3月31日
仕事の帰りに、一つ前の駅で降りて古本屋で「H」1999年11月号を買う。川本真琴がグラビアに載っている号だ。これは発行当時に購入したのだけど、処分してしまった。
ちょっと懐かしさに負けて購入。1999年というのは、自分にとって色んなことがあった年だった。
引用なのか、川本真琴関連の誰かの作なのか知らないが、川本真琴が映っていない見開きの写真に書かれた幾つかの文。
“We lost all annd creat the beginning with one love we pray”
(僕達は全てを失い、そして「大好き」という祈り一つで「始まり」を創り出す)
“In the welcoming light, we restore minds to one innosence”
(歓迎の光の中で、僕達は心を一つの純真へと還元する)
「かなしみをときぼくはとべる」
このグラビアに収まっている川本真琴は黒髪のストレート。私個人の好みで言うと、川本真琴は黒髪の方が良い。
3月30日
イタチョコのラショウ氏がシャーマニック・マスクド・シャンソンなる催しを開くというので、高田馬場に向かう。会場は狭い喫茶店であった。
幕張のマック・エクスポでも生のラショウ氏は見ているはずなのだが、生活苦のせいなのか「線が細い」印象が非常に強く残る。
どこがシャンソンやねん(笑)というところか。ラショウ氏だから許されるんだよね。ああ、でもマスクはしてましたから、そこに偽りはありません。
ラショウ氏には頑張ってほしいと思う一方、頼まれた仕事を放り出した話を聞くと、なんか素直に応援できない。
そんなことより、舞台のラショウ氏の姿をビデオに収めようとカメラを構える男性が、職場の知り合いに似ているのが気になっていた。位置関係から相手の横顔しか見えなかったので、「まさかなぁ」と思っていたが、終わってみると、やはりその人だった。
「こっちはとっくにリウカさんだと気づいてましたよ」と。
いや、そんな偶然があるとは普通は思わないでしょ。そういや、彼は職場でもMac使っていたな。
3月29日
トータルヘルスデザインの東京営業所に行くために三田で降りる。スマーティーが1回数千円でできるからだ(スマーティーの最初の体験については2001年5月29日の日誌参照)。
着いてみると、船井幸雄の事務所と同じビルであることに気づく。ふーん。
中に入ると、健康用品というよりは、自分で言うのもなんだが「怪しい」商品が多い。ま、そういうのも好きなんだけどね。
スマーティーに入って30分。汗がダラダラ出る。終えて小一時間は汗が引かなかった。これで老廃物が排泄されて筋肉が丈夫になるのなら、いいことだ。
三田というと仏教伝道協会に入っていた中国精進料理のお店、菩提樹が思い浮かぶ。さて、どの辺だったかと考えるがぴんと来ない。ビル清掃のアルバイトをしていた頃は、一度歩いた道はすべて覚えていたのだが、最近はとんとダメだ。最後に菩提樹に来たのは10年以上前のことだろう。この日は、菩提樹に寄らずに帰宅。
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