日誌2001年12月

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12月31日

3時にカニノフチさんのところに納品。まさに年内最後の納品。この日もカニノフチさんは会社に一人だった。今年1年ありがとうございました。2002年もよろしくお願いします。

帰りに渋谷に寄って鳩居堂で「龍賓香」を買う。

帰宅して部屋を眺める。出かける直前まで仕事をしていた部屋は雑然としていた。このまま年越してもいいや、とも思ったのだが、まだ時間があると考え直して掃除を始める。

夜、10時、一応掃除終了。駅前の蕎麦屋に年越し蕎麦を食べに行く。いつも夜通し開いてる店だから、この日も夜通しやってるだろうと思ったら、シャッターを閉めかかっている。ラストオーダーにぎりぎり間に合う。

帰宅して今度は風呂屋へ。部屋に風呂はあるのだけど、近くの銭湯はジェット・バスがあるし、お湯も全部、(なぜだか)πウォーターを使っているので、割とよく利用している。湯船の湯が赤かった。菖蒲湯とか季節の湯はあるだろうけど、大晦日の湯とは何だろうと思案するが浮かばない。帰りに番台の人に尋ねるとワインだという答え。

大晦日にワイン風呂というのは、何か豪勢な感じがした。

いろいろあった1年だったけど、お世話になった人や存在にありがとう。


12月30日

Rから、「急に休みになっちゃったから、食事に行きませんか」と誘いがあったが、仕事をしていたので断る。ごめん、R。この日も徹夜。


12月29日

カニノフチさんのところに納品。仕事納めの翌日なので、オフィスに他の人はいなかった。エレベーター前まで迎えに来たカニノフチさんは、どれがいいですか、と缶飲料を私に勧める。二人とも、しみじみ茶を選んだ。締め切りを破って納品しに来ているのに、本当に温厚な方である。

ずっとまともに寝ていないのでふらふらしながら、大戸屋で食事。

隣の席に着いた女性二人は、Macを使ったデザイン関係の仕事をしているらしいことが会話から推察された。「G4とカラークラッシックをつないでいる人って、あんまりいないだろうね」と一人が言った。

確かにそれは珍しいだろ。

帰宅して久しぶりにちゃんと寝る。


12月27日

昨日、謎の鮮魚店のことを書いて、気になっていた。確かに、店の前で声を出している店員を見たことがないし、はっきり鮮魚店だと判るような商品の陳列を見た覚えもないし、そこで買い物をしている人を見たこともない。が、私の通るのが早朝や夕方過ぎだったことが多かったためではないかと思った。人通りもまばらな通りで商売をする小さな鮮魚店なら、夕方過ぎに商品がなくなっているのは、ある意味、当然のことなのだから。

で、この日、またその店の前を通ってみた。前日に読んだ電光掲示板の文字列が記憶違いであったかと思うような宣伝であった。「揚物各種」「どんぶりもの各種」「総菜各種」などという文字列が、電光による絵と交互に現れる。どんぶり各種?と不思議に思っていると、魚を収めるであろう冷蔵ケースから、一歩通りに出た所にこじんまりとしたガラスケースがぽつんと置いてあり、中に揚物とおぼしきものが幾つか置いてあった。とはいえ、ガラスケース自体が目算にして80cm×30cm×30cm程度のものなので、4品ぐらいしかなかったのではないかと思う。「思う」などといい加減なこと書いているが、立ち止まってしげしげ、その店を観察するというのも変だから、通り過ぎるときに見るだけなのだ。

すると、その日、店の中に人が見えた。ケースの上から銀髪だけ見える。顔はまったく見えない。顔の向きは完全に外へ、つまり通りの方に向いているはずだが、ケースの高さの方が、その店の人より高いのだ。ということは、そこに立っている店の人からだって外が見えないはずなのだが……。

おお、初めて店の人を見たとか小さな感慨があった。なんか、「パワーパフガール」に出てくる市長の秘書を連想してしまった。そうまでして顔を見せないかという点で。


12月26日

その駅で降りるのは初めてだった。朝からの約束だが、朝食を食べていかなかったので、駅の近くの立ち食い蕎麦でも利用しようかと思った。一つの店舗は駅前の立ち食い蕎麦屋なのに、酒や焼き鳥をはじめ各種の肴も提供するという初めて見るタイプ、なんか怖いので遠慮した。もう一つあった店は入ったけど、店の人がいなかった。ガスの火はついたままなのに、声をかけても誰も出てこなかったので、そのまま退出した。

約束の時刻まで少し間があるので少しうろうろしていると「露辺人」という喫茶店の看板が目に入る。「来夢来人(らいむらいと)」とか、そういう類いの趣味の名前だろうなとすぐに思ったが、はて何と読むのかと首をひねる。近づいてフリガナを見ると「ろべると」だった。これは反則じゃないのか。

その駅の商店街で見るからに古くさい靴屋が閉店セールをしていた。「開店36年 ありがとうございました。12月31日をもって完全閉店します」と書いてある。店の奥には、既に商品はなくて、ガランとしている。店頭に残り物が雑然と並べてあり、36年勤め上げたと思しき、禿げて黒眼鏡のおじいさんが後ろ手でうろうろしてた。

そう、今年読んだのだったか、去年読んだのだったか、東京都内の個人商店はここ数年で3割が消滅するという新聞記事を読んだ。高度成長期に開店した人たちが現役を引退する一方で、自分の商売の具合からして、子どもがいても継がせない商店主が大部分だと書いてあった。その記事を目にした前後から、確かに街のあちこちで、30年近くやってきた店が閉店する事態を多く目にした。

家に帰ってきてから、隣駅の商店街へ歩いて行く途中で、前に通ったときには目にしなかった電光掲示板があった。

「創業76年……」と電光文字が移動する。そこには商店はまばら、ほんとにまばらにある程度で、とても商店街などと呼べる通りではない。車の抜け道みたいなその通りは、人の通りだってまばらなのだから。その電光掲示板で初めて、その店が今も営業を続ける店で、しかも仕出しもする鮮魚店だということが確認された。大きなガラス面を持つ冷蔵ケースや、重ねてある空の木箱などから、そこが魚屋に類似した店であろうということは何となく想像はしていた。私に刷り込まれている鮮魚店のイメージだと、ねじり鉢巻きをし、ゴムの前掛けをした威勢のいいおじさん(あるいはあんちゃん)がしゃがれた声で「安いよ、安いよー」と言ってるというのがある。が、そこの店の前では店の人が声をあげているのを見たことがないだけでなく、そもそも店の人を見たことがない。のみならず、ケースに商品が並んでいたこともほとんど記憶がない。魚が並んでいれば想像するまでもなく、魚屋だとわかっていたはずだ。冷蔵ケースや空の木箱の置かれた雑然とした具合というのも、そこが、営業しているということを思わせないことに強力に協力していた。当然のことながら、そこで買い物をしている人を私は一度も見たことがない

が、今日、そこに真新しい電光掲示板が立っていたのだ。「創業76年……」と。

一度も客も店員も品物も見たことのない、うらぶれた夕暮れの店頭に、真新しい電光掲示板が立っているというのは、まだ見ぬ店の主人の考える営業努力とは如何なるものなのか想像をたくましくしてしまうし、変だと思うのだよな。ちなみに、私が通りかかったときも、その通りに私以外の人間は誰もいなかった。

近くのCDショップで川本真琴が先月出したシングル「ブロッサム」を買おうと思ったが、なかったのでまったく別の「天空の城ラピュタ サウンドトラック」を買った。が、やはり「ブロッサム」を買おうと思って歩いて隣駅に行った。が、なかった。仕方ないので新宿のタワーレコードに行って買う。

棚をあれこれ見ていて、前から気になっていたバンドの名前を初めて知る。時代外れだけどステレオタイプをきっちり踏襲したツッパリスタイルで妙なステージングを、TVで見て印象に残っていたのだ。氣志團(きしだん)というらしい。横浜銀蝿は嫌いだが、この氣志團は笑えるからよい。

それから、書店の店頭では見ませんが、こんな本が出ていたんですね。それとノーム・チョムスキーというと、自分の半端な知識の中では、歴史上の人物となっていて、生きているとは思いませんでした(調べたら1928年生まれだった)。


12月25日

とある掲示板で、以前、私と口ゲンカしたことのある人が、『ケイゾク』をまとめて見たと書いていた。ちなみに、その人は、このサイトの存在を知らないはずです。なんだろうなぁ、このシンクロは。

昔の作品の美味しいところを誌上に再現するという、『いきなり最終回』の企画を雑誌にしたような「伝説マガジン」(実業ノ日本社)で、『ワイルド7』の飛葉大陸を主人公にした新連載『飛葉』が開始された。

私が小学生の時に、最終章「魔像の十字路」が「少年キング」連載中だったのだが、今回の飛葉はようやく30歳前後で、時代設定は現代ないしは近未来だという。なんか変な感じ。ちなみに『ワイルド7』の連載開始は1969年だ。

でも、最初の連載の時代設定が特に書かれていなかったのだったか。うろ覚えだ。

それで思い出すのが、ある夏の日、「ウルトラマン」の再放送を見ていたときのことだ。確か、ジャミラが出てくる回だったと思う(墓碑が映るシーンがある)。「ウルトラマン」の中の時代設定は1990年代だったということを大人になって初めて知った。

なんだけど、「帰ってきたウルトラマン」は、本放送が放映されていた時代と同時代の設定だったんだよね。ねじれてるよ。設定外SFとでも言うのか。


12月24日

世間はクリスマス・イブだが、私には何もない。クリスマスだから、キリスト教からの連想を。

「キリストが千回ベツレヘムに生まれても、あなたの中でなければ、永遠に無意味である」(『シレジウス瞑想詩集』(上)岩波書店 p.25)

潜水家のジャック・マイヨールが自殺したらしい。らしくない死だな。

何気なくつけたTVでは「世界まる見え!テレビ特捜部特大スペシャル」というものを放映しており、「緊急指令 ヨーロッパ日本アニメおたくを追え!!」というコーナーがあった。イタリアに集まるヨーロッパ日本アニメおたくが、「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌を熱唱しているのも可笑しかったが、アニメのキャラクターではなくて、日本人の女子高生の服装をコスプレしているヨーロッパ人女性が可笑しかった。ミニスカートの制服に、自作のルーズソックス。ルーズソックスが自作だから、サテン地みたいな布でぶかぶかにしてるだけで、ソックスの一番上を縛って留めていた模様。日本の女子高生は、海外マニアの目にはアニメのキャラクターと同類なのだろうか。


12月23日

ふだん見ない「笑っていいとも」の増刊号にチャンネルを合わせると、坂井真紀が出ていた。やっぱり、かわいいです。

埼京震学舎のページを見ると、インデックスの隣の写真コラージュが変わっていた(下の右側が新しいもの)。私が思っているようなことを面白可笑しく表現している。リンクを張るべきなのだろうけど、消えてしまうと勿体ないのでコピーしておきます。

埼京震学舎より)


12月22日

Lが遊びに来る。結婚相手はまだ見つからないようだ。前から、ほしいと言っていた写真をもらった(「断片の断片」の「ハイッ!」を参照)。

ビデオで『ケイゾク』を見る。もう3年経つんですね。


12月21日

Yから、「やっぱり、だいっきらい。消えてください。でなければ、あたしが殺す。」とメールが来る。

昨日まで普通に話していて、何故と思うが、彼女の希望に沿おうと思う。


12月20日

Rから食事の誘いが来たので、食事に行く。私の方がずっと会っていなくて、Rの方が知っていておかしくない人の近況を次々尋ねられるのは、なんでと思ってしまう。


12月17日

昼間、新宿に買い物に行く。山手線を降りると、ホームに0930(オクサマ)の二人がいた。ハーモニカの方の女性は、TVで見るより遥かに小さい印象だった。


12月15日

夜、OJから電話がある。無明庵の掲示板について質問される。

夕方、買い物に出ると、B子とその師匠とすれ違う。向こうが気付いたかどうかは判らない。B子は見た目には全然、元気がなかった。その日の夜、うちに訪ねてくる人物のことを思うと意味があるような気がした。


12月14日

Vが遊びに来る。色々と話す。Vはいい奴だ。


12月12日

今日、本屋で大学受験雑誌を立ち読みしていた。すると、次のような語呂合わせがあった。

「宅八郎のペットはビキニのイグアナ」

ちなみに化学物質の暗記用。自分の目で確かめたい人は「医歯薬進学」を見て下さい。


12月11日

五反田でカニノフチさんに納品した後、用事があって智禾さんのところへ。一緒に飲みに出る。都合、5時間ぐらい飲んだろうか。アイドルの話から、アフガンの話など、あれこれ。死刑制度の話もしました。智禾さんは、誤判の可能性が必ずあるのだから、死刑反対の立場。私は、誤判の可能性があっても死刑そのものには反対しない立場。

それから、私が津田眞一氏の著作を読んだのは、智禾さんから借りた『反・密教学』(リブロポート)だったのだが、智禾さんは津田氏の第二著作の『アーラヤ的世界とその神』(大蔵出版)も、訳・解説の『和訳・金剛頂経』(東京美術)も知らなかった模様。『和訳・金剛頂経』の解説は、ぜひ読んで下さい、と伝える。

おごってもらいました。ご馳走さまでした。

この日にはすっかり忘れていたけれど、サイト開設1周年でした。


12月10日

地震があったので、NHKをつけると、見覚えのある顔が映っている。はて、と瞬間思っていると、名前と職業のテロップが出る。高校の先輩でした。自分が1年の時は尊敬していたのですが、どんどん嫌な人になってしまい、この日も嫌な人全開という感じのコメントでしたね。

SKからメールが届いて、返事を電話でする。電話で会話するのは久しぶり。来年の3月にはイギリスのフィンドホーンに行くらしい。活動的である。この日の会話で「ありがとうおじさん」と名乗り、本名を一切伏せた覚者の話が出て、その後、このおじさんの情報をメールでもらった。

以下は、おじさんのサイトにあった文章。

---〔引用開始〕--------------------------------------------------------------

質問者 S: もし、ありがとうおじさんの娘さんが、同じように殺されたとしたら、どう父親として考えたらいいのでしょうか?
ありがとうおじさん:
それはいろんな見方ができるでしょうね。ただ私の場合は自分の子供はいても、持ってないから。自分のものは何も持ってないから。そういう意味では別に何もない。ただ、仮に自分の娘と感じた時は、本当は地獄に堕ちるのをこんなに軽くしてもらったとか、
過去世の因縁もこれで消してもらったとか、誰かの身代わりに、人助けをしたとか、そういうプラスの見方をいっぱいできる。
 そういう全体だと、マイナスはいない。犯人の方も、人類の罪を背負って、マイナスを演じて、大きな世界戦争の原因を消してくださっただという見方もできる。ですから、絶対人を攻めたりしない。まだいろいろな見方ができるし、まだいっぱい出てくるとと思うけど、その時プラスプラスと見て、みんなが幸せになれればいいと思う。

---〔引用終了〕--------------------------------------------------------------

自分の娘が惨殺されても「ありがとう」って、言いますよと断言するわけです。

心がこもってなくても、途中で愚痴や不満を思わずに「ありがとう」を2万5千回、唱えると歓喜にあふれ、浄化されるそうです。

「ありがとう」だけですべてOK。修業も瞑想も不要。ここまでシンプルかつストレートな人も珍しいと思った。


12月2日

仕事の合間に息抜きに古本屋へと行く途中、公園で沢山の若い男女が何か準備している。何だろうと思いながら、古本屋へ行った。

古本屋を出ると、サンバの音色がけたたましく鳴っていた。見ると、さっきの若い男女。ほとんど裸同然の若い女の子がにこにこ笑いながらパレード。そして一糸乱れぬパーカッション。冬の東京に、なんでサンバなのか、解らないけど、耳の保養、目の保養になったと思ってた。

そしたら,そのパレードの真ん中を人を突き飛ばし,踊り子を蹴りながら進んでくる奴がいた。
かわいそうな蹴られた女の子。


それでもそのまま通り過ぎるならまあいいやと思っていたけど、家に帰ろうとパレードの末端に行ってみると、さっきの男が主催者を血祭りにあげていた。
人がいいからなんだろうけど、その主催者は殴っている相手が悪いのに平謝りをしている。殴っている件の男は、自分はこんなサンバをやっているなど知らなかったぞ!、うるさいからすぐにやめさせろ!と、主催者をどついている。
こんな奴に謝る必要がないだろ、と思っていると、商店街の偉い人がでてきた。その人も殴るし、顔をライターであぶる。

もう1回手を出したときに止めに入った。その男を挟んで点対称の位置にいた青年も同時に、その男に飛びかかった。私は後ろから首を羽交い締めにした。殺してやろうかと思ってさえいた。

暴れないから、手を放せと言うので、放したところ、私と同時に飛びかかった青年は、殴られて口を切った。私は殴られなかったけど、首を絞めたのはてめえか、てめえ、俺を殺すつもりかとすごむ。

誰に断ってサンバなんかやってるんだ。俺は知らなかったぞ。急いでいるのに邪魔だろうが、などと言う。急いでいるなら、他の通りを通ればいいだろうと私が言うと、他の通りなんか知らないと答える男。

そうこうする内に警察が来て、全員事情聴取で警察に来て欲しいという話になった。どれくらい時間がかかるかと尋ねたら1〜2時間もかかるというので、そんなにかかるなら勘弁してほしいと思っていたが、とりあえず警察へ、青年と行く。パトカーに乗るのは、子どもの頃、迷子になって以来のことだ。


待たされていた部屋で、一緒に止めに入った青年と雑談をして15分ぐらい過ぎたところで、に私服の刑事が入って来た。
言ってることが変なんで持ち物検査したら診察券が出てきて,昨日退院したばかりなんですよ、とその刑事が説明する。
心療内科じゃなくて精神科ですか?と私が尋ねたら、一言「松沢です」と刑事が答えた。

「はぁ、松沢ですか……」と私が力なく応えると、100%と断言できませんが、99%再入院させて終わりです、と刑事が言い、ケガさせられた青年の方は全然聴取されないまま、私と一緒に警察署を後にした。

とにかくダークな気分になった。


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