春」を読むと轢き逃げ事件として記事が載っていた。つまり、自殺とは書いていない。が、この記事中でも件の老婆が、深夜、横断禁止の車道、しかも交通量の多い車道に這って出ていったと書いてある。遺書がなくても、それは十分に自殺行為なのではないだろうか。


5月8日

スケジューリングとマネジメントについて再考。時折、考えることである。今の職場だと、一人で作業しているので、サボっても誰も手助けはしてくれない。転職するまでに今の作業を終わらせるには、どうすべきかと考えていた。

私は不真面目な人間だと思われることは少ない。これを私自身は「善意の誤解」と呼んでいるのだが、テキトーなところは、余人の追随を許さないぐらいテキトーである。というより、失敗や破滅を楽しんでしまいそうな自分に気づいていて、それが恐い。締め切りまでまったく仕事に手を付けないとかそういう類いのこと。

ふとしたことから、帰り道に真言をぶつぶつつぶやいていた。(ノウマク・シッチリア・ジビキアナン・サラバ・タタギャタ・ナン・アン・ビラジビラジ・マカシャ・キャラ・バジリ・サタサタ・サラテイ・サラテイ・タライ・タライ・ビダマニ・サンバンジャニ・タラマチ・シッタ・キリヤ・タラン・ソワカ) 誰かが見ていたら、キレそうで危ない人間に見えたかもしれん。帰宅してCDラジカセから川本真琴を取り出して、替わりに真言のCDをリピートで聴いていた。

部屋には気に入りの香である鳩居堂の龍賓香をもうもうと焚く。10年前、W先生に教えてもらって以来、お香はこればかり使っている。W先生に初めて会ったとき、W先生は、私がどこの誰かも知らないのに、ヤントラ(神聖図形)を一つ授けてくれて、龍賓香を焚くといいと教えてくれた。「場を浄化する作用が強いんです」と。その時もらったヤントラを買うとすると4万円もすることを後で知った。今もうちにあって大事にしている。

母親から留守電が入っていて、今日は父親の調子が良かったそうだ。良かった。


5月7日

7日の朝までに送ると約束した書類を全然、書き始められなくて、完徹。どうにか8時半に書き上げて、送信した。もっとサクサク物事を進められるといいのだが。とにかく、手をつけるのが遅い。職場では、船を漕ぎそうになる。いかんです。遅刻した分、残業しようと思っていたのだけど、まともに作業できそうもないので、まっすぐ帰る。

珍しく、CDレンタルに行って川本真琴が3月3日に発表したアルバム「gobbledygook」を借りる。CDレンタルを利用したのは10年ぶりぐらいかもしれない。聴いているものが、レンタルに置かれていなかったのだから当然といえば当然。借りないだけでなく、本に比較するとレコードは高いと思っていて、昔からレコードはあんまり買わなかった。

世間がアナログ盤からCDに移行しても、CDプレーヤーに金を割くつもりがあんまりなくて(自由にできるお金も少なかった)、CDラジカセでお茶を濁した。CDラジカセは代がわりしたが、ラジカセで済ませているのは同じ。パイオニアのあるコンポが欲しいと思っている。転職したら買おう。今も買いたいと思っているアルバムは数々あるのだけど、結局、本と比較するとあらかた本を買ってしまうのだな。

一昨年の春〜夏は「ピカピカ」を繰り返して聴いていた。去年の夏は「ひまわり」を繰り返して聴いていた。そうそう、一昨年の春「ピカピカ」をTVで歌っているのを見て、それから川本真琴のCDを買ったのだった。ハープとピアノとドラムというポップスの常道を完全無視したバック演奏と、いわゆるラブソングとは全然違う情景に何か惹かれたのだった。

歌で感動したのはPhewだけだが、あれは聴いてホッとするというものでは全然ない。川本真琴は気負いなしに流しておける音楽である。流しておけると言っても「フツー」というわけでもない。ファースト・アルバムのタイトルが自分の名前(「川本真琴」)、セカンド・アルバムがファーストから4年ぶりというのは、世間とは違う流れにいる人でなければできないだろう。

釈由美子と川本真琴が会話したら、どんなになるのだろう、とふと空想してみたりする。私からすると、この二人は似ている。


5月6日

隣の一家が引っ越す。主のいなくなった部屋の玄関の前にはシールを貼った粗大ゴミが山のように置かれている。子供が3人もいるのだから、こんな時期に越すぐらいなら、新年度と同時に越せばいいのではないかと思ってしまった。が、先方の事情を知らないのだから、何も言う資格はない。

仕事が手に付かなくて、Yの写真を見たり、本屋に行ったりした。古本屋で『中国神秘数字』(青土社)が、安く出ていたので購入。嬉しいことに初版ではなく第二刷であった。文芸系統の本好きは初版嗜好が強いが(私自身、以前、マンガを集めていたときは初版しか買わなかった)、専門書などは初版には誤植が多いのが普通なので、二刷以降の本の方が助かる。この本は出たときから買いたかったが、ちょっと高いと思って敬遠していた。太極、両儀、三才、四象、五行、七星、八卦……など、中国文化に登場する数字にまつわる用語の来歴などを解説している。すぐに読む時間はないので、とりあえず本棚行き。


5月5日

Lと上野動物園へ行く。TDLに行きたいと言っていたけれど、連休にTDLは、さすがに混んでいるのではないかと考え、第二希望を訊ねたら動物園だと答えたので、上野動物園へ行ってみた。こどもの日に動物園というのも、人出が多いのではないかと予想はしていたけれど、案の定、人の海だった。動物の千倍以上、人間が居たのではないだろうか。

昔、来たことがあるはずと思ったいたのだけど、来たはずという記憶だけで、園内には何一つ思い出す情景がなかった。

TVや写真で知っているつもりになっていても、動物というと、犬・猫以外は、街中では目にしないわけで、知らない動物に、動物園でない場所で出会ったら、驚くだろうなと想像する。特にサイの横顔を眺めていて、頭蓋骨の形が、よく見ると不可思議な形であると思った。角が不思議と思ったわけでなく(説明板によると、サイの角は人間で言うと爪みたいに皮膚が角質化したもので骨は関係ないらしい)、顔のくびれ方と耳の位置に対して随分と目が低い位置にあるものだと思ったのだった。

サイのいたアフリカの動物たちという括りの一画に行くまでに、随分と歩いた。そこが動物園の目玉だろうと思っていたのだが、行ってみるとライオンはいない。順路を見逃したのかと思い、案内図を見てみると、そもそもライオンがいないことを初めて知る。少しがっかりした。

ゾウを眺めていると、横にいた女性が「こんな狭いところを1日中、行ったり来りしているだけなんて、つまらない生活よね。何も考えないから生きていけるのかしら」と言っているのが聞こえる。

さて、Lの育った大連には、上野動物園の10倍ぐらいある動物園があるそうで、「ここには珍しい動物、全然、いないネ」と感想を漏らした。私はパンダを見たことがなかったのだけど、「パンダは中国から来たヨ」とLは見るつもりがなく、結局、見ずに動物園を後にする。

上野駅が人であふれているので、アメ横を抜けて御徒町から帰った。御徒町まで来て、Lは100円ショップのダイソーでガラスの食器を幾つも買い物していた。近くの100円ショップにないの?と、ついつい尋ねた私であった。


5月4日

月月さんの ちょこっと快気祝いに「『西洋骨董洋菓子店』(かなりおすすめ。)というマンガのモデルだと思われる 」(月月さん談)喫茶店でお茶を飲む。男は黙ってアールグレイ。

レジデンツのビデオを貸していたのだけど、デッキを持っていない月月さんは、結局、見る場所がなかったということで、うちでビデオを見る。貸していた5本を全部見るというのは、時間からして無理なので、一番コンパクトにレジデンツの歴史をまとめている『The Eyes Scream』を一緒に見る。えらく受けていた。

「おいおい、キミたち、大丈夫かぁ〜」とツッコミを入れることしきりの月月さん。

リセットしたい出来事があったというので、「リセットなら、これ」という感じで『裸のラリーズ』のビデオを強引に見せる。このサイトの一番コアな読者だと思うので、いかにしてこのサイトが始まったのか(「エピソード1」と命名)について話す。

Rとかの写真を見せていたら、私の写真を見て、写真で見ると自分の友人の一人によく似ている、と月月さんは言う。この前、Lと話していたら、Lの大学時代の同窓生の一人に私はうり二つなんだと言われた。類は友を呼ぶのか。

課題をクリアしないと、同じような問題に出くわすということについては、二人して見解が一致する。

月月さんの作品の制作がうまく行きますように。あ、それからいい仕事が見つかりますように。

そういや、楽しみにしてたシュークリームを買うのを忘れたんじゃないの? 月月さん。


5月3日

久しぶりにコンテンツを足す。更新記録を見てみると4月は何も更新記録をつけていない。日誌と掲示板しか書いていなかったということですな。アップル純正とはいえ、7年前のモニタの修理に9万円もかかるならと修理はキャンセルしたけれど、結局、すぐに買い替えるお金もなくて、モニタは使えたり使えなかったりという具合だった。おかげで、マンガ喫茶でネットする日が激増してしまった。このまま数ヵ月同じ生活をしたら、マンガ喫茶でネットした金で数万円になってしまうだろう。買い頃かもしれん。

新型のアップルのノートが15万円台というのも惹かれています。稼ごう。


5月1〜2日

職場の帰りに、中野に寄り、手裏剣を買う。またも無明庵の方山氏のデザインのもの。ここで売っているのは星型ではなくて、棒手裏剣である。2種類あるが、両方買う。型名は「飛龍」「炎龍」という。手裏剣を打つ練習をする場所もないので、もっぱら、これは法具用にする予定。法具に使えるとチラシにあったから、買ったようなものだ。金ピカの独鈷とか三鈷に比べると無骨で、鉄そのままという肌合いである。

古本屋で長武寛『象学・運命の構造』(平河出版社)を買う。この書店で実物を見るまで知らなかった本であるが、面白そう。易の八卦、遁甲の九宮の配置、干支の象意について、古典を渉猟する一方で、工学の観点からも言及している。占いについては、こういう本が興味深い。それと1000円で奇麗な曼陀羅を売っていたので、それも買う。

帰宅して、月月さんに電話をし、お茶会の日取りについて話す。加減が良くなってきているようで嬉しい。

11時15分頃、Rから電話。食事をしたいという。これから出向いたら終電がなくなるのが目に見えているので、逡巡していたら、食事代はRが出し、帰りのタクシー代は自腹ということで話がまとまる。

テレビ局横の24時間やっているインド・レストランに行く。Rは押しが弱いために、他人の一言で簡単に左右されることがある一方で、金と時間をつぎ込んで、信頼できる人に相談したのに、その意見を聞かずに泣きを見たこともある。その泣きを見た2回はどちらもどちらも医療ミスであった。

医者にかかる話から、Rの行動傾向全般についての話になり、えらく長い会話になってしまった。書き出すと長くなるので、かいつまんで書くと、

医療ミスに会ったのは → 医者に知り合いがいなかったせいだ

医療ミスを訴えることができずに泣き寝入りにしたのは → 弁護士に知り合いがいなかったからだ

というようなことを話していた。その思考傾向に対して私は全面的に否定的な見解をとった。それはおかしいんじゃないの、と。それと、人に流されやすいのと根は同じだと思うのだけど、話していて個人名や団体名がやたら出てきて、それについての来歴、エピソード(だいたい、有名だとか一流であるとか、皇室と関係があるとか、そういう説明)と話がディティールに分散していき、筋がすぐに見失われてしまう。それも、Rの話を聞いての私の感想として述べておいた。

5時頃、タクシーで帰宅。2時間ほど睡眠をとって、職場に向かう。

職場でYからのメールを読む。その影響で、特別、予定に入れていなかったけれど、仕事の後、父の見舞いにまた行ってみた。行くと父は眠っていた。決して安らかな寝顔ではなかったけれど、起こすのは悪いと思い、起こさずに椅子に座って父を眺めていた。小声で薬師如来の真言をつぶやく。オン・バイセイゼー・バイセイゼー・バイセイジャー・サンボリ・ギャーテー・ソワカ……。

しばらくして父が目を覚まし、母も来る。一昨日はしゃべっても何を言っているのか解らないし、こちらが言ったことにも反応しなかったが、今日は会話が成立した。目線もこちらを見ている。本人も、一昨日より良いと言っていた。というか、2〜3日、何が何だか解らなかったと言っていた。

少しは良くなっていて、それは安堵した。


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