日誌2002年6月

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6月28日

派遣先の面接の日。派遣会社の営業の人と待ちあわせてその会社へ向かう。

自費出版で有名な会社である。大きな自社ビルを構えていた。後で、一緒に行った営業の人から聞いた話では、この営業の人が担当した最初は、別の土地の汚い雑居ビルに事務所を構えていたのが、ここ数年でより立派な事務所への移転を繰り返し、ついに自社ビルに至ったらしい。

要は、それぐらい自費出版が儲かるということだ。

面接に使われた部屋は、面接には不相応な応接室だった。面接した会社側の人間は3名。名刺は渡してくれない。

面接の後で、営業の人から聞いた話では、会社側が面接相手に「今までの仕事のやり方はすべて忘れて下さい」と言ったこともあったとか。私は、その言葉は言われなかったが、いかに特殊な出版であるかの説明を諄々とされた。

「著者の方の中には、心に病を得ている方もあり、原稿を書くことで社会と接点を持ったり、原稿を書くことを癒しとされている方もいらっしゃいます。時には、著者とのやりとりがカウンセリングや人生相談のようにもなります……」

編集といっても、実際の仕事は著者とのやり取りがほとんで、何があっても著者を怒らせたり、引きこもりさせてはならいということだ。そのやり取りが大変なのだと諄々と説明する。

話は変わって、1ヵ月に3冊校了、そのため4ヵ月目には同時12冊並行進行するという。それはちと驚く。(が、システムが確立しているので、12冊同時進行でも大丈夫だとか。)

翌日に連絡をくれることになっていたが、まだ検討中ということで翌日には連絡がなかった。


6月27日

カニノフチさんには随分と迷惑をかけました。ご免なさい。

家で仕事をすることに行き詰まりを感じて、ここしばらく派遣会社に登録しに行ったり、以前に登録したところに何かないですかと尋ねたりする日を過ごしている。

とりあえず片端からという感じ。ネットで知ったある人材派遣会社と今日、電話で話したのだ。

遡ると、エントリーが必要とのことで、連絡先や簡単な履歴を書いたフォームを送信したのが最初。すると、「件名を変えずに連絡先を書いたメールを返信して下さい」とのメールが届いたのだ。連絡先は書いたはずだが、イタズラ防止のためなのかなと思いつつ、改めて電話番号と住所を記入したメールを送ったところ、昨日、その会社から留守電が入っていた。会社名は言ったものの、名前は名乗らず、「また、かけ直します」と入っていた(他の会社は「お電話下さい」が多い)。

が、いつかかってくるか分からない電話を待つのも嫌だし、進められるものは先に進めたいと思って、今日、電話したのだった。応対は丁寧だったが、今まで接してきた派遣会社とは異質なものを感じた。メールや電話での連絡の、無意味と思える段階の多さにも、それを感じていたが、電話でその感は強まった。

他の会社では、連絡した時点ですぐに「履歴書を持参して下さい」というのが多い。ここの会社は違った。電話で尋ねるのである。「履歴書を送りましょうか」と私は言ったが、郵送では受け付けないらしい。電話で尋ねた後、持参するというのが、この会社の方式なのであった。

最初にエントリーする時点で、「当社はフリーランスの仕事はキャリアとして認めません」と説明に書いてあるのは読んでいた。出版関係専門の人材派遣と銘打っていて、フリーをキャリアとして全く認めないというその方針の真意も理解しかねたが、まぁ、ラフな服装でフリーとして活動していた人間は、勤めに向かないとでも思っているのかと推測した。が、これも違うことが電話で分かった。

電話の相手の女性は、改めて「当社はフリーランスの期間の仕事はキャリアとして認めません」と私に告げた。遡って契約社員、派遣社員で働いていたことを私が言うと、契約や派遣もキャリアに含めないという。そして、こう言ったのだ――。

「正社員か、アルバイトの経験はないのですか?」  

「??? アルバイトはキャリアに含めるのですか」

「はい」

「アルバイトは含めて、派遣や契約は含めないのですか」

「そうです」

なんか登録する気が失せたので、一通り説明だけ聞いて、電話を切った。聞いた説明によると、面接は平日の3時30分が最終だという。つまり、夕方とか土曜には面接を受けられないのである。フツーに正社員をしている人間なら、登録できないじゃないか。正社員のキャリアばかり有り難がっているのに方針が変だよ。

これは今日の話ではないが、ついでに他の派遣会社、日経BPサービスのことを書こう。

日経BPサービスに登録したのは、東京に帰ってきたばかりの2年前だ。求人誌での募集を見て、書類を送ったのだ。それから3ヵ月も音沙汰がなくて、私は選考に落ちたものだと思っていた。3ヵ月経ったある日、電話がかかってきて、選考に通ったので説明会に来て欲しいという話になった。その説明会でも七面倒臭い試験を課された。説明によると、説明会に呼ばれた人達は既に登録されており、この試験は適性を見るだけのものということだった。

その時に、すぐに何か紹介できるでしょうと言われたが、この2年間、1回も紹介がない。登録したきり紹介がない派遣会社は他にもあるけれど、選考に3ヵ月もかけた会社は他にない。これが第一。

そして、今回、以前に登録した派遣会社に電話した。たいていは「では営業の者と連絡を取りまして、希望に合うものがありましたなら、ご連絡差し上げます」云々というやりとりになるのだ。日経BPサービスは、電話に出た女性が「ありません」とぶっきらぼうに即答した。これが第二。

第三は、日経BPサービスが他の派遣会社より、時給が低いこと。日経BPサービスは日経関連の会社にしか派遣しないと説明していた。他の派遣会社が、高い時給を払って人を派遣しても利益を上げていることを考えると、日経は単に人件費を抑えているとしか思えない。

というわけで、日経BPサービスについては、いい印象がまったくなくなった。

IMさんから連ちゃんでメール。題して、「気分は長渕剛 再び」。

--〔引用開始〕-----------------------------------------------------------------------

10歩先は何も見えねえ霧だ!俺は目の前にある宿に飛び込んだ!腐りきったようなこ
の身体と!臆病が染み付いたようなシャツを!熱いシャワーで洗い流した!目覚める
と洗いたてのシャツと!嘲笑うような白い空!洗いたてのはずがねえ!!一晩中干し
たんだ!なぜ泣く俺のシャツ!Oh my シャツ!乾かしてやりてえ!Oh my シャツ!明
日俺はホテルを移る!ライララライララ....

--〔引用終了〕-----------------------------------------------------------------------

メールが連ちゃんで来たこともあって、IMさんとともにEW社の同僚だったSMさんに電話。げらげら笑う。7月24日にフランスに旅立つらしい。それまでにお茶をできるといいのだが。


6月26日

新宿に向かう電車に乗ると、正面に杉浦康平氏らしい人がいた。顔や服装からまず間違いないと思うのだが。本を手に取っていて、図像のないページは一目でめくり、図像があるページは、じーっと見ていた。

カッコイイ。

杉浦康平氏と羽良多平吉氏による雑誌や本のデザインは高校の頃から刷り込まれているようなもので、好きだ。その好みは、サイトの制作に全然反映されていないけど……。

夕方、用事があって数ヵ月ぶりに吉祥寺に行く。なんか、商店街に変な黒服キャッチや、ラッパー崩れみたいなティッシュ配り(「おねがいしまーす」ではなく、「YOーッ」という感じでティッシュを突き出し、無言のまましばらく付きまとい、それを繰り返す)が跋扈していた。私の好きな吉祥寺には似合わない人種。

久しぶりに高校数学の問題を解いたら間違えた。情けない。

インドに行ってるIMさんから夜遅くメールが届いた。23日の日記だとのこと。

--〔引用開始〕-----------------------------------------------------------------------

豆機関車
灼熱のバラナシからNJP(ニュージャルパイグリ)にて一泊。翌日3両編成の玩具
のような機関車、その名もトイトレインに乗り込み83kmを10時間ゴトゴト揺られ、標
高2134の霧のダージリンへ。NJPからしばらくは民家(難民にも見える)の間をス
レスレで走る。葉を編んで作られた家の中から子どもたちが無邪気に手を振ってい
る。あまり嬉しそうなので、こちらも思わず笑みがこぼれる。スイッチバック方式と
呼ばれるジグザグ走行で、箱根登山鉄道と同じ方式らしい。ある程度登ってUターン
の代りに線路を切り替えるのだけど、近所のおばちゃんらしき人物がサリーのままで
切り替えしている姿にインドを感じて興奮っ。しかし、登につれサリーを着てても明
らかに人種が違ってくる。劇画タッチのインド顔から、水墨画タッチのチベット、ネ
パール顔へ変化。日本人の私としては、ただ田舎に来ただけのような安心感を覚え
る。3分の2程登ったところで、ディーゼルから石炭へチェンジ。シュシュシュッ、
シュシュシュッ、ポーッ!!、シュシュシュッ、ポポポポーーッ!!!火山噴火みたいに
煙がドカーンと飛び出すようすに、さらに興奮収まらず昇天!昇天だけが人生だ!無
くなる前に乗れ!トイトレインは世界遺産だ!(無くなる予定はないっす)

--〔引用終了〕-----------------------------------------------------------------------


6月23日

午前3時に目が覚めて、なにげなくTVをつけたら、四人囃子がライブをやっていた。あとで番組情報を見ると2時40分からやっていたようなので、最初の方は見逃したことになるが、「なすの茶わん焼き」と「一触即発」は堪能できた。

10年ぐらい前だったか、MZA有明で再結成ライブをしたときにもちらっとTVでその模様を放映したことがあったが、一曲まるまるTVで放映しているのは初めて見た。

「一触即発」の生演奏を聴けるというのは、熱心なファンでもなかった私にしても嬉しい。30年近く経っても古くさく感じない。

対バンがチャーの在籍していたスモーキーメディスンといった。全然知らないバンド。四人囃子と同じ事務所に所属していたというが、公式音源を発売していないというので、ライブを見に行ってなければ知らなくても仕方ないか。

このスモーキーメディスンが四人囃子を驚かすために1曲目に四人囃子の「空と海」を演った。四人囃子のドラムの岡井が「お前らには負けたよ」と言っていたが、ヴォーカル以外(ヴォーカルが女性だったので)は本家を凌いでいたかもしれない。

しかし、画面右隅に出る番組名での表記が「スモーキーメディスソ」となっていて、テロップを打った人間は2ちゃんねらーかと思ったら、当人達の洒落だと後で知った(TV朝日の情報参照)。

四人囃子のライブはGWにあったと番組の詳細で知った。ホルガー・シューカイのライブもそうだったけど、前もって知っていれば行ったのに。情報誌を小まめに確認してないと知ることができないものなのか……。

昼間、フジTV系の「ザ・ノンフィクション」を見た。前に「段ボールリヤカー人生」を見たとき(4月21日の日誌参照)は、前もって見ようと思って見たが、今日はたまたま。

キャット・ファイトの選手をしている女性が取り上げられていた。リング・ネームはめぐ13歳(写真がここにある。なお番組によると実年齢は26歳)。冒頭を見逃しているので詳しい事情は判らなかったが、小学・中学といじめられ、誰も友達がおらず、人とコミュニケーションをとるのが極端に下手な彼女が行き着いた先が、キャット・ファイトであった。試合の模様を放映していたが、いじめられて泣いているようにしか見えない。

試合を観ていた客のおじさんが、「相手を見て戦うんだよ。相手を見なきゃ」と優しく声をかける。元暴走族という先輩キャット・ファイターが、これからお母さんになることもあるのだから、もっと強くならなきゃ、と励ます。そういうキャラ。

声優になるのが夢で、声優の専門学校へ通った。20歳過ぎて親に頼るのは良くないと工場で女工として働いて学費を作ったらしい。が、声優になれなかった。こんな話下手な私が声優になろうなんて思ってすみません、と取材する人に謝る。いじましい。

あんまり弱すぎては試合がつまらないから、格闘技を習ってこいと店長に言われ通っている格闘技ジム。友達も恋人もいない彼女が、知らない男性とぶつかり合って会話を交わす。この時に自然に笑ったのだ。

ナレーションでも「初めて彼女が笑った」と入ったが、その笑顔はすごくすごくいい笑顔だった。上記のURLにある引きつった顔からは想像つかないほど、ほっとする笑顔だった。キャットファイトを見にいくことはないだろうけど、応援したくなる笑顔だった。頑張ってね。


6月21日

昨日、数日前の新聞を読みたいと思って中央図書館まで行った。月曜が休館であると思っていたら、この週に限り木曜日も休館であって目的を達せられなかった。一駅分歩いたが無駄足であったわけだ。

元から、図書館というといつも中央図書館を利用していたが、目的からすると今回は別に中央図書館でもなくてもいいやと区がくれた地図を家で眺めていた。

中央図書館と逆方向にやはり一駅ぐらい歩く場所に図書館があるのを見つける。その図書館に行くことにした。ほんの少し、こちらの方が近かったからだ。また、使ったことのない図書館に行ってみるかという思いもあった。

ようやく辿り着くと「21日まで休館」と貼ってあった。無駄足。

仕方なしに一回家に帰って、午後の日差しが弱くなってから、中央図書館に歩いていった。


6月12日

インドに行ってるIMさんからまたまたメール。題して「哀しいときーーっ!!」。

--〔引用開始〕-----------------------------------------------------------------------

ネットで占いにはまってる自分に気が付いたときー。子供にまでぼったくられたと
きー。食べてる最中、すぐ側で牛に放尿されたときー。W杯見るためにレストランに
いったら、停電で見れなかったときー。ラーメンも玉子丼もカレー味だったときー。
初めてのインド旅行で退避勧告がでたときー。親戚から「お母さん心配してたよ」っ
てメールがきたときー。母親から「産むんじゃなかった」ってメールがきたときー。
最近書く事がなくなったー...

--〔引用終了〕-----------------------------------------------------------------------

せっかく海外旅行してるんだから、書くこと一杯あるだろ! インドに行ってまで、ネットで占いはちと侘びしいです。

退避勧告というと、彼女は国内旅行したときには、台風のために足止めを喰らい、新幹線の中で一泊したことがあり、母親と一緒にハワイに行った去年には、ちょうど同時多発テロにあって、観光名所のどこにも行けなかったという経験を持っている。旅行運は悪いかも(断言じゃないよ。「かも」ね)。


6月某日

食事をしに近くのサイゼリヤに入る。席に座ると同時に注文したのだが、後から注文した隣の客の品が先に届き、私が注文し終えた後に来た客が、ほとんど食事を終えるぐらいになっても、私が注文した品は出てこなかった。

いい加減尋ねようかと思ってチラチラ店員を見ていたら、近づいてきて「お客様、ご注文はまだでしょうか」と言う。「とっくに注文しましたよ」と言うと店員は確かめに飛んで帰っていったが、私の注文はなくしてしまっていたようだ。

5月17日の日誌で、SMさんと喫茶店に入って、注文したのに忘れられていた話を書いたが、私はこれまでにも、何回か注文を忘れられたことがあった。

一つは大戸屋だが、やはり私より後から頼んだ人のが7人分くらい出たときに、尋ねたのだ。料理の手間などの関係で……と店員は忘れたとは認めなかったが、私が注文したのは、とろろご飯と煮付けとみそ汁(つまり、新たに調理する品は一品もない)で、もっと手のかかる品をどんどこ先に出しておいて何を言うのかと思ったものだ。

あとは、オープンキッチンの自然食レストランで、他の客のテーブルの上に料理が並ぶのに私のテーブルの上だけ、ずっと何も載っていないことに、調理場の人間が顔を蒼ざめさせて、それからウェイトレスが尋ねに来た。結局、私がした注文は完全に忘れられていた。理由はわからない。

注文を忘れられるという経験というのは、他の人でもよく体験することなのだろうか。私はここ1年で3件という割合である。


6月12日

インドに行ってるIMさんからまたまたメール。題して「気分は長渕剛」。

--〔引用開始〕-----------------------------------------------------------------------

ガンジス河沿いのホテルのベランダに俺はいる!2、3日前に設置された照明灯のお
かげで!無数の虫たちが俺の部屋とベランダにくる!朝起きるとすさまじい虫たちの
死骸があった!生き残った虫どもの高笑い!俺は震える拳を振り上げ!このガンジス
の側で殺生を繰り返した!何が良い眺めだ!電線ばかりだ!バイバイガンジス!大い
なる河よ!俺は明日ホテルを移る!ライララ!ライララ...●●●(注:長渕ファ
ンではありません)

--〔引用終了〕-----------------------------------------------------------------------

ガンジス河のほとりに死骸の山というのが、なんかインドらしいや。


6月某日

駅の近くの本屋で、藤本正行・鈴木眞哉『偽書『武功夜話』の研究』(洋泉社)を立ち読み。

同社の新刊案内より、引用。

--〔引用開始〕-----------------------------------------------------------------------

1959年の伊勢湾台風で、愛知県内の旧家の崩れた土蔵から発見された「前野文書」は、のちに『武功夜話』として公刊された。同書はNHKや朝日新聞などのメディアが、戦国時代を解明する第一級の史料として喧伝したり、遠藤周作や津本陽らの有名作家の作品に種本として使われたことから、その内容が史実として一人歩きすることになる。

--〔引用終了〕-----------------------------------------------------------------------

が、内容が公刊されているのに、実物は公開されておらず、写真版すら存在しない。戦国時代の常識や歴史事実と矛盾する内容が多くあるだけでなく、昭和29年まで存在しなかった地名すら出てくるという。

著者らによると、“おらが先祖の自慢話”の類の文書で、そうしたものは全国各地(の旧家)にあるもの。が、この家の先祖の居住地ゆえに、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康など有名戦国大名がオールスターキャストで登場する(登場させられている)から耳目を集めたのだろうと。

出来がいいから騙されるわけではなくて、人気者が出てくるから偽でも人気が出てしまうというのが、なんか侘びしかった。


6月某日

地下鉄の駅の近くの本屋で、沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ』(文藝春秋)を立ち読み。サンカというと、学生時代に関心を持っていた友人がいた。彼が関心を持ったのは、サンカが古代から体制の束縛を逃れていたと思っていたからだ。が、これを読むとその考えは全部ひっくり返る。

サンカというと三角寛であった。現代書館版の三角寛の「サンカ選集」は7冊にも及ぶ。

新聞記者であった三角は、戸籍を持たないがゆえに無法者・犯罪予備軍と目される集団として、サンカの名を警察資料の中に見つける。そして、それを膨らませてサンカ小説を発表した。世人のサンカ観は大体、この小説に因っていた。

それから数十年、三角は論文としてサンカ研究を発表。サンカの第一人者となったわけである。

沖浦和光は、サンカに興味を持って調べ始めるが、三角以外にほとんど資料がなく、古い文献史料にサンカの名が現れることがない。また、著者のフィールドワークの結果が、三角の主張と著しく矛盾することから、三角の話ののほとんどは嘘であろう、と結論づけた。

では、サンカとは何であったのか。沖浦の説では、サンカの発生は古代などではなく、江戸時代末期の飢饉の際、郷里を捨てた農民であろうという。地元にいては飢え死にしてしまうので脱出したが、幕藩体制の人別帳から外れたため、流浪することになった人々(古い史料に見えないのが、その傍証)。その活動は家族単位で、頭領も組織もなかったようだ、というのは実際にサンカを見たことのある古老の証言。サンカは1950年前後に消滅したらしい。というか、どこかで戸籍をとったのだろう。

サンカに「まつろわぬ民」やら日本人の原像を見ようとした人文系の物書きや作家が結構いたと思うのだけど、かつがれたといったところか。


6月4日

K談社の局長と打ち合わせ。会うのはほぼ半年ぶりか。駅からある人に久しぶりに電話。朗報を聞いた。「元気でね」と言って、電話を切った。

新宿駅では、偽托鉢僧を見たことがあるが、今日、地元で、雲水を見た。傘はかぶらず、屈強そうな体で銀縁メガネ。

ツカツカと大股で歩いていた。その手に札入れと携帯電話が握りしめられていたのが、何か妙。実写版『ぶっせん』という感じか。


6月1日

買い物に行ったついでに、ボロに餌を与えていたコンビニエンス・ストアのおばあさんに、ボロのことを尋ねた。

2月頃、他の雄ネコとの縄張り争いの喧嘩に敗れて、とこか他所に行ってしまったらしい。ボロが小さいときから、餌を与えていたおばあさんだけに心配し、寂しがっているようだった。

もしやしたらと思っていたが、代りに見かけるようになったタヌキみたいなネコにやられたらしい。私は密かにタヌキネコと呼んでいたのだが、私が、「あのタヌキみたいなネコですか」と言うと、おばあさんも「そうそう、しっぽがタヌキみたいなネコ」と表現していた。

どこかでボロは元気にやっているのだろう。そう願うことにする。


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