愛の人

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ある日、久しぶりにある知人の女性から電話があった。

以前は好意を抱いた人であるが、私の友人のところで言った私についての陰口(私に会うと人が否定的な影響に感染してしまうというような内容)を聞くに及んでこちらからは連絡しないことに決めた。ただそれでも来るものは拒まない。私もここ最近、人と会話を交わしていなかったので、向こうが話すのに応じて計数時間、話したのだけれど、「無私の愛が大事なのよ」と強弁されて、なんでこの人に説教されなければならないのかと思った。

 もともと彼女は説教好きなのであった。銀座のあるクラブでママまで勤めた彼女は、自分は一流のことも知っているし、人間の汚い部分もよく知っている自負に満ちていた。要するに、ほとんどのことに一家言を持っていたのである

 好意を持ったことのある人だから、こちらから悪口を浴びせた覚えはない。恐らく水商売のように、前提が極めて限定されているコミュニケーションでしか、コミュニケーションを訓練してこなかったせいではないかと私は整理した。要は人の話を聞けないのである。表面的にしか聞けない。現在話されていることよりも、既に話したことのパターン分類とこれから話すことの先読みにばかりエネルギーを費やしていると私は分析した。相手はこういう意図で話したのだろうから、そのパターンには、この方法で対処!という具合。相手の話を聞くというより、情報戦で相手を制しようという感じである。昔の彼女の職場では、それで制することができたのかもしれないが、前提の違う日常の会話では、全然、制することができなかった。彼女はとんちんかんなことを言う、と思っている人が複数いた。

 こちらから全然連絡をとらなくなって数ヵ月経ったとき、向こうから電話があって、今まで自分が悪かったと謝った。ひどいことばかりしてきた、と。謝るなら謝るでいい、それで彼女の気が収まるのならと思った。で、その次の電話のこの日、また説教なのである。

「多くの人のために働くの。愛する相手のために祈るのが大事なの。見返りを要求するようではダメ。見返りが来なくてガッカリするようなら、それは自分が可愛いだけなのよ」。

彼女の頼みを聞いたけど、お礼の一つも言われなかった経験のある私としては、それは自己正当化じゃないのかい?とも思ったけど、それは口には出さなかった。ただ、彼女の説を肯定しなかった私に対して、彼女は攻撃的な口調になった。無私の愛を説いている人が、自説に賛同が得られないだけで攻撃的になる

 それを聞いて、私は言った。「じゃあ、一つ、極論をしてみよう。世のためにと思って頑張っている人がいるとする。その人以外の世の中の人全員が、死んだのかどうかもわからないまま、その人の前から消え去ったとする。その人が『淋しい』と思ったら、その人は自分が可愛かったのか? あなたなら淋しいと思わない?」

彼女はそれなら「淋しい」と思うのは自然だと答えたが、それで私が何を言いたいのか判らないと言った。その話はそこで打ちきった。

「徳一ならば動いて吉ならざるはなし。徳二三なれば動いて凶ならざるはなし」という言葉が「書経」にあるそうです。
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