日誌2001年10月

【日誌のページに戻る】


10月31日

Vが遊びに来る。貸していたEO師関連の本を返しに来たのだった。彼曰く「EOにハマっていた」と。サニヤシンなのに、そっちの瞑想に参加せずにEO師の本ばかり読んでいたら、周りから変な目で見られるようになったという。そりゃそうでしょ。とはいえ、OSHOの本も当然読んではいる。どちらかというと、集団で瞑想することに疑問を持ち始めているわけだ。いろいろな話をする。同性である分、OJなどと違って気を使わなくていい分、楽に話せる。

ソフトカイロプラティックを習っているというVに少し施術をしてもらう。もう何年前になるのだろうか。初めて彼に会ったとき、彼はある整体師のグループに身を置いていて、彼に施術をしてもらったのだ。その最初の印象が、「手が優しい」というもので、その場で私は彼にそのことを告げた(が、彼の方は私がそれを告げたのを覚えていなかった)。彼にその職業は向いていると思う。

全般としては、彼はグルジエフの愛読者ではないので、彼がその語を使ったわけではないが、オビヴァチェリのレベルになってからワークをするという話に収斂するのだろう。


10月28日

0時を少しまわった頃、電話が鳴った。OJだった。夜分遅くにごめんなさい、と。そういや、礼法の師範代であるRはそういうこと言わなかったな。常識の範疇だと思うが。仕事から帰るのが遅くなるから自宅から電話をかけようとするとこの時間帯になるようだった。近況を尋ねられたので、ぼちぼちと答える。

瞑想に誘われる。前にも何回か誘われているわけだが、この日の誘いは少し声のトーンが違った。親身という感じ。前は押し付けがましさを感じたのだが、今回はそれがなかった。行ってみようかという気持ちになった。「リウカさんが瞑想していないなんて変だもの」とOJは言った。OJのやっているヨーガの流儀でなければ瞑想と呼ばないと思っているわけではないだろうが、どこかの会に出席していなければ瞑想していないと思うのだろうか。ま、今回は行ってみようと思います。


10月27日

0時を少しまわった頃、電話が鳴った。Rだった。その前にメールももらっていた。そうそう、頼まれたまますっぽかしていたことがあったのだ。だが、話は、それと違うものの方が多かった。まぁ、時節柄、スチュワーデスのRにはストレスがたまったり、面白くない話が多い。近況報告というか雑談。というか、私の知らない人の活動をいろいろ話される。「明日、朝が早いから」と言って、Rは電話を終えた。そんなにまでして私と話したかったのかと思う一方で、あんまり私に関係ある話もなかったと思った。はけ口かい。でも、Rに元気でいてほしいです。

商店街のジャズフェスで、街の至るところでジャズが繰り広げられていました。
デキシーあり、スタンダードあり、アカペラ・コーラスあり。ホーンセクションだけのカルテットもありました。
特別、ジャズファンでなくても、この街にはジャズを好きになれる人ばかりいるんだろうな。
私だって、別にジャズ愛好家じゃないけど、コルトレーンやチャーリー・パーカー、モンクは聴くもの。
ゴージャスなドラム・ロールを背に家路を歩くと、そうそう、同時にハロウィンの仮装コンテストをやっているのであった。とんがり黒帽子の魔女というのは何人もいたが、何故か母子が多い。で、一組だけ、母子でミニスカ・サンタをしているのがいたんだけど、なんで?

この日、思わぬ人から、思わぬ内容でメールが届く。少し驚く。そして、有り難かった。


10月26日

昨日の電話の余韻で、今日もほんわか幸せムードだった。

G社に出向く途中の商店街で、あの「地獄の6人衆、天国バーゲン」(「日常の断片1」の「へなちょこ商店街の小さな狂乱」参照)をやっていた。20回記念とかで、福引きがあって、1等が「ディズニー・シー」だと。しかし、こんな名前のバーゲンを20回もやっているのか。前回見かけたとき(6月5日)は日誌に書きそびれているのだが、その時は「空前絶後!」とかデカデカ張り出していた。日本語の使用法が間違っています。今回は、ディズニー・シーのおかげなのか、それなりに賑わっていました。

帰り道、一つ手前の駅で降りて、垢抜けない古本屋で吾郷清彦著『日本超古代秘史資料』を買う。この前、散歩したときに見つけていたので、買おうと思っていた。中3だったかの時に、誕生日のプレゼントに兄に買ってもらったのだが、いつだか売り飛ばしてしまったのだった。神代文字の基礎知識はこれ1冊でOKだと思う。これ、神田あたりの古本屋では、定価の4倍ぐらいの値が付いている。で、この古本屋では、定価未満で売っていた。そのテの本が幾つもあるから価値を知らないわけではないだろうと思うが、マアテルリンク(メーテルリンク、「青い鳥」の作者)の霊智学の本、大正8年刊のものが1800円で売られている。これも神田なら馬鹿高い値が付くだろう。稲垣足穂が編者に名を連ねている『終末期の密教』も、普通、高い値が付く古本であるが、ここでは1500円だった。2冊とも値段としては買い得なのだけど、なんか、前の持ち主の因縁が強すぎるような気がして買わなかった。

家に帰ってきて、アカスリに行く。4ヵ月ぶりぐらい。前に行ったときに、アカスリの人が変わっていて初めてだったから、2度目の今日、覚えているとは全然思っていなかったのだけど、「あら、久しぶりね」と言われた。お客さん、いい耳してるね、この耳は米が立つと言って、食うのに困らない耳だよ、とか言われる。そうならいいんだけどね(笑)。けれども、「米が立つ」じゃなくて「(米)蔵が建つ」じゃないだろうか。韓国のことわざは知らないが。


10月25日

とうとうTVが死んだ。音は出るけど何も写らない。ブラウン管がいかれたのだろう。せっかく釈由美子のDVDを買ったというのに。

が、しかし、よく頑張ったものだと思う。17年ぐらい働いてくれた。これは自由ケ丘のオーディオ店で買ったのだけど、この前、母と弟と自由ケ丘を散歩したときには、店はなくなっていた。開店セールを覚えているから、このTVは店より長生きしたことになる。ご苦労様でした。

朝、電話がかかってきて、内容が非常に嬉しいものだったので、一日中、幸せな感覚に漬かっていた。

たまにはそういう日があってもいいでしょ。

と思っていたら、約束を一つ完全に失念していたことを、相手から電話をもらって気づいた。どかーん。相手が怒っていないのが唯一の救い。すみませんでした。

人材派遣会社から連絡。先方の会社で私の書類ははねられたらしい。ま、いいでしょ。勤めたらできないことがあるわけだし。


10月24日

この日の朝、うちの隣の公園で、カラスがえんえんしゃべっていました。
鳴いているとは、これは言えない音です。
音節の区切り、音の高低の差、抑揚。
どれをとっても、しゃべっているとしか思えません。
九官鳥のことを思えば、不思議ないかと理性的に納得しようとしましたが、しかし、すぐ近くでカラスがしゃべっているのは怖いです。

午後、思い出すところがあって、マンガ喫茶で山本直樹の「ありがとう」と「あさってDance」をざっと再読。細部はことごとく忘れていたが、再読していて切なくなった。

淡く切なく危機感と脱力感に彩られた平穏とでも言うのか。


10月23日

商店街のかまぼこ屋の近くに猫が二匹たむろしていた。近づいて手を差し伸べると、人なつこさそうに見えた白黒のぶちはそそと逃げ、ドラっぽく見えた茶トラが頭を私の手にすり付けてきた。あははと撫でる。体をすりつけながら、私の周りをぐるぐる回ると、こてんと腹を見せた。腹をさする。気持ち良さそうに目を細める。

白黒のぶちは近くの電信柱の陰からずっとこっちを見ていたが、決して近づかなかった。あはは、バイバイと茶トラに手を振って別れる。

コンビニエンスストアで釈由美子のDVDを買う。会社の同僚だった女性3人は、私が釈由美子が好きだというと、3人とも怪訝な顔をした。女性には好かれないのかもしれない。でも、私の造形の好みのツボをきちんと押さえていると言って差し支えないと思う。

家でDVDを見て気分転換。

昼食は近くのパスタ屋へ。対角線方向、2つ離れたテーブルに座っている子供の一人が、笑いながらこっちを見ている。何度か視線が合う。二人して柱や物を利用してかくれんぼのようなことをしてた。子供は喜んでいた。いい歳した私なのに(笑)。

家に帰って、長電話をしていた。

官報のデータベース化の仕事をして以来、仕事の紹介のなかった人材派遣会社から、仕事の紹介の電話がある。1年以上ぶり。このタイミングは不思議である。これは営業などではなく、私の希望職種だった。

そもそも、去年の7月に、T氏(「日常の断片」参照)が音信不通になり、日雇いの現場作業の収入では、その返済が不可能と思われたときに、出来過ぎのことが二つ起きたのだ。一つは、T氏に言われて作ったサラ金の口座が、きちんと返済していたお陰で、限度額が20万円上がったこと。こちらとしては、そのタイミングは不思議であった。が、これは冷静に考えれば、きちんと返済していれば自動的にそうなるものなのかもしれない。

もう一つが人材派遣会社からの電話であった。登録したきり8ヵ月の間、何の連絡もなかった人材派遣会社から電話があり、明日からでも働いてほしいと言われたのだった。そうして、出向いたのが、官報のデータベース化だった。

その二つがT氏が音信不通になってから1週間以内に起きたのだ。不思議なものである。


10月22日

やらなければならないことはいろいろあるのだが、なんとも手をつける気がせず、SMさんに電話をする。電話をかけたときはもう昼近かったが、彼女はまだ布団に入っていて起きようと格闘していたようだった。「いや、私、ダメ人間なんで」という声が可笑しかった。電話したのは、ひとつは先日の鍋パーティーでの帰り道、一緒に乗ったタクシー代を払わなかったのではということが気になっていたのと、したたか酔っぱらって余計なことを話したのではなかったかと思ったのだ。

タクシー代は払ったというのは安心したが、リウカさん色々話してましたよ、と言われてギクリとした。話もしたかったので午後に一緒にお茶をする約束を入れた。

約束の時刻に10分ほど遅れて、SMさんは改札に現れた。なまじ近いと遅刻しちゃいがちなんだよね、と4つしか駅の離れていないSMさんに言うと、彼女は遠くて近くても遅刻しちゃうんですといった内容のことを言って頭を下げた。そういや、SMさんはいつでも遅刻しているとIMさんが言っていたような気もする。

雨の中、北口の名曲喫茶へ。和むのだな。場所もそうだが、SMさんと話していると和む。それがゆえに呼んだとも言える。気になっていた、酔っぱらって話した話を確認すると、酔ったからと言って話していいことではないことを含んでいて自分が腹立たしかった。幸い、私がした話は彼女しか聞いていなかった。そのことだけが安心できることだった。念のため、他言無用とお願いした。彼女と話しているとなごむから、気を許してしまったのだと思いたい。でなければ私もおしゃべり野郎だ(自戒)。

落ち着き過ぎた名曲喫茶で、場所と全然馴染まない辞めた会社でのエピソードや、それに対する見解、はたまた占いの話などしていた。

喫茶店の後に蕎麦屋に行く予定にしていたのだが、第一候補の店が連休で今日まで休み、次候補の店は月曜が定休だった。先日の鍋パーティーで、私が彼女の横にいて、缶ビールを倒してしまったときに、IMさんは「SMさんのそばに粗相あり!」と言って笑っていた。缶を倒したのは私だが、そういう間の悪いことが、SMさんの周りでは起きがちという認識が会社の同僚の中にはあって、この蕎麦屋の連続休業に出会って「IMさんがいたら、『やっぱりSMさんだぁ』って言うんじゃないの」と私は破顔した。

第三の蕎麦屋に入っておでんなどを食べながらまた雑談。小柄で色が白くて額が広く、眼鏡が似合うのだけど、彫りが深い彼女を見ていて、私は「ゲルマン系あられちゃん」と密かに思っていたのだが、彼女がアイルランドに行ったときに、現地の男性に「初恋のドイツ人女性に似ている」とビールをおごってもらった話を聞いて、自分の分類もあながち外れていないと思った。そんなことをアイルランド人に言われる日本人女性もあんまりいないだろ。

辞めた会社の悪口のような話が割と多くなってしまったので、悪口はこれで打ち止めにして、次は景気のいい話にしましょうね、と言って別れた。

「和み系」という言葉が嫌い、とその日の昼間に他の人との電話で言われたのだけど、世間には和み系キャラはいると私は強く思った。SMさん、なごませてくれてありがとう。あなたに幸多からんことを。


10月21日

家への帰り道でまたその猫に会った。最初に会った日のことは書きそびれている。赤いスカーフを首に巻いた立派な猫なのだ。デカイ。手を差し出すとそのまま撫でられて、こてんと腹を見せた。腹も撫でる。やはり、立派な猫だ。しばらく撫でるとフイっと歩いていってしまった。右の後ろ足が悪くて、引きずる。気をつけるんだぞと小声で言って、別れた。


10月20日

今も見には行くけど、ほとんど書き込まない、かつて自分が常連であった掲示板で、そこの管理人が昔私の投稿した内容が気になったということで、ログをひっくり返して引用していた。そこの掲示板はteacup なので、月日はわかっても何年に投稿したものかはログには表記がない。引用された私の投稿には4月25日とあるのだけど、今年ではないし、去年でもないと思う。3年前は、まだその掲示板のことを知らなかったので、2年前のものだと推論した。2年前の投稿を覚えていてくれるというのは、書いたほうとしては嬉しいけど責任重大かとも考えた。

この日はまにゅさんのところで鍋パーティーがあった。

高層に住んでいると聞いていて、マンションかと思っていたが公団住宅だった。13階建ての12階に彼女は住んでいる。
12階のベランダからは遠くに新宿の高層ビルが見えた。東京タワーも見える。
さて、歌手、バンドミュージシャン、大学時代の友人・先輩、会社の同僚、取引先の会社の人と、まにゅの知りあいという以外、何の共通点もなく、その部屋に15人ほどの人間がいた。
お決まりの自己紹介をしていて、その人に順番が回ってくる前から、私には何かが引っ掛かっていたのだ。
聞けば、まにゅと同じ歳の高校からの知り合いだというが、髪の毛が薄く、私より年配に見える。が、そんなことが引っ掛かったのではなかった。何だろう。
聞けば、「これから飲みにいくぞぉ」と大学時代の友人を連れて、午前3時に、まにゅの部屋を急襲したらしい。
が、そんなことが気になったのでもない。
濃いまゆ毛。細くにらむような目。憮然と結んだ口。
この造形だ。この造形が気になるのだ。どうして気になるのだろう。
鍋を食べ、鍋の出し汁にうどんも入り、たこ焼きも焼いて、ビール、日本酒、ワインと飲みも飲んだりという具合で、私もいい加減酔っていた。
気がつけば、その男はまにゅのベッドに当たり前のように寝ている。
が、そんなことは、彼の顔の造形ほどには気にならない。
もう電車がなくなるかもということで、私はまにゅの部屋を後にした。
私が帰るときにも、その男はまだまにゅの部屋に居残っていた。ふらっと起き上がると仏頂面ながらに帰りの挨拶をしてくれた。
一体、何が気になるのかと帰りのタクシーでももやもやしていたのだが、はたと気づいた。そう、まるでピンボケのスライドが急に焦点が合ったように。フラッシュバックのように。
ああ、山本直樹の「ありがとう」の、あのお父さんにソックリだったんだ!、と気づいた。


10月某日

アパートの契約更新の契約書が管理会社から送られてきたが、最初から先方が私の父の名前を保証人欄に記入していた。無神経だなと見た瞬間には思ったが、良かれと思ってしたことなのかもしれないと思っていた。とはいえ、これでは契約書が使えない。訂正印か何かで使えるのか、会社の昼休みに管理会社に電話してみた。

「最初から、父の名前を書いてきているんですけど、うちの父は5月になくなっているんです。そこを消せば、この契約書を使えるんですか」

「保証人も契約者ですから、契約者は勝手に変えてもらっては困るんです」

と、機械的な口調で、電話に出た男は答えた。謝るかと思っていた私は、面食らった。

「気を効かせて書いてくれたのかもしれませんが……」

「違います。契約者は勝手に変えてもらっては困るんです。仕方ないですね、そこに二重線を引いて、新たな保証人の方の名前を書いて下さい。保証人が変わりますから、またその保証人の方の審査があります。書類に御記入の上、印鑑証明をお付け下さい。」

私は普段、「ムカツク」という言葉も使わないし、そういう感覚も持つことも滅多にないのだが、この時はむかついた。とはいえ、ここで心証を悪くすると、無職になるかもしれない私としては審査が通らないかもしれないと計算が頭に去来する。

なんで、人間なのにあんな機械のような対応ができるのだろう。


10月5日

朝、山手線に乗って移動していると、対向線路の山手線が大きく警笛を鳴らし、急ブレーキをかけた。見れば、線路に若い男が倒れている。ホームから落ちた瞬間は見なかったが、線路で頭を強打したらしく、顔をもたげても体は全然動かなかった。何が起きたのかさっぱりわからんという顔だった。

幸い、山手線は男の手前数mのところで止まった。男は自力では起き上がれず、駅員が線路に降りて男の脇をかかえて連れていった。

ホームに上がり、脇をかかえられながら移動する男は、傍目には連行される犯罪者のようであった。

が、しかし、朝から人身事故は見たくないので、助かって何よりであった。


10月2日

昼休みに、人材派遣会社の説明を電話で聞く。経験不問という営業職であった。割とすぐにでも働ける点は魅力だが、定時の昼間は公認で遊んでいて、定時以降のサービス残業が義務づけられているというのが、釈然としなかったのと、やはり営業という職業に乗り気でないので、断った。

が、ずっと紹介のなかったのに、会社を辞めようと決めたら、紹介の電話があるのはいい流れだと思う。この流れを大事にしたい。


10月1日

帰宅すると、登録してから一度も仕事の紹介のなかった人材派遣会社から留守電が入っている。仕事の紹介をしたいという。何というタイミングなのだろう。

夜、N田くんから電話。N田くんのお母さんは、彼の結婚式にも顔を出さなかった引きこもり歴30年ぐらいになる人なのは前にも書いた。それでも以前は、必要な買い物に出たり、洗濯物が干されていたりで、生きているのが確認されたというが、今はそれすらないので、大家さんから彼のところに生死を確認してくれと電話があり、行けば行ったで、買い物をし、洗濯物を片づけなければならない。

外出したらしたで異常な行動も多く、彼が言うには地元では有名な「キチガイばばあ」なのだと。で、重度の分裂病という診断が下ったらしく、入院させることを考えているという。

なんで、彼みたいに真面目な人間がこんな苦労するのかなと思う。職場も理不尽の飽和状態らしいし。

何故だ?


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送