奥崎謙三の悪口

奥崎謙三の悪口

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奥崎謙三の悪口である。素材はもっぱら映画『ゆきゆきて神軍』である。何も最近、初めてビデオを見たとかいうわけではまったくなくて、公開当時(1987年)、大学の友人の大野さんとフッキーと3人で渋谷のユーロスペースに見に行ったのだった。それなら「なんで今時」と思う方もいらっしゃるかもしれない。理由の一つは思い出したから、というものであるし、もう一つは彼が不幸自慢をする人物の一つの極端な例であると私が今でも思っているからだ。自分の方が凄い地獄を見ているということを自慢するような手合が非生産的な話をするのが私は好きじゃないのだよ。

奥崎謙三などと言っても、全然知らない人もいるだろう。暇な人は映画『ゆきゆきて神軍』をレンタルビデオで借りて見ればよい。少し大きめのレンタルビデオ店なら、まず置いている。ただ、見て感動するような類いのものではない。むしろ、気分が悪くなるという人の方が多いかも知れない。世に彼の名を知らしめたのは「天皇パチンコ事件」(1969年)である。新年の一般参賀でバルコニーに出てきた皇族に、奥崎がパチンコで狙撃した事件を言う。とはいえ、私はその頃、新聞でそれを読んだ覚えはない。その筋では有名な異端雑誌『地球ロマン』3号「特集 我輩ハ天皇也」で読んだのが認識の最初だったと記憶する。そこで奥崎は「奥崎先生」と持ち上げられていた。反体制を標榜するような個人や団体は、天皇をパチンコで狙撃した奥崎を称賛するわけだ。

が、私は彼を侮蔑(!)する。侮蔑する――などと言う対象というのも私には彼ぐらいしかいない。「天皇パチンコ事件」からして侮蔑する。本気で戦友の復讐を果たそうとする人間が何で殺傷力のないパチンコなぞで狙撃するものか。しかも、最初の狙撃は幸いなことに周りの誰にも気付かれなかったのだ。誰も気付かないことに焦った奥崎自身が、「山崎(戦死した戦友の名前)、天皇を撃て!」と自分で騒いで、周りに気付かせたのだ。暗殺が目的なら気付かれないことは幸いであり、当たるまで天皇にパチンコを撃てば良かったのである。が、彼は周りが自分に気付かないときに焦った。

奥崎の著書に『田中角栄を殺すために記す』というものがある。当初は田中角栄を殺してから出版するつもりであったが、事情が変わったので殺す前に出版する、と言って、決行前に出版して、結果、逮捕された。田中角栄を本当に殺したいなら、そんなことしなければ良いのである。これも「天皇パチンコ事件」で自分で騒いで周りに気付かせたのとまったく同じだと私は断定する。

映画『ゆきゆきて神軍』では、終戦が決した後にもかかわらず、ある部隊で銃殺された二名の兵士の死の真相を奥崎が追っていく。生き残りの人たちを追いつめて、結局、彼らが食料として食われたということが分かる。しかも、それはそもそもの情報提供者であった山田吉太郎も最初から知っていた事実であった。奥崎は病床にある山田を詰問し罵倒する。

が、ここで奥崎の弱体が露呈する。というか、露呈したと私は思った。奥崎の強気は自分が地獄を見てきた、その地獄で死んだ戦友の復讐をするのだということに拠っている。戦争体験者は、それだけで戦後生まれには想像もつかないような苦労はしているだろうが、終戦1年前に捕虜となった奥崎は、ニューギニア戦線の本当の地獄を体験していない。山田は、その本当の地獄をかいくぐって生き抜いた男である。つまり、「自分は地獄を見てきたのだ」という奥崎の攻め方は、山田に対してはまったく通用しない。病床のせいもあるが、山田の眼差しはまるで虚無を見据えているかのようにうつろだ。いきり立つ奥崎と好対照をなしている。

そこで、奥崎が出した単語が「天罰」だった。山田が病気であるのは天罰であると奥崎は言う。

山田「だけど、俺の場合はちっとも天罰じゃないよ」

奥崎はしどろもどろになりながら、強気で押し切ろうとするが、山田は淡々と反論する。

奥崎「あなたは絶対に天、あな、あなただけが天罰言ってるじゃないですよ。私がねニューギニアで飢え死にしそうになったことも天罰だし、家内が交通事故で重傷を負ったことも天罰だし、私がね、殺したくもない人を殺すことになったのも天罰だし、みんな天罰だと思ってるんです。とにかく不幸になるということはね、それ相応のことをしているわけです。あなたは、あなたは何もしていないというわけですか。今日まで……」

山田「そんじゃ、俺がもししていない場合は先祖がしているって言うだろう」

奥崎はそれを否定する。先祖のせいではないと。本人が何かしているはずだと。

押し問答はさらに続くのだが省略。映画のラスト近く、奥崎は銃殺の命令を下した小隊長を殺しに行くが、本人がいなかったためにその息子に発砲した。しかも後の供述で「息子でも良かった」と語っている。

その銃撃された息子にしてみれば、本人の落ち度ではなくて「先祖(父親)のせい」だろう。奥崎は、地獄の強度だけでなく、その論理においても破綻したのであった。

そんな奥崎に黙って付き従う妻、シズミの姿が傷ましかった。そのシズミは奥崎が殺人未遂で服役してしまったために奥崎の代わりに、様々なメッセージが書かれた街宣車に乗り込み、街中を徘徊する。素朴な老婆が奥崎が読んでいたような毒々しいメッセージをたどたどしく読み上げる。映画のラスト、そのシズミが死亡したことがスーパーで流れる。目頭が熱くなった。

ちなみに山田は、奥崎との押し問答の中で、誰が殺されて食料にされても不思議のない状況下で、なぜ自分だけ生き残れたのかを白々と告白する。

「実を言えば、自分のこと言いたくねえけど、勘が良かったわけ。水がある山、ない山、この峰はどっちに通じるか、外が見えないジャングルだって、見分けるだけの力があったわけ。だから、俺を殺しちゃえば、みんな不自由になるわけ。だから、殺したいっていう人も、殺して食いたいっていう人もいるけんども、またかばう人もいるわけだ。それで、生きたんだよ」

芸は身を助くとでも言うのか。

この殺人未遂の刑での服役を終えて出所した奥崎はAVとか出演してましたね。変わったものを称賛するのがカッコイイと思っている某雑誌に載っていたから見た人もいるだろう。ヨイショされて浮かれる奥崎を私は侮蔑する。

以上。


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