強さのインフレーションは神に行き着く

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 人気のある格闘技マンガの連載が長期化した場合、前より話を盛り上げる関係上、どうしても後から出てくる敵役の方が強そうに描かれてしまうことが多い。主人公が成長したということで、さらに強い敵に勝ったことが説明されてしまうわけだが、「じゃあ、後の方に出てきた敵役に最初に出会ってたら、主人公はボロ負けしていたわけね」と誰しも思ったことがあろう。
 最初の方でものすごく強い設定だったキャラクターが、順繰りに強さの不等式で考えた場合、連載の後の方の水準では下っ端にも及ばない状況を、「強さのインフレーション」と呼ぶことにしたい(また、対等だったはずのキャラがいつの間にか弱くなっているのを「強さのデノミ」と呼びたい。例=『北斗の拳』に出てくる南斗水鳥拳のレイ)。
 とはいえ、それまではAがBに勝ち、CがAに勝ったとしても、CがBより強いとは、必ずしも断言できないこともあった。その強さの比較を言い抜けの出来ない形で決定させたのが、パワー値の表記である。ロールプレイング・ゲームの影響でマンガに導入されたであろう、それを最初におこなったマンガを特定することは出来ないが、メジャー誌では、『きん肉マン』が先駆的であったと記憶する。単行本の第11巻(一番最初に発刊されたジャンプコミックス・シリーズでの巻数)で初めて「超人強度」というものが出てくる。
 きん肉星の王子きん肉マン(読み切り短編で最初に登場したときには、ウルトラマンの妾の子として登場した)は最初は人間のプロレスと何ら変わるところのない興行をしていたのに、あれよあれよと地球の正義のためのなどのものすごい大義名分の戦いになっていく。それに連れ、強さのインフレーションが目に見えて起きていくことになる。
 どんぐりの背比べのような試合では、面白味がないということなのだろうか、きん肉マンのパワー値は95万と設定されているのに、敵役は1000万などになっていく。どうやって倒すのかとえいば、「きん肉バスター」などの得意技は持っているものの、基本的にはいつでも「火事場のバカ力」(パワー値は最初測定不能、のちに7000万パワーと判明)なのである。
 「きん肉星の王子が実はきん肉マンではない」と王位継承権を主張するきん肉マンのそっくりのキャラクターたちときん肉マンの戦いを描く『きん肉マン』の最終シリーズは、最強を追求するストーリーにおける重要な論理的帰結を描いている。
 一つは、自分の分身と戦うということ、もう一つは神を相手にするということ(王位継承権を主張するきん肉マンもどきたちは、きん肉マンの活躍に恐れをなした「悪の神」に操られている)。
 ある存在が最強なら、そいつがもう一人いたらどうなるか? これは、主人公の得意技を敵役が仕掛けるという形で過去にも部分的にはあったが、敵役が主人公の双子であったり、クローンであったりするとより明確になる。
 また、いくら人間界や超人界で最強になったところで、その分限は超えられない。真に最強を目指すなら、「絶対」を体現する神をも相手にせざるをえなくなる。これが最強を徹底的に追及したときに行き着く先だ。超越した存在であるはずの神を殺すことは可能なのか? 「最強」と「神殺し」の関係を描いた作品といえば、アニメ『装甲騎兵ボトムズ』(日本サンライズ)やマンガ『ラグナロック・ガイ』(岡崎つぐお)があるが、『きん肉マン』の方がストーリーが単純なだけに構造は見て取りやすい。また「神殺し」まで行かないまでも、連載が長期化した格闘技マンガは宗教的なパワーを無視できなくなることが多い。
 きん肉マンは自分のダミーと闘うと同時に神とも闘う、という強さのインフレーションの極限を見せてくれた。
 これからすると、『ドラゴンボール』の破綻は、神を殺した先の先まで続けてしまったことに起因があろう。でも、『ドラゴンボール』でパワー値に相当するスカウターが出てくるのは、神を殺した後なのだよね。


※この原稿は昔、二見文庫のために書いた原稿を改稿しました。


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