日誌2003年10月

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10月30-31日

30日の深夜1時30分、携帯電話が鳴った。出るとジェシカだった。駅にいるから迎えにきてほしいと言う。

こんな夜中になんでだろうと思ったら、上司に付き合いを強要されたりセクハラされたりしたのに怒りを爆発させ「バカ野郎、辞めてやる」と上司に言い渡したところなのだという。

風邪をひいた身で駅まで小走り。駅につくと、ジェシカは噴水に向かって坐り、携帯電話でまくし立てていた。会話を終え、二人で私の部屋へ向かう。今まで外では会っていたけど、ジェシカが私の所に来るのは初めてだ。こんなのが最初の訪問になるというのが変な感じ。

部屋の明かりで間近で見ると、思ったよりジェシカの髪って赤いんだなと妙に感心した。

朝まで一緒にいて、翌朝駅まで送り、また私は会社を休んだ。

昼過ぎ、ネットの古本屋で注文した「地球ロマン」6号が届く。(目次が他所のページにあった)
「地球ロマン」1〜5号は、大学生の頃、持っていた。「地球ロマン」にも執筆していた、『謎のカタカムナ文明』の著者である阿基米得氏から、購入したのであった。
B子のことがあって、蔵書のほとんどを売り払ったときに、この1〜5号も売ってしまった。
1〜5号も古本屋によっては高い値で売られているが、この6号は書店に並ぶ前に裁断されたことになっており、希少価値がさらに高い。
とはいえ、希少価値が高いから買ったわけではなくて、特集が「奇想科学鑑」つまり、異端科学であったからだ。特に楢崎皐月の資料が載っているらしい、ということが購入した理由のうち大きなものであった。

この6号の発行年月は、1977年の8月。四半世紀が過ぎている。
二十年一日の部分と、とっくに共有されなくなってしまった感覚の部分の両方がある。

巻末の広告に、笠井叡やミルフォード・グレイヴスの公演の案内があるのが、
なんとも、時代とこの編集部の置かれていた位置を思わせる。

21世紀の今、【異端】や【革命】はどのように可能なのか?――。また、可能であるとして、どういう意味があるのか。
おそらく、意味はあるまい。そう、今の私は考える。


10月28-30日

結局、28-31日まで会社を休むことになった。マンガ喫茶で金を浮かせても、これでは失敗である。


10月27日

出張からの帰りの飛行機の中でも風邪っぽさを感じていたのだけど、27日は出勤した。でも、体調が悪くて夕方早々と帰宅。布団に入って寝る。

夜、久しぶりに家の電話にAからの電話があった。嬉しかった。
Aとの会話を終えて、5分もしないで、また電話が鳴った。
またAだろうか、と思って電話に出るとOJだった。
OJからの電話というのも久しぶりだった。

また何か説教か、それとも頼みごとかと少し訝しがったが、違った。
純粋に話がしたかったようだ。
覚醒のための道を一生進むから、普通の女性の幸せは捨てた、という趣旨のことを以前にOJから聞いた。
その発言をした頃の彼女は、新たなヨガ教室に入会し、そこの女性師匠に傾倒していたわけだが、最近、教室に通う回数も減り、その傾向の本を読むのも減ったという。関心がなくなったから減ったわけではなくて、自分が変わらない限り、【どれも概念でしかない】ということに嫌気が差したようだ。
普通に結婚し家庭を守るような幸せは放棄したわけだが、その一方で、悟道での成果が何かあるのかというと、これも何もない。
この寄る辺なさは、フツーの人に話しても埒が開かない。バカなことはさっさと止めて結婚しなさい、で終わりだろう。
また、ヨガ教室の知りあいに話せば、教室にもっと通いなさい、という内容になってしまう。
つまり、この種のことを話せる相手というのが、今の彼女には私しかいなかったというわけだ。
その寄る辺なさは、解る。が、私は彼女のように夜中に恐怖感に襲われて目が覚めるという所には、今はいないが。
「私、変になってないかなぁ?」とOJ。
変というのが、一般社会を基準にしたら、もう既に変だけど、私から見たら変ではない、と答えておいた。

昔、OJから言われた。
「リウカさんとは男女の仲にはなりたくないけど、一生、友達でいたい」と。
その言葉を思い出した。覚えているかと尋ねると「勿論」と彼女は応えた。

都合3時間弱話した。

腐れ縁というと言葉が悪いが、そういうものはあるんだろうな、と思った。


10月25-26日

出張で鹿児島へ行ったので、ついでに熊本へ。熊本には、ネットで知り合って4年になるI田さんがいる。

I田さんの仕事が終わるまで、熊本の町をぷらぷら散策。ちょうど芸術祭みたいなものをやっていて、面白い音楽を生で聞けた。

熊本交通センターという所で待ちあわせ、近くのファミリーレストランへ。掲示板の話題になるかと思ったら、教育の話になった(I田さんは塾自営)。午前2時ぐらいまで話して、眠くなったので切り上げる。

探しておいてマンガ喫茶で私は一夜を過ごした。昼間歩き回って汗をかいたまま、こんなマンガ喫茶で夜を過ごしたのが風邪をひいたきっかけだった。反省。

朝になってから、ケーブルTVのチャンネルをかえていたら、「猫目小僧」!をやっているチャンネルがあって、ついつい見てしまう。アニメでもなく、紙芝居でもなく、紙に描いた絵を動かしたものを録画するという他に例を見ない方式の作品。本放送当時ももの珍しくて見ていたが、今見ても珍しい。なんでこんな手間がかかって制約の多い方式をとったのか、制作者に尋ねたいところ。

朝9時前。I田さんと待ち合わせて、島田美術館へ。今、ちょうど宮本武蔵展をやっていて、それを見る。会場が3つに分かれているのだが、うち2つは車ですぐの所だから、とI田さんが車で案内してくれた。

江戸東京博物館で、武蔵の書画が展示されていたのを見逃していたので、これはいい機会であった。武蔵は、世間に合わない一徹な人だったろうな、と空想。

ほとんど休む間もなく、美術展を見ているうちに空港に行くバスの時刻となってしまった。I田さんには大変世話になった。


10月24日

出張のために空港に向かう私の携帯電話が鳴った。私の携帯が鳴ることは滅多にない。見るとAの携帯からだった。2ヵ月ぶりぐらいだろうか。嬉しかった。駅の片隅にしゃがみこんで、会話。


10月19日

初級シスアドの試験日。朝、メールを見ると、ある相談メールが来ていて、それへの回答を書いていて、試験に行くのを止める。もっとも、そのメールだけが理由ではないのだけど、きっかけになった。


10月18日

ずっと家に居て、夕方になってやっと商店街へと出向くと、商店街に入る道の所にトラックが何台か集まって止まっており、荷台に書籍が乗っていた。そのうちの1台は雨だというのに、幌もない荷台に乱雑に本が詰まれていた。まるでゴミ扱い。なんなのだろうと思って、商店街に入ると、うちから商店街に入る道の突き当たりにあった古本屋の中の一切合切が運びだされていた。本だけでなく、棚も。

そして、奇異に感じたのは、書店の店主がそこにいないことだった。いい連想は生まれない。

数時間して作業が終わり、古本屋であった店内はまったく何一つない空間になっているのに、「臨時休業」と書かれた紙がガラス戸に貼ってあった。

休業には見えないだろ。


10月10-11日

仕事の帰りに智禾さんに電話すると家にいるということなので、遊びに行く。マンガのこととかいっぱい話した。

翌日、智禾さんの出勤に合わせて一緒に家を出た。電車の中で、千葉の少女殺害事件のことについて少し話した。

(これが掲示板のNo.1941以降の話に続く)


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