日誌2001年11月

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11月30日

吉祥寺で、バッチのフラワー・レメディ、「チェストナットバッド」と「ホーンビーム」、オーラソーマの「エネジー・レスキュー」を買う。


11月27日

考えるところがあって、K談社のK局長に電話。ある人のゴーストの仕事を受けたが、終えないうちに当の方がお亡くなりになり、原稿をずっとあげていないのであった。局長が、今日でもいいですよ、というので会いに行く。1年ぶりぐらいだろうか。これで企画が生きているのだからありがたいことである。ちなみに最初に企画が立ち上がったのは6年ほど前。

考えてみれば、この局長が人事異動にでもあえば、私の仕事などなくなってしまうはずだ。この6年間、ずっと局長でいてくれていることで助かっているとも言える。

天下のK談社も現在はマンガの売り上げにほとんど頼っているという。新しい本社ビルを建てたじゃないですか、と尋ねると、ビルを建ててからずっと業績不振で、今年はとうとう赤字だとK局長は言った。

毎回、仕事の進行の話より、出版周りの雑談の話が多い。それと、これが最近出た本ですからと、くれたりする。

今回もらった本の中に、松本道弘氏翻訳のものがあった。松本英語学校などの宣伝を通じて、ある種、精神主義的な英語観・英語教育については高校の頃から印象を持っていた。とはいえ、松本英語学校へ通ったことも、氏の著書を使って英語を勉強したこともないので、正確に氏の活動を話に聞いたことはなかった。

K局長が、松本氏のことを話し始める。

松本氏は英語を単なる知識や技術としてでなく「道」として高めたいと強く思っていて、「英語道」を提唱しているとのこと。その一方で、極真空手の大山増達を尊敬していて、あるとき、「英語道」と空手道の「道としての」対決だ!ということで、舞台の向かって左では、極真空手の門下生が延々、瓦割りをし、向かって右では松本氏関連の人が、英語のディベートを延々続けるという催しを開いたという。

伝聞じゃなくて、K局長はその実物を延々見ていたらしい。可笑しい。


11月26日

渋谷で高森さんという人に会う。非常に親切な人であった。その人に教えられて新橋へ行く。新橋で田中さんという人に会う。非常に助かった。

それから、ぶるまんさんのライブのある新宿Jへ行く。あんまり久しぶりだったので、通りを間違えてしまう。智禾さんが先に来ている。4ビートを生で聴くのは久しぶり。遅れてしょうたさんが来る(しょうたさんの登場するページはこちら。「まったり」という表現がぴったりのページです)。

私の経済状況が厳しいということを、皆さん知っているので、御馳走になりました。ありがとうございます。


11月22日

TVが死んだと、過日、日誌に書いたのだけど、自然治癒した。今日、突然回復したわけではないが、少しずつ回復して、以前と全然変わらない状態になった。不思議だ。

ここ3週間ぐらい、「断片の断片」の「ムッソリーニ」から上へ上がってくる人が相当数いた。そのほとんどが、大学と教育委員会などからのアクセスだったので、どこかで紹介されたのかと推測した。試しにGoogle で「ムッソリーニ」を検索したら5000件ぐらいあった。

というわけで、「ムッソリーニ」のページにアナライザを貼ってみて2日。実は、みんなGoogle で「ムッソリーニ」だけ検索語にして検索していた。不思議だ。

朝、とあるドキュメンタリー番組を見ていたら、福岡のとある電子工業系専門学校で設備に過剰投資をした結果、経営が傾き、現在、学生が2人しかいないと放映していた。可笑しい。次々に映し出される、録音スタジオやらずらっと並ぶコンピュータ、リモートコントロールできるロボットらしいものなどなど。これで学生2人。

昨日の日誌で言及した新聞記事は、昨日書いた程度より、もっと虚脱したくなる内容だったので、正確に書きたいと思って図書館に行ったが、見つけられなかった。新聞名を覚えいていて、1ヵ月以内と覚えていたので探しだせると思っていたのだが。

自分は新聞を取っていないので、久しぶりにまとめて新聞を見た。すると、今日の日付ではないが、同時多発テロの犯人がビンラディンであるという証拠を見せられたことに触れ、小泉首相が、刑事事件の証拠になるようなものではない、と談話を発表していたという記事を見た。TVのニュースでは一言も触れられないことであった。で、ビンラディンは死んで見つかった方がいいとラムズフェルトは堂々と言っているわけだ。ヒドイですね。

ビンラディンに「氏」など付けるなと批判している雑誌があったけど、これが刑事事件なら「容疑者」という呼称になるところ。容疑者が実行犯であるという証拠はないが、逮捕して裁判をかけると奪還テロとか起きそうで面倒だから死んでくれ、と言う。待て!、だから、証拠がないなら容疑者でもないだろう。ヒドイ。

1989年12月20日、アメリカは、麻薬密輸の容疑で、パナマのノリエガ将軍を「逮捕」するために、武装ヘリ部隊でパナマ市内に爆撃を開始し、パナマに侵攻した。ちなみに当時のアメリカ合衆国大統領は、今のブッシュ大統領の父親。
 アメリカは2万余の兵力をもって20日未明にパナマ国内27カ所を同時に攻撃し、パナマ市の市街戦では、 3日間の戦闘によってパナマ側は民間人を含め3千人近い死者が出たという。戦闘の末、投降したノリエガ将軍は、アメリカ本国で裁判にかけられ、1992年「麻薬密売」の罪により40年の拘禁判決を受けた。 現在もアメリカで服役中である。

自分の国の法に照らしての犯罪者を逮捕するために、他国に軍事侵攻してまで逮捕してしまうのがアメリカなのだ。このニュースを見ていた当時、ヒドすぎると思ったが、批判はほとんどTVでは見られなかった(外国人犯罪者を逮捕するために、たとえば日本が北朝鮮に自衛隊を出動させることを考えてみて欲しい)。今回のアフガン「侵攻」は規模において、パナマ侵攻を上回るひどさである。ちなみに、ノリエガ失脚後、パナマからアメリカへの麻薬の密輸量は2倍になったという。バカか。

図書館に行ったため、久しぶりにその近辺を散歩した。買いたい古本がいっぱいあった。


11月21日

アフガン関係のニュースを見ていて、軍事評論家なる人がわらわら出て来るのを見て思った。防衛庁の幕僚をしていた人や英国王室研究所の研究員をしているような人は別にして、日本で軍事評論っていったって、ほとんど「軍事マニア」の域を出ようがないのではないかと(そういや、世界中の諜報機関にツテがあって、電話代だけで月数百万円になるとか言っておきながら、内容は海外の本のパクリばかりと暴露された、自称「国際ジャーナリスト」の落合信彦や、軍隊経験などまったくないのにグリーンベレーにいたと詐称している柘植久慶などの人たちがいますね)。それで生計を立てることが日本では不可能だろうし、財があるからそれで生計を立てる必要がない人でも、軍事の専門家になる道というのが、日本ではほとんどないと思えるから。とはいえ、どうやって「軍事評論家」なる職業に就いたかと関係なく、その「軍事評論家」の発言が一般ニュースの論説員・解説員の説明を全然超えていなければプロとして価値は「看板」だけではないだろうか。

そのことを思っていて、そういえば、最近、兵頭二十八(にそはち)氏の『日本の防衛力再考』を本屋で見ないなと思った。調べてみると現在は絶版で復刊の署名活動が行われているという。今、復刊すればそこそこ売れるのではないかと思うのだが。

最近に読んだような気になっていたのだが、『日本の防衛力再考』を読んだのは発売されたばかりの頃のことだから、6年前のことになる。売ってしまったので手元にはないが面白い本であった。「彼女いない歴28年」とかプロフィールに書いてしまうちゃめっけとバリバリに軍人寄りの視点のミスマッチぶりが可笑しかった。が、内容はいたって真面目で、発売直後に自民党内では広く読まれたらしい。東工大卒の機械工学的視点、自衛隊在籍時の訓練体験・現場の不条理、軍事マニア専門誌編集部経験による世界の武器情報とオタッキーな視点……。物書きとして逸材だと思うのだけど、今回のテロ事件でコメントしているのは残念ながら見ていない。

これは兵頭氏の本ではなくて新聞で読んだのだけど、国連のPKOで自衛隊を派遣したとき、後方支援ということで、道路の整備の任務について、現場の人間を他所に、日本の閣僚の間で、「整備された道を、国連軍が移動したら軍事行動への加担になるから問題だ」とか論争していたらしい。バカか。あるいは「安全な所にしか派遣しないから」という国内政治家の説明で、丸腰で派遣されて、結局殺された自衛隊員とか。本当に安全な所なら自衛隊員を派遣する必要もなかろうに。この見え透いた嘘。

この日の深夜、やはりある難民キャンプの医療援護に派遣された自衛隊の責任者が当時を回想しているのを見た。日本人が襲撃されたという報に接して武器を持って現場に駆けつけたところ、それはは定められた任務外のことで法律違反だと日本国内で目茶苦茶に批判されたことを、無念そうに語っていた。不幸中の幸いは、襲撃された日本人が全員無事であったこと、襲撃犯と交戦をせずに済んだこと。これで交戦でもしていようものなら、その自衛官は罷免されていたのだろうな。

私は軍事オタクでも何でもないが、安全なところだから武器は携帯させないとか、携帯してもいいけど使ってはいけない、とかいうなら自衛隊を派遣するなと言いたい。今回の改正では「使ってもいい」場合が増えたけど、条件は明示せずに現場の裁量に一見任せるような書き方になっているのが何だかね。これで武器を使う隊員がいたりすると、また「自衛隊が武器を使った」とか批判する政治家が出てくるだろうと容易に想像できて、現場の人の苦労が忍ばれる。

昼、M田さんからハガキが届いた。


11月20日

たまみさんの掲示板での、「人間とは何だ」についての書込へのレスを書こうとしていたら、夢野久作『ドグラ・マグラ』を思い出した。

--〔引用開始〕----------------------------------------------------------------

 作品中の「キチガイ地獄外道祭文」にうたわれている内容は、現代風にいえば精神医療に対する告発文であって、スカラカ、チャカポコとふざけた口調ではるが、現代でもそのまま通用する非常に鋭い精神医学批判である。「色気狂いが色情狂だよ。人を殺せば殺人狂です。……」といった診断のつけかたも、本質的にはこの作品が書かれた昭和ひとけたの頃と変わってはいない。精神分裂病とかうつ病とか、多少とも学問的な外観をまとっただけで、憂うつだから「うつ病」といった点は全く昔のままなのである。

--〔引用終了〕-----------------------------------------------------------------

これは私が持っている現代教養文庫版の巻末にある、奈良宏志氏による解説である。この奈良氏という人について、何も肩書きや説明がないのだが、ネットで調べたらペンクラブの会員とあったので、医療現場の人ではなくて文筆の人なのだろうか。

たまみさんへの返信にこのことを触れようかと思ったが、解説文中に「現代」とあっても、この文庫の初版が1976年で、四半世紀も経っているわけで、私が引用で「現代」のものとして使うのには気が引けたので止めた。

そんなきっかけもあって、ぱらぱら『ドグラ・マグラ』を読み直してみた。今読んでもやはりすごい作品だと思う。

--〔引用開始〕-----------------------------------------------------------------

……「精神病院は此世の活地獄」という事実を痛切に唄いあらわした阿呆陀羅経の文句……

……「世界の人間は一人残らず精神病者」という事実を立証する精神科学者の談話筆記……

……胎児を主人公とする万有進化の大悪夢に関する学術論文……

……「脳髄は一種の電話交換局にすぎない」と喝破した精神病患者の演説記録……

(教養文庫版 p.92)

--〔引用終了〕-----------------------------------------------------------------

ここに小説という形で夢野久作が提起した問題は、どれも解決していないのではないかと私は思う。特に、「脳髄は一種の電話交換局にすぎない」という説は凄い。でも、これは実は当たっているのではないかと私は思う。そのうち、このことを立証するような科学的発見がなされれるのではないだろうか。

何で読んだのか忘れたが、主要人物の二人、若林鏡太郎と正木敬之の名は「バカ話」と「正気け、これ」にひっかけているとか言ってる人がいたな。「何を隠そう吾輩の『精神病研究』の第一歩はこの『地球表面上が狂人の一大解放治療場になっている』という事実に立脚している」と語る正木博士。

今のアメリカのしていること、それに巻き込まれる日本の政情を見ていて、まさに狂人の一大解放治療のようだと思える。このバカ話、正気け、これ?


11月17日

2年前の11月16日に初めて、Yと実際に会ったのだ。会いに飛行機に乗って九州まで行ったのだ。2日間一緒に過ごした。というわけで思い出深い日付である。

朝、アフガン情勢のニュースを見ていたら、アフガン入りした民主党のけっこういい年した議員がTVに出演していた。たった2行しかなかったその議員のプロフィールは以下の通りであった。
「専門:テロ、軍事
 好きな音楽:ボブ・マーレイ」

別の議員は、プロフィールの2行目に自分のスローガンを入れていたから、「好きな音楽」というのは自分で選んだ項目なのだろう。平和を愛しているというメッセージなのか。が、実際に見た私としては奇異に感じた。変。

夜、「人間とは何だ3」というTV番組を見た。色々興味深い題材を取り上げていたが、TV番組であるという性格上、どれも短くすっきり割り切っていた。側頭葉に電気刺激を与えることで臨死体験が起きることをペンフィールドが発見していたのは私も何かで読んで知っていた。だから生理的な機能なのだというまとめ方だったが、何で体外から自分を眺めるような視力を持てるのかについては何も追及しない。生理的機能と割り切るには、そこが疑問なのに。

乖離性人格障害(多重人格)で、人格ごとに、同じ脳でも活発に使う部位が違うというのは初めて知って、興味深く思った。番組最後に出てきた、7歳の小児癌の少女の末期の記録。痛かった。合掌。彼女の瞳は奇麗だった。


11月16日

用事で近日中にうちに来ることになっていた月月さん。私の方が煮詰まっていたので、誰かに会って流れを変えたく思い、今日、来てもらうことにする。『西洋骨董洋菓子店』のモデルだと彼女が言う喫茶店でお茶。そのあと、うちで雑談。習作の人形も見せてもらう。はかなげな人形を作るはずが、なんか逞しい感じになってしまったと月月さん。脚の曲線が、初代ガンダムシリーズのアムロとかシャーの脚のS字曲線や、ナウシカのズボンを思わせると私は印象を述べる。そのせいじゃないかな。

身の周りの人間がどんどん鬱傾向になっていく話をする。国民病とまで言われるまでになってしまったのだから、周りに増えてもおかしくないのだが、実際に増えるとやるせない。


11月15日

ネットの古本屋で頼んだジャック・ロンドン『星を駆ける者』(国書刊行会)が届く。初めて読んだけれどすごく懐かしい感じの話だった。そう、私たちは何度も生まれ変わって、生き、殺し合ってきたのだ。数万年にわたる転生譚を思い出す死刑囚の話。まるで自分の思い出のようだった。


11月14日

通販で頼んだセント・ジョーンズ・ワートのサプリメントが届く。


11月13日

文通相手のSから手紙が届く。私は、謝るぐらいにたまにしか書かないのに、Sは律義にすぐ返事をくれる。ごめんなさい、とここでも謝っておこう。今度は早めに返事を書きます。

が、しかし、この前送った手紙でも、いつも風邪をひいているような印象があると書き送ったのだが、今日もらった手紙にも、風邪をひいて良くならないとある。相変わらず仕事場の人間関係は問題を抱えているようだ。Sが家庭も職場も楽しく過ごせる日は、何によるのか。

アパートの管理会社から保証人の印鑑証明が必要という別便をもらったので、兄のところへまた行く。

見たことがないのに見たことがあるような写真が母の部屋に飾ってある。誰?と尋ねると、母の母、つまり私の祖母だった。初めて祖母の写真を見る。祖母は先の大戦中、空襲の際、グラマンの機銃掃射によって母の面前で絶命した。その話は何度も聞いていたが、写真を見たことがなかった。古い写真を整理して出てきたらしい。

祖母は30歳で亡くなっている。今の母の半分以下の年だし、今の私よりも年下だ。

雑談の折りに母の涙。兄が帰ってきて、兄の話。人生の「落とし所」の話。言っていることはすべて筋が通っていた。用事を追えて、駅へと向かう道にはまたホームレスがたくさん寝ていた。


11月12日

さる省庁の大臣官房だったり、自衛隊だったりからアクセスがあると、それはそれで不思議だが、その場合の不思議さとは、何を検索語にしてここに辿り着いたかというものである。しかるに、ここ数日のアクセスの不思議さは別種のものだ。検索に使われているフレーズは解っている。その特定の検索語で検索して私のページに辿り着いている人が複数いるのが、何とも不思議。

全然別個の人たちが、同時期に同じ検索語で検索してきているというのは不思議だ。

そして、その検索語で検索された数ある検索結果の中から私のページを選ぶ必然性が皆目解らない。検索でヒットしたページの中の30〜40番目ぐらいに私のサイトは表示されているのである。

一人だけなら偶然だろうと思うのだが、リモートホストが明らかに違う(プロバイダだけでなく地域も違う)人たちが、同じ検索語で検索して、ここに辿り着くのが解せない。その検索語からしたら、私のページがヒットしたにせよ、他のページを見るだろうと思う。不思議です。

ちなみにその検索語は「トマスの福音書」。どこかで流行ってるの?。まさか。

突然、昔、どこかでジャック・ロンドンの『星を駈ける者』とP・K・ディックの『ヴァリス』の関係についての文章を読んだことが気になって、何で読んだのか探したが、見つけられなかった。しかし、なんで急に気になったのだろう。その流れでネットの古本屋で『星を駈ける者』を探しだして注文した。。


11月11日

Yのページと、もう一つが私の毎日何回も見るページなのだが、日記の担い手である彼女らは、たまたまの偶然なのか、二人ともリアルな悪夢を見る。起きても夢と現実の区別がつかないと何度か書いていて、そういう夢もあるものかと他人事のように思っていた。すると、この日の朝に見た夢は、「現実と夢の区別がつかない」という意味においてはまったくその通りの夢だった。伝染するものなのだろうか。その夢を思い返してみれば、現実離れした内容ではあるのだが、夢の中でいったん目が覚めた(が、実はこれも夢の中)とき、知人に幾つか質問をすると「それは確かにあったことだよ」と私に答えた。そんなこともあって、夢と現実の区別がつかない時間を過ごしていた。その夢から醒めても、しばらく現実感が解らなかった。「その出来事はあった」という夢の中での偽の記憶の確信と、「では、それはいつあったのか?」と夢の中で冷静に推論し、それが収まるべき記憶の中での時間位置が見つけられずにいる煩悶。

そういえば、夢は夢だと気づけば破れるものだという主張をする人がいますが、それは嘘です。これは最近見た夢ではなくて、かれこれ20年近く前に見た夢だけど、リアルな感覚ということでは、非常にリアルなのだけど、夢の中の私は大きな違和感を感じていて、ある出来事をきっかけに、「これは夢だ!。絶対に夢だ!」と強烈に確信した。しかし、目は醒めなかった。夢だと100%気づいているのに、その夢の中に閉じこめられているということに慄然とした。また、一方で、その時には、一応、夢の中の登場人物には、それが夢でない場合に備えて、なるべく失礼のない応対をしてしまう私の小心ぶりもあるのだが。


11月10日

外出の帰りに何気なく、新宿のタワーレコードに寄ったら、戸川純のインストアライブだった。20分ぐらい待って現れた戸川純は、意外ないでたち。破れたジージャンに同じくジーンズのミニスカート、素足にすすけた赤のハイヒール、目深に被ったキャップからあふれるぼさぼさの金髪、薄い色のでかいサングラスをかけている。私鉄沿線の商店街の小さな商店主みたいで、どう見ても音楽業界に携わっているとは見えないジャンパー姿のおじさんが、マネージャーのようなことをしていて、戸川純とそのおじさんの組み合わせは、オヤジの行きつけのキャバレーのホステスとの平日の逢引のような印象を与えた。

戸川純の透き通るように白い肌。奇麗だった。
生で見るのは何年ぶりだろう。それにしたって、こんな近距離で見たのは初めてだ。

が、おどおどし、小刻みに震えている戸川純は痛々しかった。
小室に捨てられた当時の華原朋美をアル中にしたような痛々しさ、とでも言おうか。
でも、聴いているみんなの眼差しは非常に優しかった。男性もいたけど同年配の女性も多い。一番前を陣取っていたのは子連れの女性。1曲終わるごとに惜しみない拍手があった。みんな戸川純を聴いて暮らしてきたのだろう。私も20年前、毎日ゲルニカの「復興の唄」を聴いていた。唯一ファンレター書いた人だし、私にとっては初恋の人のようなもの。「純ちゃん頑張ってね」とちょっと涙腺が緩んだ。

そして、戸川純のCDコーナーで彼女のCDを見ていると、アイウエオ順だからなのだろう、すぐ近くに天童よしみのCDがあった。天童よしみクリスマス・ソング集とかで、ジャケはサンタ姿の天童よしみがニッゴリ笑ってる。萎える。


11月9日

MSNメッセンジャーでの会話を初体験。相手は当然Y。会話のタイムラグが難しい。

中野の大予言でEO師のセカンド・アルバム『変』を購入。強力な浄霊作用のある曲や、雑念を洗い流すための曲といった実用(?)目的のある曲が入っている。

ヘッドフォンで聴くことを推奨されていたので、久しぶりにヘッドフォンを使う。確かに側頭部がかゆくなるような音もある。

とにかくイージーリスニングではないと発売前に解説されていたが、最後の曲以外は、そんなに非人間的な感じはしなかった。

「日常の断片」に「オウム余聞」を加えた際、ナムカイ・ノルブ師の本のことに触れたので、再読してみる。すごくいい本だという印象だけ残っていたけれど、内容を全然記憶していなかったことに愕然。いい読書になった。


11月8日

山口修源師の主宰するニュータイプス・ユニバースから機関誌が送られてくる。ずっと以前に資料請求したときは、その時点での数年前の機関誌を送ってきて神経を疑ったのだが、今回、何を請求したのでもないのに最新号が送られてきた。本山開設に御協力下さい、とあるから会員を増やしたいのだろうか。

山口修源師は『オウム真理教考』(1995年刊)の中でも、瀬戸内寂聴にオウムを批判する資格はない、とか、修行者には笑って人を殺せるような一面も必要な場合がある、とか世の常識に囚われない意見をずばずば言っていたのが、この機関誌の最新号を見ると、政治的な発言の多さに少し苦笑する。

義のための戦争は必要、と断言。天安門事件の後、「中国は人口が多いから」という一言で済ませたトウショウヘイに触れ、さすが「白髪三千丈」の国と皮肉を言う一方で、為政者としては正解とコメント。台湾独立支持、チベット独立支持、とりあえず小泉支持などなど政治的な立場を明確にしている。

公の場でこれほど政治に意見を言う覚者(だと私は思っている)もいないと思う。しかし、義の人に愛は解らないと言った師匠の言葉の方が私には近しいものを感じる。


11月7日

この3日間ぐらいうとうとしている間に幾つものリアルな夢を見た。父が出てくるもの、師匠が出てくるもの。そして、今朝Yが出てくる夢を見た。一緒に電車に乗る切符を買ったのに人込みの中でYを見失い、デパートの中を探し、改札で周囲を見回しても見つからず、仕方なしに彼女の携帯に電話をすると、「今、家にいるよ」と言われた。

あと、現実世界では会った覚えのない男性との会話を覚えている。小学校の集団登校のように歩いている一団の男女の先頭を歩く、リーダーらしく見えたその男は、ある通りで、後続の人たちを巻くかのように、ふいと左折した。そして、物陰にうずくまったのだ。私は彼が左折するのを見逃さなかったので、後を追い、うずくまっている彼に質問をした。どうしたのだ、と。

「オレは君は信頼しなくなった」と彼は私を見据えていった。奇麗だが挫折感の漂う瞳だった。

自分は大した人間ではない旨を返答した後、彼の無責任と思える行動を問い質そうとしたところ、彼の左折に気づかずまっすぐ行ってしまった他の男女も、そこにやってきた。すると、女性の一団が地面にうずくまっている彼をそのまま引きずっていって、近くの民家の庭のぬかるみに彼を入れて、そのまま一緒に泥のなかで彼をどつきまわした。まるではしゃいでいるかのように。

最初、呆気にとられていた私だが、理詰めで彼を攻め立てようとした私にはできないことだし、彼にとってもこっちの方が良かったのではないかと思え、笑い出してしまった。

ついさっきまで辛気臭さを気取っていた彼は、ぬかるみの中で女性にズボンを下げられて「やめてくれぇー」と叫んでいた。

あと、どうにも他者の心象風景らしきものを夢の中で見た。がらんとした和風の家で、奇麗な母親に甘える幼児。そこには二人しかいない。次に、あれよあれよという間に家は荒涼とした気配に包まれ、母親は形相を変える。それがある友人の幼少時ものではないかと、ふと思い当たったとき、夢の中で、私は非常に切なくなった。彼は小さい頃から無理をしていたのだ。

正確には思い出せない濃い夢をたっぷり見て、目が覚めると非常にすっきりしていた。夢を見ることで潜在意識が掃除されるのだという説があるが、今朝は特にそんな感じだった。

ある子どもの一周忌だったので供養法をする。


11月6日

5日の夜遅くに月月さんから電話。エクセルで作成したファイルを受け取ったが、エクセルがなくて開けないので、そちらにエクセルがあったら開いてファクスしてもらえませんでしょうかという話。快諾するも、情けないことに、いまだに私はiBookとプリンタをつなげるケーブルを買っていない。古いプリンタとiBook をつなぐケーブルをネットで検索して探し出したことは、以前の日誌にも書いた。が、値段が高くて結局買っていない。だから、何かプリントアウトをするには古い7100/66AVの方でファイルを開いてしていたのだ。最近、プリントアウトすることがめっきり減っているので実際上、あんまり面倒に思う機会がなかった。

iBookで問題なく開くファイルが7100/66AVでは開かなかった。エクセルをコピーし直したりしたがダメ。古いバージョンに保存し直すことで無事にプリントアウトできたのは電話をもらってから2時間近く後のこと。恐る恐る月月さんのところに電話をすると話し中だった。で、メールを打つ。もし夜のうちに入り用であれば電話下さいと。月月さんから電話があったのでファクスを送るが送信エラー。そこにいたって、月月さんの家の電話回線が異常になっていてファクスが受信できないということが判ったのだった。マイライン登録のせいではないかと月月さんは言っていたが、それならば、何のためのマイラインかと思う。値段安くなっても、つながらないなら仕方ないだろうに。

朝まで仕事。

仕事を終えて、焼きそばを作る。それまで何も食べていなかったわけではないが、OJと昼食をとってから、食事らしい食事は全然してなかった。食欲がない。

午後、G社に納品に行く。G社近くで、目の前に誰もいないのに、「下賎な奴等め! がぁっ!」とか罵っているおばさんがいた。髪はてかてかしたパーマ、きつい化粧の60ぐらいに見えるおばさん。壊れる人が増えているのだろうか。

納品相手の課長さんが会議から戻ってきていなかったので、屋上に出て(納品先が最上階で、廊下を出ると屋上)、空を眺めていた。雲と夕日が織りなす色彩の一面の広がりは、個人的な感情というものをある面忘れさせてくれる。浄化してくれる。

この日は、G社への行き帰りのどちらも茶トラの野良猫(初見)を撫でることができた。撫でた場所は違うけれど同じ通りであったから、同じ猫だったかもしれない。ま、可愛い猫でした。

撫でるのとは別に、この日はなんだか街中で猫を見ることが多かった。

夜、電話で雑談。血のつながりのある家族は、私のことをあまり知らない。そして、私も家族の趣味や日常など知らないことの方が多い。にも拘わらず、当たり前のように会って話したりするわけだ。私に会ったことのないネットでの友人の方が私のことをよく知っていたりする。不思議なことだ。彼女も、それに頷いていた。いい感じの余韻だった。

今日も、胸の痛みをずっと感じていたが、昨日ほどにはひどくなかった。みんなが幸せでありますように。


11月5日

4日の夜から、読書を続け、結局、一睡もできなかった。寝酒にと思って、近くのコンビニで、有機栽培のブドウだけ使った赤ワイン小ビン、360円ナリを買って帰ってきて飲み干したが眠れない。ずっと胸が痛かった。じりじりと灼けるように痛む。

ヴァーノン・ハワードの『スーパーマインド』(日本教文社)を布団の中で読む。

B子との関係が終焉した後、嫉妬や憎悪やさまざまな否定的感情の渦に巻き込まれ、その後、気力を失い廃人のように怠惰に日々を過ごしてある日、散歩に出て駅前の本屋で何気なくとったのがハワードの『なぜあなたは我慢するのか』(日本教文社)だった。その時点では、まったく知らない著者であったが、たぐったページにグルジエフやクリシュナムルティの名があったので買ったのだった。

そう、本の中には、いつどこで買ったのか明瞭に覚えているものと、まったくそうでないものがある。ハワードのこの本は非常によく覚えている。

寝て本を読む癖がついたのもその頃だ。それまでは寝て本を読むことなどなかった。起きているのさえ億劫だったので寝転がって『なぜあなたは我慢するのか』を読んだ。アハハ……と力なく笑うことが何度となく起きる読書だった。それまで読んでいた精神世界の本は、その時の現実の私の心理状態に対して無力だった。私がそれらの本を役に立てることができなかったという面も大きい。が、このハワードの本は実際の日常生活の心理状態について取り組んでいて、そこに挙げられる例が自分の状態と同じだと力なく笑ってしまったのだった。同じ頃、同じように思えた本に、当時住んでいたところから坂を下ったところにあったコンビニエンス・ストアで買った、W・ダイアーの『自分のための人生』(三笠書房)があった。

ダイアーやハワードを、グルジエフやクリシュナムルティと同列に扱うことはできないという価値観は私の中にある。が、ダイアーやハワードは「役に立てやすい」とは言える。少なくとも自分にとってはそうだった。

物理の参考書に定理や法則・公式が整然と書かれていて、その整然さをそのまま受け止めても、実際の身の回りのものの仕組みがさっぱりわからんということはある。実際の現象を解析して帰納して導出された定理や法則のはずなのに。

だから、世間には、定理や法則を体系的に書く本とは別に、個々の具体的なものについての解説書があるわけだ。

あるいは、要点だけ書かれた参考書を読むより、その法則についての例題を数多く解いた方が学力が上がるということに近いかもしれない。

あまり人にものを勧めるということのない私だが、『なぜあなたは我慢するのか』と『自分のための人生』は、何度か人に贈った。オウム事件で、私の前から姿を消してしまった、当時、信者だったY子さんにも贈った。SやRにも贈った。感想を聞く機会がないまま、Y子さんは姿を消してしまったが、本自体には感謝していた。ちなみにSやRは今でも関係があるが感想はない。ぴんと来なかったのだろう。やはり人によって趣味がある。

そのような訳で、胸が痛むようなことがあると、ハワードの本はよく読み返す。去年の11月下旬も何度も読み返した。

この日も、朝まで寝転がってずっとハワードの本を読んでいた。

夜7時ぐらいにふと思い立ってSMさんに電話。お茶でもしようかと思ったのだった。彼女は家にいたけれど、寝ていたようで電話に出ると「こんにちは」と言う。もう日はとっぷり沈んでいる。本屋で立ち読みしていたら気分が悪くなって、それで寝ていたらしい。というわけで、電話に出たとき何時かわからなかったみたい。いくらでも寝れますと言っていたし。具合が悪いというのお茶はしなかったが、そのままEW社がらみで雑談。それだけでも幾らかなごんだ。ありがとう。


11月4日

OJの誘いで、彼女のヨーガ教室の先生の瞑想会へ行く。会が終わって、一人ずつ先生に挨拶するときに、先生に「あなたはわかっているはず」と言われる。早い話が、会に参加した方がいいですよということ。そうなのかもしれない。

会の後、OJと昼食。瞑想関係でいろいろ話す。渋谷を散歩して店を変えて、また話す。結局、都合、5時間近く話していたことになる。私の師匠が私について、リウカの課題は金銭問題と人間関係だとOJがいる前で言っていたことがあると、初めて聞く。その通りでしょう。堂々めぐりなのか。

彼女の助言としては、状況を変えようとするより、自己変革した方が早いでしょというもの。大筋、同意。

家に帰ってきたら、怒りの電話がある。私の送ったさるメールについて。

瞑想会に参加した日に、その電話があったことが私には、意味あり気に思えてしまった。ままならないなぁと思いながら読書。師匠は言っていた。自分の内面を見つめる以外、修業というものはない、と。後は、それがどれほど切実なのかということになると私は思っている。どうでもいいと思っている人との人間関係など悩まないわけで、大事に思っている(はず)の人との人間関係であればこそ悩むのだ。が、そこに何があるのか? 何を思うのか。結論は論理ではない。それは会得するものだろうと思う。けど、結論はまだ熟れていない。読書のつづき。


11月3日

Lが遊びに来る。ビザはどうなったの?と尋ねると、もう切れたとのこと。これでは仕事を変えることも、中国に帰ることもできない(というか、見つかったら強制送還だから、日本に住むつもりなら帰れない)。ビザを延長する何か方策はないのかと色々と尋ねると、結局、日本人と再婚するしか方法がないという答えだった。が、Lはとても屈託が無い。「明るい」と色んな人に言われると言っていた。確かに明るいが、それは人に嫌な思いをさせまいとする他者への配慮、そして自身への励ましなのだろうと思える瞬間がある。Lだって切ないのだ。

共通の話題など特にないのに、あれこれ話して私を笑わせてくれる。時折、妙ちきりんな日本語に私の教育的指導が入って、語彙とか語法の話になったりするが、それ以外は本当にとりとめのない話だ。通常、とりとめのない話というと薄っぺらでぼんやりしたものになってしまうのだろうが、そういう感想はない。

駅の近くの蕎麦屋に行って、夕食。この日はこの前のこともあったのでおごった。おいしい、おいしいと言って蕎麦を食べていた。L、蕎麦湯を初体験。水ギョウザを作ったときのお湯みたいなものね、とLは言う。そうなのか。

じゃあね、と言って改札で別れたけれど、階段を上るLの後ろ姿が寂しげに見えたのは私の気のせいではなかったろう。Lに幸あれ。そして、ありがとう。


11月1日

兄に新たにアパートの保証人になってもらうために書類を持って、育った街へ行く。アーケードに入ってすぐの古本屋にサン=テグジュペリの『星の王子さま』の美本があったので買う。

『星の王子さま』を初めて読んだのは子どもの時のことではない。大学生の時だ。彫刻のモデルをしているときに知りあったヒロコが勧めてくれたから読んだのだ。すごくいい本なんだ、自分のおばさんがくれて、今も大事にしている本、とヒロコは言った。当時ヒロコはまだ高校生だったのだな。妹のように大事にしたのだ。一度だけ、千葉の彼女の家に遊びにいったのだが、もう駅の名前も覚えていない。受験勉強したが失敗し、モデルになったけど、すぐ辞めて普通のOLになった。けど、そのOLも辞めて沖縄に行ったのだ。最後に年賀状をもらったのは、7年前ぐらいか。「まぼろしの島にて」とだけ書かれたはがきは、友達と思しき女性と一緒にヒロコが透明な水の波打ち際に寝そべっている写真が貼られていた。明るくて性格の良いヒロコ。最後に電話をかけてきたときは、ふられて落ち込んでいると言っていた。「失恋を慰めるつもりはない。だけど、ヒロコはいい女だ」とだけ言ったのだった。それも沖縄での出来事だ。機織りを身につけると言っていたと思うのだが、今はどうしていることだろう。

向かって左がヒロコ

私が東京を離れ住み込みで働いていたとき、そこでは犬10匹、猫10匹を世話していた。いつからだったか、M永クミコという中学生の女の子がよく犬や猫を目当てに遊びに来た。出っ歯だけど目がすごく奇麗な子だった。今日日の女子中学生なのだから、遊びは色々あるだろうに、人が寄りつきやすいとも思えない私の職場に来ては、「猫おるー?」と尋ねて、ひとしきり猫や犬と遊ぶと帰っていった。その子が何の気なしに「明日、誕生日なんや」と言ったとき、なんかあげようと思ったけれど、当時、私が住んでいたところは、最寄り駅を通る電車は1時間に1本というところで、気のきいた買い物など全然できない。ふと、これがいいやと思って自分の持っていた『星の王子さま』をラッピングして次の日に遊びに来たときにあげたのだ。もらって彼女は照れ臭そうにしていた。というわけで、それきり私の手元には『星の王子さま』はなかったのだった。彼女も進学していれば高校生だ。元気にしているだろうか。

少し早めに家に着くようにして母と会話。母はもともと耳が悪いので、こちらの言うことをあまり聞き取れない。ただ聞いているだけでは悪いかと思ってときどき言葉を返すのだが、全然要領を得ない。父の遺影の前で一番の心配の種が来たよと笑いながら母が言う。すみません。

兄の帰宅は遅かった。兄はご飯を食べながら、ひざの上に書類を広げて署名、捺印。待たせるのが悪いと思ってと兄は言ってくれて、それに嘘はないと思うのだが、せめてテーブルの上で捺印すればいいんじゃないのと思った私だった。

遅くに家を出て、駅へと向かうとアーケードの端にまで、段ボール箱住まいの人が多数いた。駅前には前にも見たけれど、アーケードの端までそういう人たちがいるのを見て、時代の推移を感じる。他人事ではない。少し間違えれば私だって、ああなるのだ。みんな頑張ってねと思いながら駅へと歩を速めた。


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