日誌2003年5月

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5月24日

資料のコピーを送ったお礼に何かしたい、と言っていた仁さんに、「じゃ、お茶でもご一緒に」と言ったことで、彼のうちに遊びに行くことになった。仁さんとは4年前にネットで知りあったが、今まで声も顔も知らなかった。

資料を送ったときは別の町に住んでいたが、今は私の住んでる所の目と鼻の先に住んでいるというのも、伺うことになった一つのきっかけである。

仏教哲学を研究していたことと、彼と話した掲示板ではアカデミズムの論文の話が多く取りざたされたので、さぞや蔵書が多いのだろうと思ったら、本の多くは実家に置いてあるということで、非常にあっさりした部屋だった。

結婚する予定で一緒に暮らしている女性がいて、3つある内の真ん中の部屋が真っ赤なシーツに真っ赤なカバーのベッドがでーんと置いてあったのが、妙に印象に残った。彼女のお手製のスパゲティをご馳走になり、お茶を飲みながら歓談。言葉を一つ一つ丁寧に選んで仁さんは話す。

二人を見ていて、こういう男女ばっかりだったら、日本ももっと安泰なんだろうなぁとちょっと思う。

近くだということもあって、二人を私の住所まで案内する。上がりますか、と尋ねると、今日はもう一杯の体験をしたので伺うのは別の日にしたい旨、仁さんは静かに答えた。

家に帰ると注文したタイムドメイン・スピーカーが届いていた。


5月10日

ダンディ社長の会社で一緒だった面々で新宿に集まる。幹事はSMさん。自殺しちゃった香港の男優をSMさんが好きだったので、その連想から決まったお店。その日集まった面々は一人を除いてもうダンディ社長の会社を退職していた。

最近は会社に借金の督促の電話も来るらしい。その上、「自分は食うものも喰わずに貯金を崩してキミらに給料を払っているんだ」という内容のことを社員に訴えたらしい。そんな話を聞いたら会社から逃げ出したくなることはあっても、感謝はしないでしょ。

さらに、ダンディ社長自身が、会社を退職したことにして、失業手当を受け取っているという。会社を辞めたなら、仕事の指示をするなよ!

金がない、仕事がないとぼやきながら、結局、私が退職前に整理して、後はダンディ氏が十数項目(原稿用紙にして20〜30枚程度)を埋めれば完成するはずだった仕事も、他人のせいにして完成させなかったという。そんなんで、仕事がないとぼやくのは馬鹿げていると思うのだが。いや、いわゆるクリエイターにはそういう人はいてもいいかもしれんが、会社の社長としては失格でしょう。

二次会は、IMさんを交えてカラオケ。IMさんは非常に歌がうまい。コーヒーのCMにも使われた「lovin' you」の高音の箇所も奇麗に歌えるといえば、少しは分かるか。IMさんの歌を聴くだけで来た甲斐があったと言っても悪くないぐらい。また聞きたいです。


5月9日

母親の所へ行く。母の誕生日であった。弟と3人でビールを飲んで楽しく食事。


5月3日

精神世界系のフリーマーケットと銘打ったメールマガジンで、不思議研究所のヒーリングCDが出品されていたので交渉して購入を決定。新品で買うと2枚で9万6千円するもののうち1枚を安く分けてもらうことになった。

早く欲しかったのと、相手の住所が通勤路の途中だったので、この日、売り手の住む場所の最寄り駅で商品を受け取ることにした。

少し話しませんか、と言われ、近所の喫茶店に入る。

「もしかして○○○にお勤めではありませんか?」

そう尋ねられてえらくびっくりした。当たっていたからだ。なんで分かったんですかと尋ねると、私の降りる駅名を聞いたときにピンと来たと答える。とはいえ、私の勤務先の最寄り駅の周りに他に会社がないわけではまったくない。第一、なんで、駅名から勤め先が直結するのか。

「いや、私もあそこに勤めていたことあるんです」と彼。

これも奇遇というのだろうなぁ。


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