日誌2003年12月

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12月28-29日

随分と長いこと借りていたものを複数の人にまとめて返した。
文庫本1冊が7年ぶりに返ってきても相手が面食らうかもしれない。
本とかテープなのだが、「これいいよ」と勧められて渡され、読まないうち、聞かないうちに返すのが失礼だと思って、読んでから聞いてからと思っているうちに数年過ぎてしまった。
要するに私が進んで読みたい本ではなかったと言える。
(だから私は趣味の違う人にはものを勧めない)


何回も「今月中に返す」と思い立っては挫折していたのだが、昨年末に「絶対、年を
越えさせてはならじ」とすべて29日までに発送した。

し終えてみると手紙を書く時間を含めて、さほどの時間がかかったわけでなく、要は気力の問題だったのだな、と思う。

きちんと片づけて終わらせていくというのが大事だと思ったしだい。いい歳した大人の書くことかよ、と思われるかもしれないけど、大事だと思います。


12月27日

第二級陸上特殊無線技士さんに教えてもらったクイックガレージにiBookを持ち込んで修理。
液晶の不具合だろうと思っていたが、そうではなくて、中のケーブルが劣化していた模様。
ケーブルを交換して復活。しめて2万5千円。5万じゃなくて良かった。


12月24日

特に用事もないまま早く家に帰り、読書をしていたところに電話が鳴った。
Aだった。それだけで嬉しかったが、クリスマス・プレゼントとして、歌を歌うと言う。
Aの好きな歌でいいよ、と私が言ったら、Aは川本真琴の「愛の才能」を歌ってくれた。
とてもとても嬉しかった。すごくすごく嬉しかった。

クリスマスというと、シレジウスの詩の一節を思い出す。
「キリストが千回ベツレヘムに生まれても、あなたの中でなければ、永遠に無意味である」

合掌。


12月23日

昨日に引き続き、『正法眼蔵』と伊福部隆彦の『正法眼蔵新講』を読む。


12月22日

久しぶりに友人のH原くんのダンスを見た。
王子にあるシアター・バビロンのほとりにてという場所。道楽でやっているのかという
感じのシアターだった。
彼は芸名・ひよこ男爵と名乗っていた。他にも二人出演したが、彼だけを見ていた。
日本でいえば人間国宝か無形文化財のような父親を持つ、300年以上の歴史を持つ音楽一家の末裔であるザイールのパーカッションを迎えての即興。
題目としては「無国籍民族舞踏」となっていて、実にひよこ男爵だけが、無国籍民族舞踏になっていた。

会うのは2年ぶりだったろうか。もっとかもしれない。
収入がないときに日払のアルバイトに使ってもらえないかと何度か電話していたのだけど、結局、一度もしないで月日が経った。

仕事落ち着いたからアルバイトの件はいいや、と告げると、彼の方が人手が無いので来てくれと言う。
経営者になれば、自分の公演のときに、雇った人間に仕事を任せて、自分は踊れると思っていたら、雇われる方が、画家、パフォーマー、ミュージシャンばかりで、「制作が山場なんで休ませてください」とか、逆に言われていて、思うように休めないらしい。可笑しい。
まともな職人が一人もいないので「特殊部隊」と呼ばれているという彼が言う。
そんな特殊部隊の一人と一緒、都合3人で、公演の後、飲みに行った。

彼の奥さんの親が遺した千葉の一戸建てに格安で住んでいる、その芸術家は、たしか、ずーっと家賃を納めていなかった。
この日、そのことをH原くんに尋ねると「いや、最近は払ってるよ」とのこと。
ちなみに、H原くん夫妻はアパート暮らしである。

その彼は、H原のダンスを激賞する。
芸術家「いや、テッシーを超えたね」
H原「今時、“テッシー”なんて呼ばないだろ」(やれやれという顔)

その芸術家は、変身キリンにいたとか、灰野さんともやったことあるよ、とか語っていた。
他の特殊部隊の一人は「間章の引っ越しを手伝ったことがある」「元宇宙企画の社員」だという。それには苦笑した。
なんで、そんなのばかり集まるんだよ。


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